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14/1/7

自分の世界を変えていく 第三回

Image by Olia Gozha

それからの日々は最悪でした。

何もせず家に引きこもっている毎日で週一回学校に行く時と病院に行くとき以外は外にでることはありませんでした。

この頃父は発症した白血病で入院していたので私と父が言い争うことなくなり、また私がお見舞いに行くと必ず喧嘩になってしまうので数えるほどにしか見舞ったことはありませんでした。

高校一年を終わろうという時期になっても一向に私の精神も体調もよくなる気配はなく、病気を発症した中学2年生のあの頃と何も変わっていない自分を見て見ぬふりをする毎日でした。

毎日昼に起きてテレビを見て携帯をながめて一日過ごして、週に一度の学校では十分も椅子に座って授業を受けることができず、途中で抜け出してすこし落ち着いたら授業に戻るということを繰り返していました。

クラスではすでにグループができあがっていて私はいつも一人でした、話ができる友達がほしくて自分から話しかけたこともありましたが話そうとすると上がってしまい上手くコミュニケーションをとれずに結局はまた一人に戻っていました。

その頃私の考えていた事は笑って話のできる友達が欲しい、それとこのままの自分ではいけない、なんか自分を変えないとという焦燥感でいっぱいでした。

脳内メーカーがあったらたぶん焦と恐の文字で埋まっていたと思います。

それくらい怖かったんです、みんなが大人になっていく中で自分だけ一ミリも成長してないと自覚することが。

そこまで焦っていても何かに挑戦して失敗することの恐怖に怯えて一歩も踏み出すことはできませんでした。

そんなことばかりが頭をめぐってばかりいた高校一年生でした。


それからなんとか高校二年生になった私ですが十年一日のごとく本当に全く変わらない日々を送っていました、高校二年の冬まで。

ずっと闘病生活をおくってきた父が亡くなったんです、骨髄移植までしましたが体調が急変し最後の言葉を交わすこともなく逝ってしまいました。

父の亡骸を目の前にしてもぼんやりとしか父が死んだことを理解できず、葬儀中も泣くことはありませんでした。

泣きながら父を見送る親戚、家族の中で私一人だけボーっと眺めて父を見送っていました。

私が病気になってからは父との仲は良くありませんでしたが小さいころはよく父に遊んでもらっていました、楽しい思い出はたくさんあります。

私が薄情だから泣かないのか今でも理由は良く分かりません。


葬儀が終わりしばらくして母から四冊の手帳を渡されました、手帳は父の物で闘病生活が始まってから4年間にわたって書かれていました。

治療の辛さや仕事のことや家族の事、私と喧嘩した日のことまで事細かく書いてありました、父自身のこれまでの人生の事も書かれていました。

そして17歳の私の誕生日の日の欄にたった一言

優しく自信を持って前へ進めと書いてありました。

特に心に響いたわけではありません、歌の歌詞の中にでもあるような言葉で父もどこかでこの言葉に出会ってそれを書いたのかもしれません。

自信を持つなんて当時の私にはほど遠い目標でした(今でもまだ遠い目標のままなのは変わっていませんが......)

だけど少しだけ挑戦してみようと思う気にはなりました。

それは手帳に書いてある父の失敗談を見て父くらいの歳になっても失敗するくらいなんだから私の歳で失敗することなんて当たり前だと思ったからかもしれないし、

父の後悔を知って私は後悔をしたくないと感じたからかもしれません。

やっぱりそのことについてもよく分かりません。

それでもきっかけを探していた私が動くには十分な理由でした。

それからはバイトも始めて積極的とは言い難いですが少しずつ人と触れ合う機会を増やして行きました。

私のもともとの要領の悪さも手伝ってバイトは失敗ばかり、何をやっても上手くはいかず、また頑張ろうと決意したからといって急にコミュニケーション力があがるわけもなくきちんと人間関係を築くこともできずに何度も挫けて家に引きこもる日々に逆戻りしたことも一度や二度ではありません。

けれど、不思議と時間が経つごとにもう一度挑戦してみようという気が沸いてきました、今思い返すとそれは変わりたいと思う私の思いと父の残した手帳の力が大きかったのかもしれません。

今でも私は変わらず要領が悪いし人と話をするときに上がってしまう所も治ってはいません。

失敗ばかりの口下手野郎です。

けど色々な人と触れ合い考え方や感じ方を知って私の世界は確実に変わっていきました。

私のこれからの人生であと何回世界が変わっていくのかわかりません、変わったことで自分の人生に何が起こったとしても、後悔だけはしないように生きていこうと思います。

長くなってしまいましたが、お読みくださりありがとうございました。

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