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14/1/1

Rickenbackerに憧れて(5)

Image by Olia Gozha

実は就職先についてはいろいろ葛藤があった。ゼミの教授は研究室に残れというし、自分的にはせっかくバイト関係でツテの出来た放送・音楽業界に入りたい気持ちもあり、とはいえ親の期待に応えない訳にもいかず・・。結果、家業との兼業を考え、地元の地方自治体に就職することに。



就職して2年目、相変わらず自宅で個人練習を重ねる日々を過ごして来たが、ある日友人が「同じ職場の中でRUSHのコピーバンドをやっている奴らがいるが、ベース&ボーカルを探している。」と教えてくれた。RUSHを演るのにベース&ボーカルがいない?それって、光国公のいない水戸黄門と同じじゃね?



待ち合わせにやってきた奇特なスケさんとカクさんの話を聞くと、なんでも高校時代からRUSHがやりたくてギターとドラムの練習してきたらしいが、ベース&ボーカルだけが見つからなかったそうだ。就職先が偶然一緒になった事で活動を再開したらしい。高校時代にRUSHをやっていた事もありすんなり加入する事になった。



それからしばらくして、バンド仲間から「ヘフナーのバイオリンベース買った」と連絡があり家に押しかけて触らせてもらった。それまでジャズベースでビートルズの曲は様々弾いて来たけれど、どうしても前期の温かく太い音色や心地よいアタックは得られていなかった。とにかく自分の腕が未熟だと練習を重ねていた。



ところが、本物のヘフナーをチューブのベースアンプに刺し、BASSスイッチON(トーン全閉でフロントピックアップだけの音になる・・HOFNER持っている人しか判らないかも)にすると、なんとポールのあの音がそのまま出る!何の苦労も工夫も無く、まさしくあの音である。その時初めて楽器本来の音を認識した。



それからというもの、Westminster4001の音がいくら「っぽい」と言え、本物の音が気になって仕方が無い。意を決して新大久保のビンテージ専門楽器店に実物を見に行く事にした。というのも、自分が欲しいmodel4001はフロントピックアップがネック寄りに付いている'76年以前の年式だという事に気がついていたためである。



その楽器店は大学時代はあるビルの3階にあったが、その時は別なビルの地下に移っていた。階段を下りていくと、ガラス越しに素晴らしいビンテージ楽器の数々が並んでいるのが見えた。そこで、その後の楽器に対する世界観を一気に変えてしまう運命の出会いをする事になった。



実は、中学時代に友人の兄から「お前らいつまでもビートルズばっかり聴いていないで、こういうのも聴けよ!」と渡された数枚のアルバムがあった。それはTHE WHOというイギリスのバンドだった。それからTHE KINKSやTHE SMALL FACESなどブリティッシュ・インヴェイジョンのバンドを聴き漁った時期があった。



店に入って真っ先に目に入ったRickenbackerは目当てのmodel4001ベースではなく、そういったイギリスのバンドが弾いていたレッド・サンバースト・カラー(RickenbackerではFG=ファイヤー・グロウという)のセミアコのギター達だった。その中でも、ボディのエッジが丸く面取りされたギターが特に美しかった。



そのギターこそが'66年のmodel 360FGだった。ジョージ・ハリソンが日本公演で弾いていた12弦ギターと同じ形状の6弦バージョンである。その艶かしい輝きと撫で回したくなるような曲線、そしてクラシカルな雰囲気と大振りな金属パーツ、どれをとっても他のメーカーには無い魅力に溢れていた。



まず、そのギターをしげしげと見つめた後、目的を思い出して今度はベースのコーナーに行く。そこで、またもや忘れられない楽器に出会う。それはmodel 4001の'73のべた塗りのブルー・カラー(RickenbackerではAG=アズレ・グロウという)だった。その青のなんともいえない美しさは今でも忘れられない。



どちらも、予算を遥かにオーバーした価格だったため、その時はリサーチのみで帰宅したが、それから寝ても冷めてもRickenbackerの事が頭から離れず、楽器専門誌の「売ります・買います」欄や(当時はまだネットオークションが無かった)楽器広告を一行ずつチェックするなど、まるで獲物を待つ鷹のようになって行った。


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