始まりは、セブ島留学での大失敗。
こんにちは。
「セブ島留学サポートセンター」を創業しました永井と申します。
私はセブ島留学エージェントとして2013年の10月10日に開業しました。
英語の勉強をする為の留学エージェントというと、皆さんから「英語ペラペラなんでしょ?」と言われますが、そんな事はありません。
全く話せませんでした。
そんな私が、何でセブ島留学エージェントになったのか?
お話しさせて頂きます。
行き詰まった古本屋経営から英語教室へ・・・
ことの成り行きの最初は、出版不況が原因でした。
当時、私が経営していた古本屋の売上が落ちてきたのです。
私が経営していた古本屋は、ブックオフを小さくした感じの小さな新古書店でしたが、とにかく本が売れなくなってきたのです。
私は思っていました。
私の心の声「このままでは不味い!何か新しい事業を始めないと!」
という焦る気持ちがあり、
私の心の声「新しい事業をはじめるには、英語が必要だ!」
という考えがあったので、
私の心の声「英語教室事業をつくって、そこで自分も一緒に勉強してしまおう!!!」
と考えたのです。
早速、教室をはじめる候補地を探していたのですが、候補地の立地に関しては2転3転・・・不動産契約を結ぶ直前に大家さんが契約破棄をするなど、本当に不運に見舞われました。
そんな私の候補地選びでしたが、ある日、面白い出会いがありました。
なんと、塾を経営している西荻窪の不動産屋さんを紹介されたのです。
その不動産屋さんは、現在でも学習障害を持った子供などに勉強を教える”私塾”のようなものをやっていました。
そして、その指導ノウハウを私に教えてくれると言うのです。
つまり、私も先生になれる方法を教えてくれるという事でした。
私の心の声「うわー!超ラッキー!!このチャンスを生かして勉強しよう!」
さっそく私はその不動産屋さん経由で物件を決め、他の学習障害の中学生と一緒に勉強をはじめました。
その学習方法はとても斬新なものでした。
画期的でした。
一つ一つ、基礎から学べるので、私は自分の成功を確信しました。
しかし・・・同時に、自分の学習レベルは中学一年生レベルだった事も確信しました。私は本当にバカだったのです。
英語教室を開業してわかった事
英語教室を開校したものの、生徒は全く集まりませんでした。
近所の進学塾が繁盛しているかたわら、私の教室はまったく人が集まらず、近所の人も遠巻きに警戒する謎の教室となっていました。
指導体制としては、初心者は私が教え、初心者以外は、司法試験を受ける為に試験浪人しているハーフの若者に任せていました。
なので、講師の質が悪いと言う問題ではありませんでした。
赤字経営が続きましたが、地道に経営し、一人また一人と少しづつ生徒が増えていきました。
ただ、増えていったのは、私の初心者向けクラス。
他の塾でサジを投げられたような、変わった子供が集まってきたのです。
そして、変わった大人もどんどん増えていきました。
私の心の声「なかなか教室らしくなったなー。将来的にはいけるかも。」
と思ったものの、
中学生に10月の授業を教えているしている時に、私は11月の勉強を自習し、
中学生に12月の授業を教えている時に私は1月の勉強をするという、
まさに”自転車操業”のような授業をしていました。
それでも十分に楽しい1年目でした。
天才が表れた!
そんな私のマッタリとした教室事業でしたが、大転機が訪れました。
なんと、”東京大学付属中学”に入学した男の子が、私の教室に通う事になってしまったのです。
彼は天才で、1年間の授業をわずか1ヶ月で終わらしてしまうという、凄まじいペースで学習を続けていきました。
途中、定期テストなどで若干ペースダウンするものの、私が学習するペースが間に合いませんでした。
私は思いました。
私の心の声「もうダメだ!絶対に抜かれる!!」
そう、私は中学一年生に抜かれてしまうと思いました。。
というか、確実に抜かれます。
確信を持ちました。
ピンチです。
そんな時、一つの面白い話を聞きました。
私が経営する古本屋のスタッフが教えてくれました。
古本屋の店員「親戚の男の子が、フィリピンへ留学してきたらしいよ。店長も行ってきたら?」
調べてみると、非常に格安です。
しかも、1週間から留学が可能だそうです。
私はすぐに決めました。
教室は1週間休みにして、フィリピン留学へ行く事にしました。
セブ島留学へ申し込む
私は早速パソコンで検索して、一番失敗しなさそうな留学方法を探しました。
その結果、【日本で一番有名な大手旅行代理店】から申し込む事にしました。
電話してみると、お勧めの学校をいくつか紹介してくれました。
そして留学について色々説明してくれましたが・・・
残念ながら全くイメージがわきません。
大手旅行代理店「新校舎でキレイです!」
大手旅行代理店「生活環境がイイですよ!」
大手旅行代理店「永井さんにお勧めです!!」
電話に出てくれた彼女の話を信用して、M校に1週間だけ留学する事に決めました。
費用は全部込み込みで17万円。
早くも胸がトキメキます。
※現在私が紹介する学校であれば、最安で1週間10万円弱での留学が可能です。
セブ島について驚いた!
日本から飛行機で約4時間、セブ・マクタン国際空港に着いて私は驚きました。
国際空港なのに、施設がボロい!
私はセブ島は観光地だと思っていたのですが、違いましたね。
セブ島は新興国でした!!
モワッとする熱気。
空港に溢れる人々。
カラフルなタクシー。
道路を横断する現地の人々。
明らかに空気からして異国情緒たっぷりでした。
なんとか空港出口で学校スタッフと接触する事が出来、そのまま車に乗って学校へ移動しました。
道中、一緒の飛行機に乗っていたと思われる日本人Wさんに話かけました。
私「凄いところに・・・来ちゃいましたね・・・」
「そう・・・です・・・ね・・・(絶句)」
街を走っていると、裸足で上半身裸の男性が普通に歩いています。
家と家の間にトタン屋根のようなモノを付けて、生活している貧民層のような人たちがいます。
まさにそこはテレビで見た新興国そのものでした。
そして30分ほど車に揺られてから学校へ着きましたが、その学校は・・・
城壁に囲まれていました!
私の心の声「生きて帰れるのかな・・・」
そう思った瞬間でした。
初日からアクシデント
学校の寮について、早速部屋を案内されました。
実は私は豪華に1人部屋を予約していました。
少しぐらい高くても、いい環境で勉強したかったのです。
しかし・・・
その期待は最初から裏切られました。
なんと、
トイレの水が流れません!!
私の独り言「え??世界的なリゾート地のセブ島でしょ??」
私の独り言「新築の学校でしょ!?」
ハッキリ言って騙されたと思いました。
そんな場所だとは思っていませんでした。
私を担当してくれた大手旅行代理店の女性は、現場の事は何もわかっていなかったのです。
初日は授業無し
翌日、さっそく授業がはじまるのかと思ったら・・・
学校スタッフらしき男の子「今日はオリエンテーションです!これから両替しにショッピングモール行きます!」
言われるがまま、タクシーに乗ってショッピングモールへ行ってきました。
タクシーの初乗りは40ペソ。
日本円にして80円弱です。
そしてそのショッピングモールは驚く事に・・・
本当に凄い綺麗でした。
日本のイオンモールのように、キレイで大きくて、イベント会場もあり・・・
私「これが本当にセブ島?フィリピン??凄い経済発展している!!」
ただただ驚くばかりでした。
私はちっとも世の中の事をわかっていませんでした。
セブ島は観光地一色だと思っていましたし、フィリピンの経済発展も全く知りませんでした。
完全に浦島太郎でした。
その後、ショッピングモールを散策した後、学校に戻りました。
お昼には学校に戻ったので、日本人スタッフらしき人に聞いてみました。
私「今日は授業無いの???」
学校スタッフらしき男の子「ありません!この後テストを受けて終わりです!」
そう、テストを受けて終わってしまいました。
しかも、テストの内容はヒアリングでしたが、その音声を流しているのは、
カセットテープ!!
しかも、音質が悪くて全く聞こえません。
こんな事ってあるのでしょうか???
さっき、ショッピングモールにCDプレイヤーあったでしょ???
どんだけケチな学校なのでしょう。
愕然となって寮の部屋に戻りました。
そこで新たに気がついた事がありました。
窓が無い!!
仕方ないので駐車場に移動して少しボーットしました。
わざわざセブ島に来て、午後3時にやる事無くなってしまいました・・・
その後、仕方なく少しだけ自習をしていましたが、自習をする為にセブ島にきたのだろうかと思うと空しくなりました・・・
1週間しか留学しない人にとって、1日は大きいです。
日本にいたら仕事がバリバリ出来るのに・・・
いたるところでガックリと来た一日目でした。
※一部の学校では、短期留学者には初日から授業を行っています。そういった事を知らないエージェントや旅行代理店から申し込むと、私のようになります。
初の授業
そして次の日は初めての授業。
さっそく教室へ行きましたが・・・そこでも驚きました。
教室が狭い!!
本当に教室が狭いのです。
部屋に2人入ったらキツくなるような小さな教室が、蜂の巣のように並んでいます。
そして、その部屋一つ一つに先生がいます。
セブ島留学はマンツーマンと聞きました。
確かにマンツーマン授業であれば、先生と生徒の数は同数になるほずですが・・・かなり違和感あり!!
私は指定された通り一番奥の教室?に入り、早速授業になりました。
その教室の主(先生)はジェシカ!
私の最初の授業の先生はつい最近まで飛行機のチケット予約センターで働いていた若い女の子でした。
でも、第一印象でわかりました。
この子は良いキャラしている!!
お笑いを理解している人間は言葉の壁を感じないと直感で感じました。
そしてさっそく自己紹介の練習から初めたのですが・・・
授業が全部英語なので、授業がなかなか進みません!onz
簡単な事なんですが、上手く話せません!
でも、ジェシカは非常に親切で、楽しく教えてくれました。
すぐに踊りだしてしまうという困った一面もありましたが、50分の授業はあっという間に終わってしまうと感じるくらい楽しい授業でした。
結構イイかもしれません。セブ島留学。
2つ目の先生はハズレ!
次の授業はマリーという小さい太っちょさんでした。
なんと夜間大学に通いながら仕事を2つ掛け持ちしているという、がんばり屋さんです。
しかし・・・
彼女は、私が簡単な言葉に詰るたびに、”大きなあくび”をします。
夜に大学に行っているので眠いのでしょう。
彼女はそれなりに頭が良い方なのでしょうが、あくびをする彼女の姿を見るたびに、私のモチベーションはガクッと落ちてしまいました。
今度は50分の授業が長く感じました。
でも、50分たてば、また違う先生のレッスンだと思って頑張りました。
3つ目の先生は、○○をほじくる
三つ目の授業です。
今度の先生も若いです。
名前は忘れました。
彼女は見た目も学習能力も見るからに普通レベルなので、比較的楽な気持ちで授業を受ける事ができました。
ただ、ただ、一つだけ、どうしても納得できない事がありました。
それは・・・
彼女が・・・
授業中にハナクソをほじくることです!onz
これはドン引きましたね。
セブの人はおおらかだと聞いていましたが、これほどまでとは・・・
グループレッスン
そして私の留学した学校では、6人1組でのグループレッスンが1コマだけありました。
私以外は全員韓国人の男の子でした。
最初は期待していなかったのですが、意外にも韓国人の若者は良い奴らでした。
日本でイメージしている韓国人とはだいぶ違いましたね・・・
彼らは年長者を敬うというか、たてるところがあり、「日本の若者より良いのでは?」と思うくらいイイ奴らでした。
グループ授業の内容は、お互いの見た目を英語で表現してみたりなどと、たわいもないものでしたが、面白かったです。
授業の総括
この他、何人かの先生に教わりましたが、結論として、「先生の質にはバラツキがある」ということがわかりました。
私が留学した学校は、とにかく現地の若者を安い値段で雇い、働かす、質は問わない韓国人資本の学校でした。
もし、日本人目線で、良い先生をしっかり雇って、しっかりした施設の学校をつくったら面白そうだな・・・この時は漠然とそう感じました。
問題が起きた
留学3日目の夜、学校内で知り合った50歳前後の元気な関西人のおばちゃんが、食堂でグッタリと元気を無くしていました。
話を聞いてみると、どうやら部屋がカビ臭くて眠れないらしいのです。
窓が無いから当然かもしれません。
同じ部屋に留学しに来ている韓国人の女の子でさえも、泣いて訴えているという事でした。
さっそく他の60前後のおばちゃんと私と3人で、部屋を変えてくれと抗議に行きましたが、残念ながら責任者不在ということで取り合ってもらえません。
相手は韓国人スタッフでした。
学校によるでしょうが、韓国人が経営する学校では、日本人のクレームをなかなか取り合ってもらえないようです。
そこで、学校に住み込んでいる日本人スタッフらしき女の子に話をしてみました。
私「・・・という訳で、部屋を変えてもらえるように頼んでもらえませんか?彼女は本当に困っているんです。」
学校に住む日本人女性スタッフ「えーっとぉ、私はエージェントなので、学校のスタッフじゃ無いんですねぇ。だから、私には決定権がないんですぅ。スミマセン・・・」
なんと彼女はエージェントから派遣されて来ただけで、実際は学校のスタッフではないので何も出来ないということです。
では、一体何の為にいるのでしょうか?
エージェントというものは、現地では全く役に立たないということがわかりました。
これは後からわかった事ですが、日本人スタッフがいない学校は、日本人に対してサービスする気がないという事のようでした。
韓国人資本の学校に留学する場合、学校自体が日本人スタッフを雇っているのか、それともエージェントから無料で派遣されて来ているボランティアのスタッフが在中しているだけなのか、しっかりと見極めないといけない。
そんな事を、この時に学びました。
※日本人スタッフを雇っている韓国人経営の学校は、実際に色々な面でもしっかりとしていて、経営者の方も良い人が多いです。日本人スタッフがいない学校はとにかくコストパフォーマンスの事しか考えていない感じです。韓国人経営の学校が全て悪いという訳ではありません。
現地で学校をつくった日本人に会う
実は今回の留学で、私には一つのミッションがありました。
それは、現地で語学学校を経営している私の友人(日本人)と会う事です。
※その人は”佐藤さん”と言います。今では少し有名になっているかもしれません。
水曜日の夜、私は授業が終わってから彼と会う約束をしていましたが、せっかくなので、昨日から部屋の事で揉めているおばちゃん2人を誘いました。
そして、もう一人、留学当初から一緒にいるWさんを誘い、4人で私の友人がやっている日本人経営の学校へ行く事にしました。
初めての外国の夜は怖かったです・・・
もし一人だったら、本当に怖かったかもしれません。
みんなで行って良かったと思いました。
そして着いてみてビックリ。
凄くキレイな施設!
一緒に同行したおばちゃんたちは歓声を上げていました。
それもそのはず、その学校はホテル内にあったのです。
その学校はFEAという学校とホテルが一体型の学校でしたが、何処のエージェントにも紹介されていませんでした。
早速私は佐藤さんと会い、学校を紹介してもらいました。
そして、その時に感じました。
私の疑問「どうして大手の旅行代理店では、こういった良い学校を紹介しないで、韓国人が経営する質の低い学校を紹介するのだろう?」
この疑問を持った事が、私が留学エージェントをする事になる大きなきっかけになりました。
うすうす感じていましたが、恐らく旅行代理店や留学エージェントという仕事は、紹介料が高い学校を紹介するものなのでしょうね。
でも、私はそれはおかしいと思ったのです。
現場の事を知らない女の子が、お客さんに学校を紹介しても、良い学校を紹介出来る訳が無いですからね。
私の心の声「日本人が安心して勉強できるしっかりした学校を紹介しよう!」
私は決意しました。
金曜日になって・・・
留学に来てから5日経ちました。
この時に私に大きな変化が表れました。
朝から晩までずーっと英語で授業を受け、英語で日常会話もしているので、なんと無意識に英語が口から出てくるようになって来たのです。
私の日本を発ったときの学習レベルは、中学生レベルでした。
現在完了や関係代名詞をなんとかマスターしたレベルです。
しかし、その程度でも、英語がスラスラと口から出て来たのです!
これには自分が一番驚きました。
もちろん簡単な文章しかつくれませんが、それでも簡単な英語で会話が出来るようになったのは感動的でした。
最初はあくびを繰り返していたマリーとも話が弾むようになりました。
授業そっちのけでセブ島での仕事の事についてディスカッションしました。
そんな事もあり、ますますこのセブ島留学が良いと思うようになりました。
帰国前日の土曜日に、初のリゾートへ!
授業の日程を全て終えた私は、土曜日に韓国人のグループと一緒にスキューバダイビングに行きました。
誘ってくれたのは、韓国人グループと仲が良いWさん。商社勤務が決まっているKちゃんという女の子も一緒でした。
そのスキューバは・・・楽しかったですね・・・
酔いましたけど(笑)
船で沖に出て、綺麗な海に移動して潜りました。
お昼は近くの島で現地料理のようなものを食べたりして・・・
物売りの子供たちは邪魔でしたが、それでも多くの子供の目が透き通っていて、なんだか心が洗われるようでした。
スキューバダイビングが終り、夕焼けの中セブの港へ戻る途中、フィリピン人と韓国人のスキューバダイビングのスタッフとたどたどしい英語で、色々話をしました。
フィリピン人の事について色々教えてもらいました。
韓国人にも良い奴と悪い奴がいることを教えてもらいました。
英語という言葉を覚える事で、3つの違った国の人たちが一緒に会話ができる・・・これは本当に素晴らしい事だとその時に実感しました。
自分は、なんで英語を勉強をしてこなかったんだろう・・・
勿体ない事をしてきました。
そして、わずか一週間の留学が終わるが・・・
日曜日、日本から直行便で飛んで来たWさんが最初に帰る事になっていました。
私は朝5時に起きて、Wさんを見届けました。
そして、予定ではWさんを空港に送った学校の送迎車が7時に戻ってきて、マニラ経由の私を空港に送ってくれるはずでしたが・・・なんと車が帰ってきません。
ギリギリまで待ちましたが、ダメです。
来ません。
仕方なく、学校からタクシーに飛び乗りました。
もしかしたら、私は飛行機に乗り遅れて帰国できない可能性が出てきました。
タクシー運転手に英語で急いでいる事を一生懸命説明し、飛ばしてもらったのですが、残念ながら時間ギリギリでアウトの感じ。
空港に着いたらタクシーを飛び降り、空港カウンターへ直行しました。
そうしたら・・・
なんと飛行機の出発が1時間遅れ!!!
ホッと胸を撫で下ろしました。
そしてカウンターにいる女性に言いました。
”Could you bring my bag from Cebu to Narita ?"
やっぱりセブ島留学は素晴らしい!!
エピローグ
日本に帰ってから、私はさっそく留学紹介を事業にすべく準備に取りかかりました。
しかし、留学エージェントの仕事をする為にはあまりにも自分の語学力に不安を感じ、更にエージェント開業に慎重になるスタッフの協力も得られず、新規事業の開業には本当に苦労しました。
そして、創業補助金の提案もいただき、それが通ってしまい、逆に仕事が進めづらくなり、イラつく日々が続きました。
そんな事をやっている間に、フィリピン留学業界には次々と新しい日本資本の学校が出来、新しいエージェントが登場し、さながら小さい業界内でパイの奪い合いをしているような雰囲気となりました。
そこで、私は初心に戻り、「日本人が安心して留学できる環境の学校だけ紹介する」というポリシーを持って仕事をする事に決めました。
東大や京大に行っているような天才君は無視して、本当にサポートを必要としている人に、喜ばれるエージェントをやろう。
その為に、2ヶ月に一度はフィリピンへ渡り、出来るだけ多くの学校へ行って、授業を受けさせてもらい、寮へ泊めてもらい、多くの事を体験するように心がけています。
良い仕事をしていれば、留学するお客さんとも交流が広がり、きっと新しいチャンスも巡ってくるでしょう。
それが私のセブ島留学エージェントをはじめた理由です。