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13/12/30

私が表現者になった訳 2

Image by Olia Gozha

私は声優になる!



と小学校の1年生の時に親に声を大にしていっていたのが、わたくしこと、たくみさんです。

当時のアニメに相当の影響を受けたのでしょう。

私の住んでいた栃木県宇都宮市は都会ではあるのですが、やはり東京からはある一定の距離があります。

当時は今考えれば、ちょっと鎖国的な感じがしましたね。


親に

「声優になりたい!」

鈴木 誠治「はいはい。」

鈴木 圭子「ごはん食べちゃいなさーい。」

みたいに言われたかどうかは流石に覚えていないのですが、軽く流されたような気がします。

言ってしまえば子供の頃の一時の夢みたいなものと思っていたのでしょう。

私も親なら多分同じことを思うと思います。

ですが、私は根強くその芯を持っていたのです。


その心を持ちながら、成長を続け前回のストーリーのように自動車整備士の専門学校へも行きましたが、就職はしませんでした。

私はギリギリまで実は悩んでいたのです。自動車の仕事につくか、もしくは表現の世界に行くかと・・・。


その背中を押してくれる事となった大きな要素が自動車整備士時代の留学にあったのです。


私の行っていたニホンオートモービル大学校通称NATSは自動車整備士の国家資格を取得した後に更に2年間の過程へ進学することが出来るんです。

それが研究科といってその中に留学コースというのがあったのです。

現在そのコースは無くなってしまったのかもしれませんが。

たまたま、私のタイミングでは誰もその科を選択する人はいませんでした。

研究科に進学したのにはもともともっと自動車の細部について学びたいと考えていたからです。でも留学という言葉にも引っかかりがあったのです。


もちろん悩みもありましたが、誰が言ったか

「「若いうちに苦労しておけ」」

という言葉が頭をよぎり、その留学コースを選択したのです。



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