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13/12/17

転職大魔王伝「オレ、WEBデザイナーになる。」1

Image by Olia Gozha


taichijungleです。

G.G.Bというバンドのボーカリストと、WEBの仕事をしている41歳です。

10代後半から20代前半は絵描きを志して職を転々とし、20代中盤から20代後半は人生に迷って職を転々とし、30代以降はキャリアアップのために職を転々 とした結果、就職7回・アルバイト29種類・起業2回という落ち着きの無さの為、周囲の仲間に「転職大魔王」というありがたい称号をいただきました。

その中でそこそこ印象に残っているものを、順不同で憶えている限り綴っていこうと思います。

WEBデザイナーになった時の話。

現在のオレの職業の一つであるWEB制作ですが、この業界に飛び込んだのが31歳なので、実はキャリアがまだ10年ほどしかありません。


この業界を目指すきっかけになったのは「年齢」でした。

29歳になろうかという頃、

オレ「もうすぐ30歳になるというのに、このコったらスキルがとっちらかってて、結局何にも身に付いてない!(土壇場には強いんだけど)」


と、一人で癇癪を起こすことが多くなりました。将来への不安に圧し潰されそうでした。

バリバリに社会人をやってる30代の先輩方が輝いて見え、昔は小馬鹿にしていた社会人の同級生ですら眩しく見えました。

そしてふとミュージシャンの先輩を見ると、私生活は綱渡り状態の人がほとんどでした。そしてオレも、その綱の上を器用にスキップしているただのアホでした。


オレ「このままじゃあんなんになっちゃう・・・まずい・・・何とかせねば・・・・」


「手に職をつけなきゃいけない。」そう強く思うようになりました。


ということで、モノになりそうなスキルを自分断捨離していった結果、かろうじて残ったのが「デザイン」でした。

元々絵を描くのは得意だし、フライヤーとかCDジャケットとか自分で作ってたし、色彩感覚も悪くない(はずだ)し、「コーディングさえ勉強すればいけるんじゃね?」と考え、試しにやってみることにしました。


早速「サルでも作れるホームページ」みたいな本を買い、見よう見まねで作ってみました。

今見たらきっと壮絶なソースコードだったろうなぁと思うのですが、それなりには見れるものはできました。(あくまで当時のオレの自己評価)

オレはすぐにドメインとサーバを手配して自分のホームページと名刺を作り、「ホームページ屋をはじめた」と言って知り合いに営業をはじめました。

あぁ…昔からの悪いクセです…(今もだけど)

そして、それは当然の結果を招きました。


オレ、炎上&炎上&炎上。

昼間に別の仕事をしながら個人ではじめたホームページ屋。それはもう壮絶の極みでした。


無駄に知り合いが多かったことが災いし、いきなりの受注過多。

当然まともに作れるわけもなく、炎上に炎上を繰り返し、結局自腹で友人のWEBデザイナーに発注して納品したことが何度もありました。

土日も無く、睡眠不足でホントに死にそうでした。全然儲からないし。


ですが、さすがに案件数をこなすことでまともな仕事ができるようになりました。

外注できるパートナーを捕まえたことも大きく、それなりの実績ができてきました。


オレ「これは…今でしょ!」


31歳になる時、4年勤めた某一部上場企業(本当)から、「WEB業界」への転職活動をはじめました。

苦戦は覚悟の上でした。(ある程度は)

オレ、転職活動大苦戦。


いやー苦戦しました。想像以上でした。

31歳。

高卒。

転職4回。

実務経験無し。(SOHOでの経験は加味してくれない。副業だったし。)


さらに「大きい実績」も無いオレにとって、WEB業界への転職は簡単なものではありませんでした。(当たり前だけど)

●イブドア、楽●などの大企業から小さなデザイン事務所まで50社以上エントリーして、面接の連絡がきたのは2社のみでした。

さすがに凹みました。

だって31歳と言えば、普通の企業なら入社10年目に差し掛かり、係長の声も聞こえてくるような世代ですもんね。

こちとら、巻物並みの履歴書を持ってきてる割には、中身は結婚相談所だとかアメリカの寿司屋だとか伝説の空手家だとか、飲み屋のネタにしかならんスキルばっかりですからね。

ですが、、、面接に持ち込めば本領発揮でした。


面接官「ずいぶん転職の数が多いけど・・・これはなぜ?」

オレ「はい!向上心が強かったためと、自分を過信していたためです!」

面接官「同じ会社でその向上心を発揮できなかったの?」

オレ「はい!向上心を発揮してチャレンジをした結果、その会社に居られなくなったこともありました! ※結婚相談所編参照」

面接官「君、面白いね。じゃあ自分の一番の武器は何?」

オレ「国境すら問わない高い順応性と、自分でも信じがたい程の土壇場での強さです! ※アメリカの寿司屋編参照」


結果、昔から面接に異常に強いオレは、その両方で内定を勝ち取りました。

1つは某メーカーのWEB事業部、もう1つはWEB広告代理店の制作部門でした。


前者は、今やその業界ではトップを走るまでに成長した自動車関連企業で、この頃にすでにもうその片鱗は見えていたのですが、ネックは自社サイトしか関われないところでした。


後者は、待遇は最悪だったのですが、キャンペーンなどの色んな案件があることや、サイト管理を丸っとやれるなど業務内容がとても魅力的でした。

ただ「一部アダルト寄りの仕事もありますが大丈夫ですか?」という話しがあったのですが、頑張りますとだけ回答しました。

待遇面とネームバリューでは圧倒的に前者だったのですが、色んなチャレンジができそうだったので後者を選びました。


オレ「御社にお世話になろうと思います!」

WEB広告代理店「ありがとうタイチくん!それじゃあ早速明日から!」

オレ「はい!よろしくお願いします!」


やっと念願のWEBデザイナーデビュー!


期待と不安に胸を膨らませるオレ!

それがまさか、別のところを膨らませることになろうとは・・・・

ややネタバレですが、続く!!!

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