進藤牧師との対談①
■最初の1回は量が多くてひっくり返った
進藤 対談に入る前に少しだけ祈らせてください。では一言祈ります―。
神様、今日は依存症の人たちの回復支援活動をしている潮騒ジョブトレーニングセンターの方々が、茨城県鹿嶋市から2時間以上を掛けて、労力をかけて、祈りを掛けて、願いを持って、ここ「罪人の友・イエスキリスト教会」にやってきました。
私たちは一つです。それは依存症で苦しんでいる多くの者たちへの解放、あるいは刑務所を出て行き場のない者の受け入れの場、そして何よりもその者たちの社会復帰を支援するということ。
依存症という病を持つ者が仕事を身につけて、このジョブトレーニングセンターという名前のように、どうぞ一人でも多くの人が、いや一人も残さずに社会復帰できるよう、そしてただの依存者で、ただの生活保護で終わるのではない、本当に社会に組み込まれる、そのような人を一人でも、いや一人残らず、そのようになるよう私たちは働いています。
どうかこの思いを結実し、思いを新たにし、また共に前進していけるように、助けてください。今日集まった一人ひとりの上に、あなたの豊かな格別な祝福がありますように…。イエス様の前に祈ります。アーメン。
―ありがとうございます。それでは始めさせていただきます。今日は進藤先生に貴重なお時間を割いていただきまして、ありがとうございます。
進藤 はい。ありがとうございます。
―奇しくもお二人は出身地がほぼ同じで、かつて暴力団組員としてこの地元地域で活動し、ほぼ同じ犯歴があったりします。今日の対談テーマの一つでもありますが、困難だった依存症も克服されてきた、という経験を共通してお持ちです。
栗原施設長はダルクで、進藤先生はキリスト教によって助けられたと思うんですが、まずは進藤先生に、ご自分が薬物依存症だという自覚を持った時の様子から伺います。
進藤 自覚を持った様子ですか。うーん、そう言われると真剣に依存症だという自覚を持ったことはなかったかなあ。
僕は覚せい剤をやる前はシンナーを何度かやったことがあるんですけど、結局そんなに中毒にならずに済んだというか、友達がやってるからやるぐらいの感覚でしたからね。自分から買いにいったり、やりに行ったりとか、そういうのは無かったんです。
しかし覚せい剤は、一回やった時からとりこになりました。いや正確に言うと最初の一回は量が多すぎて、実はひっくり返っちゃって「こんなもん二度とやるか」と思ったんです。
でも、その一年後に「薄いのでいいからやろうよ」と友だちに誘われて。怖かったんだけど、やったらすごく気持ち良くてですね、その二回目の薄いのを打って「これだ!」って完全にハマってしまった。それからもう完全にとりこですよね。
ですからもう、自分で分かりました。「ああ、もうこれやめられないな」って。で、それが切れかけて、その日のうちに「またもう一回やりたい」っていう感じだったのを覚えてますね。
僕の依存症はそこから始まってると思います。十八か十九歳になるくらいだったと思います。はい。
―栗原施設長はどうだったですか?
栗原 私はまず、アルコールから入ったんです。十三歳ぐらいだったですかね。大変な飲兵衛で、アルコールに強くて、飲むと元気が良くなってね、まあ酒乱というところですかね。
それが二十代で覚醒剤と出会うわけですけど。その頃組織にいたものですから、バクチの中でお客さん用に覚せい剤とアルコールが置いてあった。
その残ったのを試しにちょっとやってみた、腕を出してみた、というのがきっかけです。一回目ですごい万能感を味わった。それが、とりこになる原因だったんですね。
■孤独な環境が依存を引き受けてしまう
―やはりお二人とも、依存症になる素質というんですかね、下地というか、そういうのが自分の中にあったんでしょうか?
その、家族関係も含めて薬物とかを受け入れてしまう、依存症を受け入れてしまう、何か素質や資質、あるいは環境要因みたいなものはあったんでしょうか。振り返ってどうですか、進藤先生の方から?
進藤 僕の場合は、むしろ環境でしょうかねぇ。素質というよりかは、僕は環境だと思います。子供時代に何か満たされない思い、寂しい思い、それをやっぱり埋めなきゃならない。
それが子どもなら興味本位も手伝って身近にあるたばこですね。そしてシンナー、やがて覚醒剤…。でも、薬物やってた人が急にやめれば、心と肉体の中にポックリ空洞が…、それを埋める作業かな?
まあニコチンやめればパイポやってみたり、そのような代替行為、依存の置き換えですよね。今はキリスト依存で、それが何とか満たされてはいるんですけども…。
やはり子どもの頃から満たされない寂しい思いとか、そういうのがその要因というか、その何だろうねえ、孤独な環境が自分の意識下にある依存を引き寄せてしまう、そんな体質だったんではないかなと、そんなふうに思うんですけど。
―栗原施設長もやはりそういう幼児体験とか大きいですか?
栗原 そうですねぇ、やはり大きいですよね、幼児体験って。私の場合、あまりいい思い出がないですからね。
はっきりした記憶はないんですけど、父親が戦死して三歳で里子に出されましてね。その養母の家で、今でいう様々な幼児虐待を受けていたから、どこにも自分の居場所がなかったんですね。
だから不良少年としてグレるしか術がなかった。十三歳にして酒を覚え、酔うことで心の空洞っていうか、寂しさを埋め合わせていたんだと思います。
多分、今進藤先生がおっしゃったような体験的なものを自分も味わっていたかな、と。
―そこのところをもう少し話して頂けますか。
栗原 思い出してみると、子どもの頃よく映画館に行ってたんですよ。
今のようにテレビなんかない時代ですから、娯楽なんてない。子どもながらも、まち場にある映画館に通ってひたすら映画を見ていたのを思い出しました。
それも一軒では済まない、二軒、三軒とはしごして、日が暮れるまで、バスの時間が許す限りずうっと映画館を巡り歩いちゃうという体験がありました。
何か一つのものに異常なほど没頭する要因というか、その頃すでに依存症になる資質みたいなものが自分の中にあったんでしょうかね。
それが過酷な少年期の成育環境と相まって、後にアルコールや覚醒剤と出会うことによって嗜癖というか、病的な依存につながっていったんでしょうね。
―病的かどうかの線引きは置くとしても、人間誰しも依存ていうのはありますよね。
子どもが母親に依存するように、それはもう当たり前の風景だとは思うんですが、そのいわゆるアディクションとして嗜僻的な方向に、病的な依存にまでなっていくという、その異常なのめり込み方ですよね。
そこのところの一線を越えてしまうっていうのが、まさに依存症という病気の領域だと思うんですが、一線を踏み越えてしまったことで当然ながら、意識も行動も狂っていきます。狂気の世界に踏み入れたことで、いろんなトラブルを引き起こします。
今思い出されて、例えば進藤先生の場合はヤク中となったことで、自分の中で思い出すトラブルというか一番ひどい状態の体験みたいなものは振り返ってどうですか。
ここらへんが本当に大変だったな、っていう話ですが、エピソードも含めて何かありますか?
■「力こそ正義」の世界で目いっぱい虚勢を
進藤 うーん、狂ってた頃のエピソードですか。ありすぎるぐらいあるけど、大変だったのは、さっきも言ったけど一回目に覚醒剤やったときですよね。
多分ものすごく量が多かったと思うんですけど、そこで倒れたんですね。もう本当に二日くらい寝れない状態で幻覚を見ながら、「頼むから普通になってくれえー」というような感じでした。
あと変な言い方だけど、その後に中毒も板についてきた時に、けっこう派手な抗争事件があったりしてね。もうそれこそ、エスカレートして人殺しに行かなきゃいけない時とかに、先輩たちと景気付けに覚醒剤を打ったりなんかしてね。
そう、抗争事件の中でね、だけどもう自分がヨレちゃっているから、本当に追われてるのか分からないけど、木刀とかいろんな道具を持った連中が車で追いかけてくる。幻覚の世界だから、あれがいまだに分かんないんですけど…。
それに対して僕たちは、ただ偵察に行って丸腰だから、ひたすら車を走らせて逃げる。今考えるとヤクザが抗争場面でヨレて逃げ帰っちゃうだから、なんか漫画みたいな光景だけど、そういう場面があったですねえ。うーん。
とにかくシャブで狂っていだ頃は宇宙人的な、あり得ない話というか、笑っちゃうよな話がたくさんありますねえ。シラフになると赤面しちゃうような体験があります、はい。
―栗原施設長も過去のヤクザ時代には覚醒剤絡みの抗争事件で大変な経験があったんですよね。
栗原 そうなんです。覚せい剤の利権に絡んだ抗争事件だったんですけど、最初は大したことじゃないんですよ。
それがお互いにクスリ(覚醒剤)によってどんどんエスカレートしていって、いつの間にか大人数が集まって大規模な抗争事件に発展して、発砲事件にまでいってしまったんです。
私はその事件で逮捕され、結局は懲役9年か10年ぐらい、かなりの長期刑で刑務所に行ったんですけど、その間にまあ重傷を負わせた相手が死んでしまったという、そういう悲惨な事件がありました。
それはやっぱり、今考えてみると元はクスリが原因だったんだなあ、と。クスリで狂っているから怖いものなしで気分が高揚して、抗争がどんどんどんエスカレートしていくんですよ。
両方が人を集めて、それがぶつかりっこしてね。そうして自分でも予想外の、ヤクザ同士の大規模な抗争事件にまで発展したわけなんです。当時、新聞でも大きく報道されましたけど。
―お二人とも裏社会というか、戦争と同じように極限のパワーゲームというか、殺すか殺されるかの状況下で生きてきたわけですね。活動時期こそ違うけれども、「力(暴力)こそ正義」という任侠道の世界で、目いっぱい虚勢を張って生きてきた。
その際に覚醒剤は、それを補強する材料というか、徹底的に自分を強く見せる偽物のパワーがある。なにせ戦争中は「特攻錠」として玉砕覚悟の特攻隊員が恐怖心を抑えるために飲んで出撃したらしいですから。
そういう一時的な幻想の世界というか、シラフではとてもできないのに、束の間の陶酔感にのめり込ませることで万能感を駆りたてて、自分をスーパーマンだと錯覚させる。そんな悪魔の力みたいなものがあるんですよね。
そういう中で栗原施設長は曲折を経てダルクにつながって、幸運にも依存症からの回復の道を歩まれた。一方の進藤先生の方は神と出会って自力? での回復って言っていいんだと僕は思うんですが、依存症を克服していく。
そこはとても興味のあるところなんです。その辺を具体的に話していただけますか? まずは進藤先生からお願いします。
■ダルクにこそ他力でなく自力を感じる
進藤 まあ自力と言えば自力なんでしょうが、ここは信仰の世界ですから、僕たちは浄土宗的に言うと「他力」なんですよね。要するに神の力をもって克服できた、と。
だから自分自身の思いからすると、今言われた自力とは真逆なんですよ。僕は神様の力によって、他力によって、要するに神の力にすがることで克服できた、信仰の力でね。
でもダルクを見てると、逆に僕は皆さんにこそ「自力」を感じるんです。そこには神が無いと思えるから。
もちろん皆さんには12ステップがあって、ハイヤーパワー(自分が信じる神)があるかもしれないけど、そのハイヤーパワーっていう目に見えない力っていうのは、僕たちにとっては神であり、イエス・キリストだ、ということになります。
だから、この他力っていうかね、ここに救いがあると思うんですけども。僕たちにとっては何かこう、ハイヤーパワーっていう言葉で、雲隠れさせてる感じですね。
―そのご指摘は興味がありますね。「雲隠れ」ですか?
進藤 まあ、それはしょうがないです。これは多分にそのー、行政が入ってくるとニュートラルな形にせざるを得ないでしょうから。
でも元々は、アメリカから始まったのはキリスト教的なものだから、元々のことを考えれば同じなのかなと思います。
要するに僕たちから言わせれば、ハイヤーパワーっていうキリストが皆さんを救いに導いている、依存から救い出していく、つまり魂の霊的な解放なんですよね。
だから、どんな宗教かというと「解放」の宗教なんです。囚われからの解放…。
で、先ほどの「満たされない思い」という子どもの時の話につながりますけど、僕の母親はね、実は栗原さんがいた組事務所の下で長年、水商売をやっていたんです。ほんと、奇遇ですけど。
で、その後にここのスナックで独立したんですよね。当然、母親は夜は仕事してるから家には居ないでしょ。一人っ子で兄弟もいませんし、結局、家庭で満たされないから外に行くんですよ、子どもは。
非行の問題ってのは、大体が家庭で満たされない子どもが家の中に自分の身の置きどころがないから、外に居場所を求めていくところから始まる。でも、それでも心は満たされない。
で、次に満たされない思いは友だちに行き、そこでまたいろいろ動いてはみるんだけど、やはり満たされない。今度は女に行き、っていう形で次第に依存のシステムが自分の中に構築されていく。
そういう形で最終的には身体に害のある薬物やアルコール依存症という、厄介な病気になっていくと思うんですけど。
僕はやっぱり自分の依存の問題が、その家庭で満たされないところから始まっていたんだなあ、と。
でも、最終的に刑務所の中で聖書と出会い、神様と出会った時に、この「自分では変えられない」という自分の「自力」ではダメだと、いうところから新たな歩みが始まるんですね。その構造は、ダルクも同じだと思うんですよ。
そこはもう、だから一緒だと思うんですよね。
―施設長も幼児体験の中で満たされない思いがあったと思うんですね。先ほどの話だと虐待扱いを受けたというのが依存症の原点ですかね。
■「もう死んでやれ!」と自宅の井戸に飛び込む
栗原 そうですよね。戦後間もなく不遇な幼年期を経て不良の世界に入っていくという、うすうす自覚的になったのは七歳くらいなんですがね。
その頃、「もう死んでやれ!」と思って自宅の井戸に飛び込むとかっていう、そういう自暴自棄な体験をしているんですけど。
やはり愛情不足というんですかね、そういう満たされない少年期を経てアルコールに走っていったわけです。
子どもながら、もう力に頼るしかない、自分が頼れるものは力、目に見える形の暴力ですよね。
その頃の任侠映画の影響もあったのかもしれませんが、男の意地とか根性とか、やたらと強い人に憧れていって、ヤクザの世界に真っ直ぐにこう、行ってしまったんです。今考えれば、それは虚勢にしか過ぎなかったんですが。
だから当時は、酒を飲むと非常に元気がいい少年でね。それなりの武勇伝もあるんですけど、まあ、なるべくしてなったという感じですね。
だから割合、自然な流れで任侠道というか、ヤクザの世界に憧れて足を踏み入れて行ったわけです。
―先ほども触れましたが、そこにおけるアルコールや薬物、覚醒剤はですね、それは自分が強い人間だと錯覚させるわけですよね。
例えるならトップアスリートが、自分の限界を超えてパワーアップしようと、ルールに違反しても筋肉増強剤を使用するように、万能感を得られる魔法の薬となるわけでしょ。
結局シラフの自分っていうんですか、酒にしろ覚せい剤にしろ普段の酔ってない状態では自分を保てない。シラフの自分を肯定できないということが根本にあるんでしょうか? ありのままの自分を認められないというか…。
栗原 うーん、シラフの自分ねぇ…。やはりどこかで自分をつくっていたんでしょうね。こう、鎧をまとう感じで。自分はこうあるべきだとか、人に負けてはいけないとか、一種の防衛本能みたいなものかな。子ども時代から一人で生きていくしかなかったですからね。
とにかくシラフのままでは、ありのままの自分を支え切れないから、何かこう虚勢とか鎧とかで弱い自分を包みこんでね。目いっぱいヤクザの正義感を前面に出して、やれ意地だ、根性だってね。そう自分に言い聞かせて、一生懸命に自分の弱さをカモフラージュしてたんだと思います。
普段の生活では、それがなかなか自分の中でみなぎる力とならないから、パワーを成熟させるためにお酒だったりクスリだったりに頼る。そこに段々と深入りしてったということですかね。
■「人間って不完全なまま子どもを産む」
―進藤先生の場合はどうでしょうか。シラフの自分、ありのままの自分を肯定できないという問題なんですけども。
まあ、現代社会というのは、そういう意味ではストレスがいろんな形で多いですよね。あれこれストレスが充満する社会。しかも強固な学歴社会ですから、子ども時代から激烈な競争の中に投げ入れられる。
小さい頃から「他人を蹴飛してでも、自分の力でのし上がれ!」みたいな雰囲気や価値観の中で育っていくわけなんですけど、今、栗原施設長が言ったように「虚勢」を張ってというか、何かやっぱりその、ありのままの自分を生きられないというか、肯定できないという問題が、現代社会の病理でもある依存症問題の根底にあると思うんですが、それについて進藤先生はどう考えますか?
進藤 基本的にですね、人間ってやっぱり、不完全なまま子どもを産むと思うんです。アダムとイブの堕落以来ですね、罪が入って以来、人間は完璧じゃないわけですから、どんなに成熟したとしても人間って完璧にはなれない。
そういう人たちが成人して親になり、それなりに愛情と情熱を傾けて子どもを育てていくんでしょうけれども、そこにはどうしてもひずみが出る。
とりわけ僕たちの親の世代っていうと、戦中生まれか、戦後すぐの団塊の世代だったりするわけで、苦労して働いて日本の高度経済成長を支えてきた世代です。
多くが仕事中心で生きてきて、人一倍忙しい生活を送ってきた。そういう心を失う社会の中でね、それでも必死になって僕たち子どもを育ててきてくれたと思うんですよ。
それだったらまだ親として合格点かもしれないけど、もっとひどい人たちもいるわけですね。だからと言ってグレていいのか、依存になっていいのか、っていうのはまた別問題なんだけれども。ある子はやっぱり自分の親がポン中で、虐待されて育てられたとか、自分の親に彼氏を寝取られた、っていう話だってある。暴力を振るう親にしょっちゅうブッ飛ばされたりとか、本当に耳を疑うようなことがあります。
僕たちだって、そんな同じところにいたんだなと思うと、本当に怖いですよね。昔も今もそれは変わらないかもしれないけど、今はテクノロジー万能の時代でしょう。
2020年夏のオリンピックが東京に決まったけど、今から半世紀近く前の東京オリンピックの時だって、僕はまだ生まれていなかったけれども、新幹線や首都高速道路が開通して、「戦後は終わった」って感じでみんなスゲーって思っていたんでしょう。
今はあの頃とは比較にならないぐらい、もっとすごい便利な世の中になって、僕たちを取り巻く時間がどんどん速くなった。スマホや携帯で誰とでも連絡を取れるっていう時代に僕らは生きている。
確かに便利なんだけど、それだけに覚醒剤だって簡単に手に入るようにもなった。悪い方の人たちも同じように便利に商売をするようになったわけです。昔はシャブなんて暴力団やその周辺の風俗、水商売ぐらいでしたよ、使う人は。
だけど今は、善も悪も全部一緒くたになって成長して、昔は思いもしなかったほど簡単に、いろんな欲求を満たしてくれる社会になったけど、それに応じて心も豊かになったかというと逆に貧しくなっている。
じゃあ、どう生きたらいいの、そこでどうするかっていう問題が今、切実に問われている。みんな答えが見いだせない、生きるビジョンが見えないという混沌の中でね。
恐らく三、四十年前と比べると、こころを病む患者や精神病で病院に通う人たちは倍増していると思いますよ。それは現代社会が本当に心を無くしている証拠ですよね。薬物の汚染も社会のすそ野にどんどん広がっていると思います。
■依存は制度の手直しだけでは解決できない
―すいません。さえぎる形になってしまうんですが、そういう先の見えない、不安な時代だけに、これまでは浮上してこなかった依存症、アディクションが深刻な社会問題となっている側面があると思います。
それで僕が思うに、行政というか国の対応というのは十年一日のごとく変わり映えしないですよね。薬物問題で言えば、聞こえてくるのは相変わらず「ダメ。ゼッタイ。」の空しい掛け声ばかりで、この国には罰を与える仕組みしかない。
一貫して、厳罰化すれば薬物の乱用は解決できると錯覚してる。でも厳罰化したからといって、この国に違法薬物がなくなるわけはありません。どんどん厳罰化の流れになってますけど、一向に減っていない。
逆に薬物汚染は巧妙な手口で広がりを見せるばかりで、今や子どもたちや家庭の主婦にも広がっている。それだけじゃなく政界、経済界、法曹界、教育やスポーツの世界…と、もう汚染の垣根は完全に取り払われている。薬物を取り巻く社会環境は少しも良くなっていませんよね。
そういう中で国も財政がひっ迫しているから、現実的な対応にシフトし始めた。薬物事犯者を刑務所に入れるだけでは再犯の多さを食い止められない。国家負担ばかりが重くなって、らちが明かないと考えるようになってきたんですね。
だから国もここにきて、やっと重い腰を上げ始めた。再犯が大半を占める薬物事犯に対しては「刑の一部執行猶予」制度が現実のものとなった。
三年後には、その法律が施行されるみたいですが、こうした動きについてはどう思われますか。
進藤 ちょっと長くなって申し訳ないんですけども、答えになっていないかもしれないけど、僕が言いたいのは薬物依存と取り締まりのイタチゴッコに終わりはないってことです。
今言われた国の対応、制度的な流れも含めてね、時間はかかるとしても、それは少しずつ変わっていくでしょうね。
日本の社会って世間の目をとても意識するから、すごく気にしますよね、世間体を。だから、それにひっぱられて社会防衛の面からも厳罰化の動きは否定できないと思います。
でも、国も借金漬けで大変だから、欧米のように「司法対応から医療、福祉へ」という流れに少しずつ舵を切っていくでしょう。僕も、それは現実的な政策になっていくと思いますよ。それは避けられない時代の流れだと思います。
でも、依存の問題はそうした小手先の制度の手直しだけでは解決できませんよ。もっともっと手ごわい問題ですよ。なにしろ本質的には、難しい心の領域の問題が関係していますからね。
いくら文明が発達しても、科学や医療技術が高度に発達しても、心の闇は見通せない。どんなに豊かな社会になっても、心の空洞は埋められませんからね。
逆に、寂しさに耐えきれず、孤立して薬物に依存する傾向が強まるかもしれない。うん、これは人類永遠の課題かな、しょうがないですね。
■たった一人出迎えてくれたのが姪っ子だった
―よく依存症ってのは「寂しさの病」って言われますが、その寂しさを埋め合わせるためにアルコールや覚醒剤などに頼るようになるんでしょうね。
その基本構造はどんなに時代が移ろうが、変わりようがないでしょうね。
振り返ってみると僕らが子ども時代、昭和三、四十年代ですが、どこでも裸の付き合いがあって、人間関係もストレートにぶつかり合っていました。
それが世の中すごく便利になって、核家族化が進んだ。すると人との付き合いも裸のままじゃなくて、よそいきの衣をまとうようになった。
おまけに少子高齢化の波が押し寄せて、子どもがすごく大事に育てられている。だけれども、肝心な愛情の部分では響き合う親子関係がうまくつくれていないケースが多くなった。
あちこちでコミュニケーション不全が拡大しているように思うんですけども、そういう時代の変遷の中で、薬物ってのは確かに入手しやすくなってるし、蔓延してるってのは言えると思うんです。
その一方で回復のルートを考えた時に、AAなんかはもう四、五十年の歴史になりますかね、ダルクもあと二年ほどで三十年ですね。もう立派な一角の歴史なんですけども、そういう中でダルクが果たしてきた役割は無視できません。
そこで、その意義っていうんですかね、日本では長い間、薬物中毒か乱用かっていう概念しか無くて、非行や犯罪の色メガネでしか世間は見てこなかった。
そういう考え方しか無かった中に、ダルクは当事者の自助活動として登場し、「薬物依存症という病気なんだ」、しかも「回復できる病気なんだ」と力説してきた。
栗原施設長はそのダルクで助かったわけですが、改めてダルクの存在意義についてはどのように考えますか?
栗原 そうですね。ダルクについては刑務所の中でも一応聞いていたから、その存在は知っていたんですけどね。私の場合、前橋刑務所を満期出所して三日でアルコールを飲んでぶっ倒れて、気づいたら留置場の中でした。
その時に包丁持ってたもんですから銃刀法違反で逮捕されてね。まあ、飲酒それ自体は合法なわけで何ら法に触れることはありませんから、トラブルを起こさない限りはね。でも、その時に取り調べした検事が温情ある人で、起訴猶予にしてくれた。
実は私の出所時に、たった一人だけ出迎えてくれたのが身元引受人になってくれた姪っ子なんです。NAメンバーのアノニマスが「ロバ」という私の姪っ子なんですけども、彼女を身元引受人にして、処分保留という寛大な処分をしてくれた。
その代わり「ダルクに入りなさい」という条件付きでね。で、私はその足でダルクに連れて行かれちゃうんですけど、その姪が北関東を横断する形で車を運転してくれてね。群馬から千葉、茨城とね、ありがたかったです。
そこで初めてダルク、NA、12のステップというものに出会うんです。不思議なことに、ダルクで初めて自分の居場所を与えられた、っていう感じがしました。
そうして「ここなら俺はクスリをやめていけるぞ!」っていう決意というか、覚悟みたいなものが持てたんです。それまでとは何かが決定的に違ってました。
過去七回も刑務所を出たり入ったりしていながら、やっと与えられた自分の居場所だったんですよね。そこがダルクだった。結構、中には逃げ出すのもいたんだけど、私にとってはとても居心地のいい場所だったです。
それまで私が刑期を終えて出所する時には毎回、暴力団仲間が車で迎えに来て、必ずクスリが一本付いていた。腕さえ出せば体に入ったという環境にあったんです。刑務所を出るやいなや「出所祝い代わりに一発」でした。
それが七回目の出所の時にはまったく状況が違っていて、何ものかに導かれるように、やめる場所に連れて行かれた。だから姪は私にとっては命の恩人。彼女がいなかったら、私はとっくに野垂れ死にしていたと思います。
■ウチの教会ではクスリの欲求が出てこない?
―なるほど。そこで栗原施設長は初めて、ご自分の「底つき」を経験した、ということになりますね。もはや自分の無力を認める段階に差し掛かっていた…。
栗原 そうですね。あの時が決定的だったかなと、振り返って思います。
ダルクで言うところのハイヤーパワーが私の回復にとってじゃまだったものを、あの時初めて全部取り外してくれた。だからお手上げ状態になれた。私の回復は、あそこから始まったんです。
―その時、栗原施設長は既に六十歳、還暦だったわけですよね。いくら日本の社会が高齢化社会だとしても、六十歳っていえば定年退職の年齢です。
普通なら仕事終えて人生の大きな責任を果たして、あとはゆっくりと余生を楽しむというか、悠々自適の年金生活に入るわけですが、そういう中で六十歳にして新しい人生に踏み出すってのは、僕なんかからすると掛け値なしい「すごいなあ!」っていう感じです。
恐らくダルクの中では最年長の回復記録でしょう。
栗原 もうね、刑務所でも「クスリをやめたい」ってのはあったんです。何回もそういう気持ちはあったんですけど、シャバに出るとすぐに欲求に負けちゃう。
それまでの決意なんて簡単に吹き飛んじゃう、刑務所を出ると全く違う世界に出ちゃうんですよね。
それまで私の出所時に迎えに来てた連中にしても、目の前にクスリが現れれば、それまで抑制されたものが一挙に噴き出る。二倍にも三倍にも欲求が膨らんで、自分をクスリに真っ直ぐ向かわせるんですね。たちまちとりこになってしまう。
目の前にシャブを溶かしたポンプ(注射器)を出されると、人格が豹変したように、制御できない自分になってしまうんですよ。
―まさにそこが依存症の怖さ、悪魔の正体ですね。進藤先生は振り返って、ダルクと出会ったという時の様子はどんな感じだったんですか?
進藤 僕もダルクについては、刑務所の中で何度かそういう施設に入っていた人とから話を聞いたりしていていました。
だから一番最初の刑務所の時は、よっぽど「俺もダルクに入んなきゃダメかな」「こんな所に出入りして、俺の人生は終わっちゃうのかな」なんて思いながらね、漠然とダルクのことは考えていました。
でもそれは一時的なもので、出ればまた栗原施設長の話じゃないけど、迎えに来てる連中が、元の帰るところが腕出せばシャブを入れてくれるようなところですから、やめる環境など無かったです。
で、これは皆さん不思議に思われるでしょうが、ウチのこの教会では、みんなクスリをやりたいという欲求が出てこない、って言うんです。薬物依存のみんなが「これは奇跡だ!」なんて言ってます。
もちろんそれは神様の奇跡でもあるけれども、もっと言うなら「やめられる環境に自分を置く」ってことが大切だと思うんですよね。
やめられる環境(ダルクや教会)に自分を置いたからこそ、また自分が何とかして回復したいという熱い思いがあったからこそ、神様がその後押しをして今があるわけで、まあ実際に僕はダルクとの関わりというのは、この教会を始めて、ダルクの施設長だった人間がスリップをして、奥さんがSOSでこっちに来たのが始まりです。
その人の友達とか、ダルクの人は何人かがここに来ています。またある人は、ここで洗礼を受けてから再度クスリを使い、そして再び刑務所に入り、また戻ってきたというケースもあります。その人は今またダルクにいるみたいですけど。
もう一人は、僕と一緒にテレビ番組にも出てくれた兄弟ですけども、彼はとりあえずおとなしくしていて、洗礼を受けてます。刑務所へも戻らず、神学校に行きました。なかなか卒業できないでいるみたいですけど、でも頑張っています。
あとは沖縄のダルクですかね、これまで講演に2回ほど行ったんですけど、そこの施設長もやっぱり悩みながら、今は教会で洗礼を受け、つながっているみたいなんです。
やっぱり施設長も牧師みたいなもんで、いろんな人のケアとかが大変らしくて、ストレスでスリップしちゃう人も多いみたいですね。
ダルクとの関係というか、僕は実際にはここに来て牧師になってから、そういう形でダルクでスリップした人たちと関わったのが最初ですかね。
進藤牧師との対談②
■3回目の服役の時に運命的に聖書と出会う
―今、進藤先生からダルクとの関わりについてお話し頂きましたけど、ダルクって簡単に言ってしまうと「薬物をやめる訓練をする居場所」ですよね。
そして、そこにはやめるためのツールとして12ステップがあり、同じ依存症の仲間がいる空間、ということだと思うんです。原型は自助グループのNAだったり、AAであるわけで、そこにつなげる動機付けを図る空間でもあるわけです。
やめる環境を専門につくるために、まず道具としての12ステップ、つまり回復のプログラムがあって、それを補強する環境要因として同じ体験を持つ仲間がいる。
まあ、それで全員が回復するわけじゃなくて回復率はせいぜい3割ぐらいでしょ。一通り回復プログラムをやって、どうにか回復したかなと言える人たちの数ですけど、これをどうとらえるか?
以前ならダルクは、3・3・3・1の法則なんて言われてましたよね。回復者はよくて全体の3割、プログラム途中でいなくなるのが3割、病院や刑務所に逆戻りするのが3割、残りの1割は死んでいく人たちでした。
自死にしろ事故死にしろ、今はかなり減ったと思います。各地にいろんな個性あるダルクができて、自分に合った多様な回復のあり方にチャレンジできるから。
評価は分かれるかもしれないけど、回復率3割は凄いと思いますよ。プロ野球だって3割バッターなんて数えるほどでしょ。それに専門家集団じゃなくて素人集団ですからね、ダルクは。それ考えたら僕は凄いと思います。
だからダルクで救われている人たちが、まあ全員じゃないですけど、あちこち行ったり来たりしてね、それで何となく回復に向かっていく姿というのは決してばかにできない、僕はそう思います。
それで話を戻させてもらって、進藤先生が依存症に苦しんでおられた時、刑務所内で神の啓示を受けた。回心して行く過程ですね。そのあたりの原点のところについてお話を伺えればと思います。
進藤 3回目の服役の時にですね、要するにその、自分が覚醒剤で組の方からもすっかり信用が無くなって、自分から一回フケた(逃亡した)んですね。なんとか自分をリセットしようと思って。
もう一回、若い人も増やして組に戻ろうかなと思っていたんですけど、結局はシャブをやめられませんでした。
それで相変わらず一匹狼のシャブ売人でいながら、細々というか、太々というか、大胆にというか、さんざんやってましてね。
で、その間に結局、覚醒剤取締法違反で捕まってしまった。組との関係も途絶えたままですから、捕まるとやっぱり銭の切れ目が縁の切れ目というか、ネタの切れ目が縁の切れ目で、しかも女にも逃げられた。
これから刑務所にお務めなきゃならないというのに、奥さんもいない、組織とも無縁…、もう本当に一人で途方に暮れたんですね。
組織の人間には「捕まったから、じゃあもう一回戻るから面倒見てくれ」なんて、務めを終えて出てきてからだったらまだしも、自分勝手に出ていった立場だから口が裂けても言えませんよね。
かと言って、僕は一応四次団体のナンバー2というか代行だったんで、変なプライドがあってですね。
今までそのー、下にいた人間の所に行ってね。また下っ端からなんてとてもやれない、っていう気持ちもあった。この期に及んでも何か形を付けて帰ろう、なんてことばっかり考えた矢先の逮捕だったんです。
で、家族からも見放され、どうやって生きて行こうかな、と。かと言ってヨソの組に行くほど甘い世界ではないのでね。実際のところ自分の組ってのは、本当に敵に回してはいけないぐらいアレですから…。もちろんその組に恩義もありますし、とてもヨソの組になんかには行けない。
百歩譲って組に戻るにしても、自分の性格からして、とても一からはやりたくない。出所したとしても、とてもビジョンが描けない状態だった。
だって社会に出たらペーペーで、学歴も無い、職歴も無い、指も無い。逆になくてもいいじゃまなだけの刺青はある。そんな中でどうやって生きていこうかな、と。
そう思っていたときに、運命的なんですけどね。聖書に出会うんです。その前、二回目の刑務所の時にも、実はキリスト教と出会っていたんですよ。出会っていたけども、ただ通り過ぎただけでした。
■「自分もミッションバラバになってみたい」
というのはキリスト教と出会うといっても、刑務所の中のキリスト教集会っていうのがあって、そこに行けば違う工場の人間と話ができる、ってだけの話でね。聖書に出会う前の僕にとってはね。
そこでですね、同じ系列組織の人間と一緒になりたくて、そこで待ち合わせして、お互い顔を突き合わせて、いつも話し込むんです。そういう感じだから、キリスト教の話なんか全然聞いていなかった。もっぱら組仲間と話をするのが目的だから、話を聞く耳なんて持っていない。
で、その中でお祈りの時間があって、皆さんがお祈りを真剣にするんで、僕たちもこう形だけでも聞かなきゃいけないな、と思ってたわけ。一応、話をずっと聞くときに、やっぱりその「ヤクザがやめられるように」とか、「社会復帰できるように」とかっていう、お祈りをするんですよ。
その当時、ミッションバラバっていう、僕たちの先輩で元ヤクザから牧師になった人たちが何人かいたんですね。で、ちょっとしたムーブメントで、その関係の本も出てたりしていた。
で、僕はそれ読んでたから、実に「けしからん」と。「真面目にやってれば幸せになれる」って言うんですよ。すごくねたましいでしょう。当時の僕の心情からはね。ヤクザのなれの果て、そのものだから、「この野郎、うそつくな」「偽善じゃねえか」「ヤクザ食い詰めておいて真面目な人間をだますな!」みたいなね。
そう思ってたんですけど、でも自分が実際に破門みたいな形になり、家族からも捨てられて一人ぼっちになったら、今までねたんで「この野郎!」と思っていたミッションバラバが、逆に今度は「自分もああなってみたい」っていう、自分でも意外なほど素直な心持ちに変わっていったんですよ。
なんかこう、「神様にすがれば本当にそうなるんだろうか」っていうね、そういう素直な思いになってですね。で、「ああ、あの人たちのようにお祈りをしたら、もしかしたら俺もあんなふうになれるかもしれない」と思って、別れた妻にね、妻というか内妻なんですけど、それに「聖書を差し入れてくれ」と頼んだんです。
「もう俺から自由になっていいから」とか言って、その条件と引き換えに聖書だけを差し入れてもらったんですよ、本当に。それが、彼女とのお別れの合図でしたね。
で、もう誰も頼るわけにはいかないですから、本当に必死になってこの聖書を読んで、何とかして神に出会おうとね、あの時は自分でも不思議なくらい真剣でした。学校でもろくに勉強したことがないのに、自分でも不思議なくらい熱心に読みました。
で、一冊読んだ中で神様と出会うことができなかったら、もうこれはやめよう、と思っていたわけです。「俺はキリスト教には縁がなかったんだ」と諦めようと思っていた。
■「私は悪人が死ぬのを喜ばない」に目が止まる
でも、聖書の中の一節に目が止まったんです。それは「私は悪人が死ぬのを喜ばない。かえってその悪人が、その態度を悔い改めて生きることを私は喜ぶ」と書いてあったんです。
その時に、僕は神様の霊が自分に働いた気がしたんです。体が震えるような感じになって、「ああ、神様はいるんだ。そして私自身がやり直すことができるんだ」と。それで「どんな人間でも悪から離れて立ち返ることを、神様は望んでる」ってことが理解できたんです。
で、ここで初めて更生というか、社会復帰に向けて「よーし、やってやろう」というような気持ちになれたんですよね。
まあ、僕はどこ行っても話すことは同じで、言いたいことは「腹を括る」ってことなんですよ。一番大事なことは、自分が目の前のその事に対して腹を括れるかどうか、ってことなんですね。
ダルク来る人だって、ここの教会に来る人だって「クスリをやめたい」とかね、「社会復帰したい」とか言って来るわけですよね。だから腹の括りようですよ。それをまた人間って、どうしても一人では弱いから、ちょっとしたことで挫折したりする。やっぱり仲間とかね、そういうのが必要なわけで。
ここに来る人たちも、更生できる人とできない人の違いは、「腹ひとつ」だと僕は思う。その人たちは「宿借り」でね、行く所が無いから雨風しのぐ場所、金が無いからってここに来るだけなのか、それとも人生を本当に一八〇度ガラリっと変える、そのエネルギーをここで出したいのか、その差だと思うんですよね。
―それはアレですかね。言葉は適切ではないかもしれませんが、タイミングの問題もありますよね。その人が置かれている運命の中で多分、いろんなすれ違いがある中で、ただ一点だけ自分が状況と交差する瞬間って言うのかな。
まさしく進藤先生が刑務所内で聖書と出会い、キリスト教の神と出会う瞬間がそうですよね。一回目には出会えなくて通り過ぎたけど、二回目の時に運命的に出会えた、その瞬間。偶然というよりも運命的なものを感じますよね。
恐らくその時には、こちら側は受け入れる素地できていて、向こうから与えられる要因とうまく合致したときに、初めて運命が開花するっていう感じでしょうか。
進藤 まあ、それもあるでしょうねえ。
■「腹を括る」ことは「どん底を認める」こと
―その、進藤先生が今言われた「腹を括る」っていうことなんですが、僕はすごくいい言葉だと思ったんですけど、ダルクでもそれは言えますよね、回復に向けてのターニングポイントとして。これについて栗原施設長は何か感じるところがありますか?
栗原 それをダルクでは「どん底」って言っていますね。どん底を経験するということ、どん底を認めることが、進藤先生の言葉なら「腹を括る」ところなのかな、と思います。その辺が私たちと一緒なのかなと…。
今、先生の示唆に富むお話を聞いて思ったんですけど、その、どん底を認めるって、実はこれ大変な作業なんですよね。
人間少なからず誰しも、プライドとかいろんな譲れない感情を持っているわけで、いい時には人間関係の潤滑油っていうか、プラスに働くんでしょうけど、時には邪魔な要因にもなる。特に依存症の回復においては、ゆがんだプライドほど厄介なものはない。
他ならない私自身がそういう存在でしたから。それを取り除いて、本当の弱い自分を認めるってのは、こりゃあ、一筋縄ではいかない。本当にそれこそ腹を括んなきゃできないことですよね。
「落ちるところなで落ちた。よーし、やってやろう」とか、進退極まって、この先進むも地獄、戻るも地獄という不退転の位置に立たないと、なかなか人間って自分の無力を認めることなんかできやしない。
そういうというところへ行くんだろうと思うんです。実際、私は六〇歳でダルクにたどり着いたけど、一番嫌だなと思ったのは「刑務所の中で死にたくない」「獄死だけは避けよう」っていうことだったですね。
六〇歳という年齢でしたから、それまで受刑者を何人も見てますんでね。獄死する人も。それだけは避けようというは、自分の中でずうっと持ってました。
そんなことで何度も塀の中とシャバを往復する人生を繰り返してきて、先ほど述べたように最後七回目の時に出所して前橋刑務所の門を出た。
でも、先ほどの進藤先生の話じゃないけども昔の仲間は誰も迎えに来ていない。唯一、塀の中にいた時に文通していた姪っ子だけが迎えに来てくれたけども、ヤケになって酒をくらい、三日三晩飲んでいた。
彼女がダルクにつなげてくれた恩人なんですけど、自助グループに通って、ひと足早く薬物依存症から回復していた。姪っ子だから私の子どもと同じ年齢だったんですけど、依存症の世界では先輩の回復者で、先行く仲間だったんです。
先ほどはそこまで話せなかったんですが、その子がずいぶんと心配して骨を折ってくれた。でも、実はそれでもストレートにはダルクに行けなかったです。依存症って一筋縄ではいきませんから。
で、出所して昔の兄弟分に電話して、「おい、カネ」って言ったんです。そしたら「ふざけんな。いつまでそんな偉そうなこと言ってんだ」なんて言われて、頭に血がのぼってカーッときて、もうそれで、すぐに包丁買ってね、そいつんところに行った。当然シラフじゃないですよ、酒かっくらってね。
それで気が付いたらもう留置場の中、という状態で。これも後で正気に戻って、いろいろたどってそういうことがよく分かったんですがね。
その時に思ったんですよ。自分は塀の中でそれなりに反省してきたにもかかわらず、何にも変わっていない、そういう自分なんだって。自暴自棄というのかな、でも死ぬこともできない。情けなかったですね。
かと言ってもう六〇歳だから、さっき話したように世間で言えば定年退職の年齢ですよ。しっかり社会で仕事をしていれば、やっと人生の重い荷物を下ろして、そのおつりをもらう段階でしょ。ところがこっちは真っ裸のまま、世知辛い世の中に放り出された。
■「3年間はダルクで辛抱してやろう」と決意
とにかく私は、ヤクザ一筋の人生だったから仕事らしい仕事をしてこなかった。これといって、生きて行くのに役立つノウハウも手に職も何もない。にもかかわらず、自力で生きていけと荒野に一人ポツンと立たされたわけです。
ポン中のアル中ヤクザが、どう考えたって社会の中で自分一人の力では生きて行けない。クスリもダメ、アルコールもダメ、それを悟った時に、もう「俺には生きて行く場所はもう、ここしか無いんだな」って。進藤先生流に言えば、腹を括ったからこそダルクで救われたんでしょうけど。
それなんで何とかダルクにしがみついて、ここで「よーし。3年務めてきたんだから、3年間はダルクで辛抱してやろう」って決意した。残りの人生考えたら、もう二度と刑務所には戻りたくない。その時に自分なりに腹を括ったんでしょうね。そこから多分、今につながって来たんだ、と自分の「底つき」の自覚を含めて、振り返ってそう思います。
だから一番の根本はね。三年、世間でいう「石の上にも三年」ですよ。私は自分の体験から、この言葉にはそれなりの意味があると考えています。
今も施設を簡単に見限って出て行こうとする仲間には、「ダルクが増えて、確かにいろんな回復のパターンを選べるようになったけど、どこ行っても同じだよ。最後は施設じゃなくて自分自身が問題なんだから」「だからもう一度、ここでやり直してみないか」って、よくアドバイスします。
自分もそうだからよく分かるんですけど、ヤク中、アル中は怠惰で甘えん坊で、いい加減な人たちが多いんですよ。ずる賢くて悪知恵にたけている…。そこまで言うと角が立つかな。嫌味に聞こえるかもしれないけど、実際そういう側面は否定できない。
見方によっては、人間誰しもダメな部分、マイナスの側面を持ち合わせているかもしれないけど、ひときわ「易きに就く」というか、安易な傾向に流れる点でヤク中、アル中は共通している。みんな自分を厳しく律しきれない。
そりゃあ、ある面で言えばみんな褒められたことなんて、まずない人生ですからね、性格がゆがむのも、ある意味仕方がない。小さい頃から家庭にも恵まれないで育っているから。
虐待、いじめ…、ヤク中、アル中はみんな子ども時代に悲惨な体験を経てますよ。一人前に認められた経験をもたないから、当然ゆがんだ人生となる。世間からすれば、アル中、ヤク中なんて意志の弱いダメ人間、社会の落ちこぼれ、ばかりですからね。
だからこの対談でも、後でスピリチュアルの問題がテーマになると思うんですけど、最終的には霊性の部分というか魂の回復、それが一番問われるんだと私は思います。
だって、ダルクでそれなりに一生懸命プログラムに取り組めば、ある程度クスリは止まるし、アルコールも飲まないようになります。私の経験からもね。でも、それだけじゃ本当の回復とは言えない。それだけでは生きるビジョンが見えないから。
魂の一番奥深いところで、謙虚に人間性を取り戻していく。その作業が一番重要なんだと私は思います。そこをきちんと押さえないで、他の障害者問題一般と同じように考えると、依存症の問題は解けないんじゃないでしょうか。
だって回復したように思えても、この病気は簡単にスリップしますからね。裏切られてばかりの現実に戸惑ってしまう。挙げ句には依存症に悪感情を抱きかねない。なんでこんなに面倒見てやってるのに、この人たちは真面目に応えてくれないんだ、とね。
とにかく依存症の人たちを倫理的な視線だけでとらえたり、こらえ性のない箸にも棒にも掛からない、どうしようもないやつらだ、と否定するのは簡単です。でも、本質的にそういう病気なんですから、これは。もう、どうしようもない。
だから近藤さんが言うように、周囲の人たちがどこまで「いい加減さ」を認められるかが重要なんです。そういう意味では、ものすごく周りの忍耐力が問われる病気なんですね。私はそう思います。
■周囲のお膳立てが逆効果になることもある
進藤 僕もね。ここに来る人で、みんな「やり直したいんです」とか、「ここで就職したいんです」とか、あるいは「シャブやめたいんです」っていう気持ちは同じだと思う。その言葉に嘘はないと思う。一応みんな面接してね、それはよく分かる。その気持ちはよく伝わってきます。
僕は宗教家であるけども、「信仰とかそういうのは後からついてくる」という立場なんです。だから、とにかく「今やり直したいのかどうか」「本気かどうか」を見てるんですね。
まあ、できれば「ヤドカリ(宿借り)くん」みたいなのは避けたいな、と思って。最後は、本人にヤル気が無ければ本当にダメですよ、いくら周囲が熱心にお膳立てしてもね。むしろ逆効果になることだってしばしばです。
ここの教会でも、今まで何人か途中リタイアしたケースはありますよ。私から「申し訳ないけどちょっと出てってくれ」と言って、二人くらい退寮させたこともあります。
言うことを聞かない、ルールを守んない。門限を守んないとか、要するに生活する上で基本的なことができない人たちですよね、依存症の人たちは。つまり、ここでの生活に「従う気が無い」。従う気が無いってことは「やり直す気が無い」ってことだもんね。
言い換えれば、本気度が足りないってことだね。だからこれまで二人に出て行ってもらいました。一緒に歩んでも、一回や二回じゃなくて何回にもわたって野放図な生活態度が続いたんで、「もうどうしょうもない」という結論になった。そういうことで退寮を命じたこともありました。
まあ、みんなね。初めの気持ちは嘘じゃないと思うの。それを僕たちは大切にして育ててあげたいんだけども、育てる中でね、一人また一人ってね、そういう怠惰な生活態度を改めないやつが出てくると、腐ったミカンじゃないけど全体に影響してくる。ここは教会だから厳しく律しなければいけないわけで、もちろんそれには僕自身が率先してリードしていくわけだけども…。
結構ほら、アレじゃない。ダルクもそうだと思うんですけど、僕がすごくいいなと感じているのは、ここで生活をして自立をしていった人たちは、ここに生活をしていた人のことをやっぱり面倒を見ますよね。
そして、そういう関係をすごく大事にしてくれますね。で、僕と同じような立場でここに来た人たちを、どうにか導いてあげようとか、助けてあげようとか、っていう思いになるんじゃないですか。
それがやっぱりね「助けられたものは助けていく」っていう、チェーン式というか、つながっていくというのはね、この僕たちのスピリットであってさ。さっき栗原さん「どん底」って言ってたですけど、みんな本当に「どん底」だからここに来るんですよね。
要するに家族がいて、兄弟がいてさ、まあ家族がいなくても助けてくれる仲間や友達がいてさ。みんなそうした環境にはまったくないから、赤の他人で面識も無いここに来るわけでしょう。
■褒められれば、みんな「頑張ろう!」となる
でね、そういう中で立ち直れる人と立ち直れない人の差って何が一番大きいかっていうと、誰かが言ってたんですけど「手放しで喜んでくれる人がいるかいないか」なんですね。
つまり自分がね、自分一人でつまづきから立ち上がったとしても、そりゃあ自分の過去のことから知ってる人だったら「やったね」「よく頑張ったね」って言って喜んでくれるけど、誰もね、過去の苦労や大変だった状況を知らなかったら、そのままでしょう。
何ら評価されないし、認められもしない。人間ってどこかで承認欲求があるから、認められ、褒められれば、みんな「よーし、もっと頑張ろう!」とかなるわけでしょう。
そういう環境にいればいいけど、どっか違う所に行ってさ、そこしか知らない人たちは「ああ、そうですか」「それは良かったね」みたいな鼻で木を括るような反応で、結局そこでも疎外されてしまう。
要するに過去も知りながら、諦めずにちゃんと見ててくれる人、そういう温かく見つめてくれるような社会環境があればいいんですよね。本人が頑張って「どうだ、見たか。俺は社会復帰したぞ。俺は依存症から立ち直ったぞ」ということを見てくれて、「ああ、良かったね」って言ってくれる人、仮にそういう人がいなかったとしても、僕たちは「手をたたく」人間関係をここで作ろうと。
もちろん家族や肉親、周囲はヤク中、アル中の本人に何度も何度も裏切られているから、「もうアンタには手は貸さないよ」っていうふうに、みんなから匙を投げられてここに来ている。家族からは縁切りされ、もはや帰る場所はない。もちろん故郷にも戻れない。
だから家族が無いんだったら、「僕たちは神の家族ですよ」と。「お前らがズッコケれば僕たちは悲しいし、社会復帰して依存症が治れば僕たちはうれしい」というような立場を取る。それが本当の教会だと思うんですよね。
―今のお話は全くダルクと一緒ですね。「罪を憎んで人を憎まず」じゃないですけど、依存症という病気はダメだけど、本人の人格まで否定したら回復なんてあり得ない。それとアル中、ヤク中でも根本で、その人間性を否定しない。どんな人だろうと回復の可能性を信じてあげる。
そうして、助けられた人が新しい仲間を助けていくっていうのは、ダルクで言えば「先行く仲間が後から来る仲間を導いていく」「回復を手助けする」というスタイルですけど、まさしくダルクの活動の原点、「命のリレー」ですよね。
さらに言うなら、いくら過去に前科があろうと、スリップを繰り返す人であろうと、色メガネで見ない。過去は一切問わずに回復を目指す同じ立場の仲間として、掛け値なしに等身大で、その人をとらえる。
「手放しで喜んでくれる仲間がいる」というのも、ダルクの在り方の大事な要素ですよね。社会的な属性や立場、職業、出自、犯歴、性差、身分…一切差別はしない。みんな依存症の回復を目指す同じ仲間なんだ、と。その徹底した共感の眼差しはすごいですよね。
そこには政治家のお偉いさんも社長も、ホームレスもへったくれもない。ダルクの施設長だって、他のメンバーから比べて少しだけクリーン期間の長い仲間にすぎない。決して偉いわけでも何でもない。
よくフォーラムなんか行くと、もう顔を見るやいなやみんなハグして、ちょっと僕はあれには抵抗があるんですけど…。その強烈な仲間意識はとてもうらやましい半面、僕は孤独が好きな方なんでちょっと閉口しちゃう部分がありますけど。
■「神の意思による喜びの分かち合い」
栗原 あれはね、「神の意思による喜びの分かち合い」なんですよ。そう思ってるんですよ、私は。
―だから進藤先生の教会での対応と、ダルクにおける対応は基本的に同じと考えていいわけですね。回復のスタイルというか、その構造的な在り方については栗原施設長、どうなんでしょうか。
栗原 やはり同じと考えていいんじゃないでしょうか。全く同じと言っていいですよね。進藤先生のおっしゃられたことはね、その通りだと思います。
いつも私の中で無条件の喜び、優しさ、思いやり、自制、忍耐、謙遜、誠実…、なんていう言葉が飛び交うんですけど、これらは「神の意思だ」というふうに頭の中に叩き込んで、それに近づけるように日々努力しよう、というふうにね。
そういう人間的で素晴らしい感情を表す言葉の生き方を、自分なりに絶えず日々の生活の中で模索しているんです。まあ、実際にはなかなかうまくいかないですけども。
だって私自身の今の生き方が、過去の意思の全く真逆な生き方になっているわけですから。いわば人生の生き直しですよ、私にとっては。これ自体が奇跡としか言いようがない。
ダルクで回復して手に入れた新しい生き方によって、日々もたらされている「今日一日」のギフト(神からの贈りもの)に、私自身が素直に新鮮さを毎日感じているんですよ、これを生かさない手はない。
ダルクにつながった当初、自己中心的で利己主義で、人に対してまったく配慮のできない人間が、まあ、私自身のことですけど、それが当たり前で生きてきた過去が何十年とあったわけですよ、60歳までの長い負の人生が。
二〇代からね、いや十代からかなあ。それが今、全く真逆で生きられているわけで、ものすごい何か希望っていうか、生きる希望っていうか、自分の命のありがたさを毎日実感できている。
「ああ、この命、やっぱり神様に与えられてるんだ」というふうに感じてね。これって奇跡以外の何ものでもないんです。私たちが信じているハイヤーパワーのスピリチュアルな部分、魂の根源であり、その霊的な力を実感してます。
その辺から今の「生きやすい」人生に感謝しているというか、何だろうねぇ…、うまく表現できないけど、やっぱり「神の意思」でしょうかね。それを常に求めている自分がいることに、改めて気づいているんですね。
■何度でも失敗を認めるダルクは宗教を超える?
―その、何て言うのかな、ダルクとか教会っていうのが、この世知辛い世の中にあってはとても重要な意味と価値を持つということの証左ですよね。ある意味今の時代において、ダルクや教会はとても大切な居場所ですよね。生きることにつまづいた人たちにとっては。
だって、どう考えたって今どき「人はなぜ生きるか」「どう生きたらいいか」なんて青臭いこと、まず考えないでしょ。「そんな面倒なことして、カネになるの?」って言われるのがオチですよね。今の世の中すべて損か得かでしょ。そんな哲学的な命題を日々、みんなが向き合って実践的に考えている場所なんて、どこにもないわけだから。
僕はひねくれ者だから、近藤さんのアレゴリー(寓意)に満ちた逆説の言葉が好きなんですよ。代表的なのが、ダルクにつながった人たちに「クスリをやめることをやめろ!」というサジェスチョン。徹底して自分の無力を認めることを、近藤さん流にアレゴリカルに言ってるんだと思うんですよね。
今の日本の社会って本音が通じないというか、建前ばかりの社会でしょう。そこにストレートに釘を刺してもはじかれちゃう。だったら、やはり直球よりもカーブの方がじわじわと効くんです。この微妙なさじ加減は近藤さん一流の表現だけど、結構的を得てますよ。
だって、今の世の中って目詰まりで、ものすごく競争でギスギスしているでしょう。いろんな意味で遊びや余裕を失くしている。依存症は既存の医療領域からこぼれ落ちる狭間の病気だから、そうした社会の矛盾を鋭く反映して、この病態に集中しているように僕は思うんです。いわば時代の病理ですよね。
こと依存症に関しては、専門とされる精神科医も無力ですよ。断薬で何とか表面的に対応できるだけ。それが自助グループではなぜか回復できる、その実績はともかく有効性は認めざるを得ない。
そうした伝統ある自助グループの考え方やスタイルを、独自の形にブレンドし直して日本の風土に定着させたのがダルクだとすれば、もっとみんながダルクに注目してもいいと僕は思います。
だって、日本の社会って昔から一度失敗しちゃうと「もうそれで終わり!」っていうか、なかなか立ち直れない、そういう社会ですよね。でもダルクは、教会もそうでしょうけれども、何度でも失敗を認める。
その徹底性にはある意味、宗教を超えるほどの根源的な力強さを僕は感じます。その一方で、依存症の回復には「曖昧さやいい加減さも必要悪だ」として認める、その懐の広さ。身びいきかもしれないけど、ダルクにはそうした寛容な基本姿勢がありますよね。
だからかな。最近ダルクにつながった人たちが滞留化していて、本来目指す社会復帰の目的がどんどん遠のいている。もちろん、ある程度ダルクで回復しても就労が難しくて、社会に出られない問題が大きいんでしょうけど。
でも僕は、ダルク自体の居心地の良さも逆な意味で色濃く影響していると思うんですよ。仲間を思いやり、いい意味での“いい加減さ”を認め合う関係がね、それが裏目に出ている部分もあるんじゃないかと。
ただ、どうなんでしょうか。その、潮騒なんかでも最近、例えば「仮釈(放)狙い」で入ってきた人が増えたりとか、アリバイ的に施設を利用されているみたいな傾向がありますよね。
ちょっと僕なんかの第三者の目から見ると、栗原さん、あまりにも人が良すぎるのかな、って感じるんですけど。少しホームレスだった人とか刑務所からつながってくるメンバーに対しては、もう少し対応を厳しくしてもいいんじゃないですか?
自由人の生活が長いホームレスの人たちは規則を守るのが苦手で集団への帰属意識が弱いですし、受刑者だった人は逆に規則に順応し過ぎて自分の判断で動けない。指示待ち人間が多いですよね。それでいて、どちらもこらえ性がないから施設に定着しにくい現実を感じます。僕の偏見ですかね?
■みんな塀の中での決意に嘘はない
栗原 いや、実際そういう傾向があります。そういう意味では私にも指導者としての厳しさが必要かもしれないですね。だけど、そこで思い当たることがあります。
私は施設を立ち上げてから、少し余裕が出てきた頃から各地の受刑者と文通をしているんですが、その手紙の内容ってのは、私も中から何度も発信したことがありますけど、今みたいに自由じゃなかったですけどね。親族にしか手紙を出せなかったけど、その中で書いたことは真実なんですよね。
嘘じゃないんです。今度こそ自分は真人間になって人生をやり直すんだ、と。薬物やアルコールを完全に立ち切って、しっかり更生していく、と。今まで迷惑を掛けっ放しだったけど、今度こそ本当に立ち直る、とね。
よほど世をすねた受刑者じゃない限り、みんな塀の中での決意に嘘はないんです。確かに「仮放狙い」もあるけど、たいていは真実の言葉なんです、その時に書かれた手紙の文面は。
だけど社会に出たときに、その決意はもろくも崩れていく。全く環境が、自分を取り巻く環境が違うから、矯正を誓う決意が空回りしてしまう。私からすれば立ち直ろうとする決意を砕いてしまう、社会環境が問題なんだろうと思う。
だから、私の経験からしても「くれた手紙は本心なんだ」と断言できます。ただ社会に出てきたら、それが現実には実行できない。だから少しぐらいのことは許してやんなきゃいけないのかな? って思ってしまう。そこは進藤先生からすると甘ちょろい部分ですかね。
進藤 うーん、こうしたらどうでしょう。僕たちは有期刑の場合はね、まあほとんどがそうなんですけど、基本的には「満期で出てこい」と言います。
満期で出てきて本当にそれで、例えばシャブ中だったら塀の中では強制的にできないわけだし、満期だろうが仮釈だろうが、本当にクスリをやめたい人間、社会復帰したい人がここに来ればいい、と。
宿借りじゃない本心からなのか、それとも仮釈目的かどうかってのは、僕たちは神様じゃないから分かりません。その人の心の中までを見られないから分からない。ここに来た以上は僕たちはサポートするよ、と。
だけども仮釈目的で僕は(身元)引受にならないよ、って。僕はそういうスタイルです。まあ「四年でも五年でも、六年でも、満期で出てこい」と言います。
そうして満期で出てきて行き場が無かったら、僕は「ここで寝ていいよ」と。仮釈だってここに来てね。でも僕は仮釈のために引受にはならないよ、と。僕はそういうふうにしています。だっていつ出てきても一緒なわけですから。依存症を克服するという意味では本質は同じですからね。
もちろん受刑者本人としては「少しでも早く出たい」という気持ちはたくさんあると思うんですよ。でも、実際には早く出たからっていいわけじゃない。
そりゃあ、中には早く出所した方がいい人もいますけど、たいていはそうじゃないケースの方が多い。仮釈があろうがなかろうが、ここに来る、目標を立ててここに来る。そういう姿勢が大切なんであって、実際に来てからの方が問題でしょう。なので僕は、そのようにしてますね。
栗原 ウチも受刑者との手紙の活動はもう四、五年になりますけど、だいぶ今先生の言ったように、だんだんそっちの方にシフトしています。仮釈目的でない、満期でもいいから、と。
それで、たまにアンケートを取ったりしてますけど、なるたけそっちへ、仮釈狙いでない「自分が回復したいんだ」というところを引き出すようにしてます。
■謙虚な感謝の気持ちが無ければ依存症なんて…
―進藤先生、そういう意味では刑務所へのメッセージというのは大きな意味がありますか?
進藤 そうですね。その、刑務所にいる人たちの唯一の外部との交通というか、なんでしょう。一人じゃないというか、やる気の意義を引き出させていくためのツールではあると思うんですよね。
いつもこう手紙が来て、こういうふうなやり取りの中で、やっぱり諦めさせないというか、忘れさせない、というか、それって本当に大変な作業ですけどね。とてもきつい仕事ですよ。
僕も近くにいる支援者に手伝ってもらって受刑者の宛名を書いてもらいながら、僕が内容を書いているんですが。でも何十通ってあるからもう二、三行ですよ、実際に書けるのは。長くても五、六行、それを書いて、後はパンフレットを入れて郵送する。
でも、何が大切かっていうと、その送ってくる手紙を無視しないことなんですよね。内容が深いか浅いか、それは問題じゃない。文字が多いか少ないかじゃなくてね。きちんと返事を書いてあげること。でも、そこにも落とし穴はありますけど。
実際に、こういう人がいました―。
ある受刑者なんですが、「たったこの三、四行の手紙で私はガッカリしました」って書かれてある。「ああ、そうですか」って、僕はそれ以上手紙を出しません。そういう人はね。手紙を送った相手が赤の他人だから、顔も見たこと無いんだから、という認識がどこまであるのかなって思ってしまう。
そりゃ依存症の人は自己中心の権化かもしれないけど、塀の中にいて赤の他人で顔を見たこと無い人から手紙をもらったなら、その相手にもっと素直に、謙虚な態度で向き合わないとね。たった二、三行でも、そうしないとコミュニケーションなんて成立しないでしょう。
僕が逆の立場だったら「三行、四行でも書いてくれてありがとう」って返事の手紙を書くけどな。そういう謙虚な感謝の気持ちが無ければ依存症なんていう困難な病気からは立ち直れませんからね。
ハッキリ言って、そういう人は私が何十通も書いているのを分からないのかもしれないけど、そういう感謝の無い、その態度を見極めるってとこですかね。まずはそこから始めないと。そうしないと回復なんて見込めませんから。
それはもう、僕もこういう人助けをして十年近く経ちますけど、その中でやっぱり信頼が失われて、何度か傷ついて、いらぬエネルギーを使って失敗してきた中でね、自分なりの知恵というか、そういうのはありますね。
―潮騒のニュースレターに手紙を掲載させて頂いているんで、僕も受刑者の皆さんからの手紙は読ませてもらう機会があるんです。その中で今どき珍しいと思うのは、やはり「言葉の重み」っていうんですかね。
これほど世の中にいろんな言葉が氾濫して、ものすごく言葉が軽く消費されている時代に、今どき「言葉によって救われる」っていうことがあるってことの驚きなんですよ。
僕らは毎日、何気なくあれこれ言葉を使ってますけど、これほど人にインパクトを与える、「人を救える」言葉ってのはまず体験できないと思うんです。
僕も昔、キリスト教系の大学で勉強したもんですから、一応は聖書なんかもちょっとだけ読んだりして、まあ僕の場合は、あくまで物語としてですけど、信仰の書としてはどうしても読めなかったんですけど…。
■聖書の「ペテロの否認」場面に言葉の重み
で、思い出すのは、救世主イエスがゴルゴダの丘に向かって処刑される、ユダの裏切りによってですね、重い十字架を背負わされて行くシーンですね。その時に弟子のペテロが「お前はイエスの仲間じゃないか」と端女(はしため)に責められる。
すると、ペテロは自己保身のために「そんな人は知らない」と否認する。その時にニワトリが鳴いて、イエスの「ニワトリが鳴く前にお前は三度、私を否定するだろう」という予言の言葉を思い出して、さめざめと泣くという、あの有名な場面(いわゆる「ペテロの否認」)を思い出します。
あれなんか言葉の重さを象徴するシーンですよね。自分がそれを認めれば自分も死刑になるわけで、そこでは言葉が死と同じ重さを持っている。結局、ペテロは沈黙するわけですけど、その沈黙も重い。あの部分を僕は、そんなふうに受け取ったんです。
もちろん違う解釈もあるでしょうけど、僕は言葉は命と同じように重いんだ、沈黙も重いんだ、置かれている環境によっては存在、つまり命と同じなんだ、と教えている―そう思いました。そこまで人間の内面の複雑さを掘り下げて描く聖書の世界って、すごいなあって素直に思ったんです。
だから、ある意味極限体験を経て集まってきたダルクの持ってる言葉とか、進藤先生だと書かれている本に共感する人が多いんだろうと思うんですけど、言葉の重さですね、改めてそのあたりの思いってありますか?
進藤 もちろん僕たちが掛ける言葉は重いし、とても大事だと思います。それと同時に、その人に向き合う姿勢で、人は本当に変わっていくとも思うんですね。
やはり言葉と同じように姿勢ですかね。相手に向かっていく姿勢。悪い姿勢とかじゃなくて、本気度というのかな。こちら側が本気で真剣に相手に向き合う、基本はそういうことだと思います。
さっき言ってた刑務所の中に、これだけの豊穣な本物の言葉があるってことに、僕らはもっと真剣に耳を傾ける必要があるだろう、と。同じ言葉であっても環境によってね、深く、強く受け止めてくれる人たちがいると思うんですよ。
刑務所の中ってのはね。誰とも交流できない中で、みんな見捨てられた状態の中で、赤の他人のダルクさんがウチに優しい言葉を掛けてくれる。こんな嬉しい、ありがたいことはないですよ、心底こころに響くんですね。
人間の温かい、愛の言葉を必要としている人に、希望というか、励ましというか、本当に必要な言葉を掛けてくれて、しかもそれを「ありがとう」って言ってくれる。
■刑務所に入ったことのない人は同情が先に立つ
でも、その半面で言葉はとても怖いものでもある。いわば、それを使う人によっては両刃の剣となる。彼ら受刑者もですね、「手紙」ってのはね、ものすごく人の心を盗むんです。盗むのは簡単…。
受刑者伝道の中で、手紙のボランティアが何人もいて、僕たちの他にもいろんな団体が「受刑者を何とか社会復帰させよう」とコミュニケーションを取っています。だけど、やっぱり刑務所に入ったことのある人間と無い人間では、ものすごく違うんですね。
と言うのはね、入ったことのない人は同情ばかりが先に立っちゃう。「かわいそう」とかの同情ばかりが先行しちゃって、実は「犯罪者の本当の怖さ」を知らない。っていうか、世間の人たちは犯罪者がどれだけスキあらば、同情してくれる人間をどれだけ利用できるか、お金を振り込ませるか、利用できるか、ってのを考えていない。善人を欺くのなんて、彼らからすれば簡単なんです。
ある人は受刑者から八十万円をだまし取られました。「ガンの治療をしなければいけない」と手紙に書いてきてね。ガンの治療をするのにお金が掛かるわけないんだよ、しかも刑務所の中で。
ある人は手紙で「眼鏡が欲しい」って懇願して、二十人ぐらいに「六万円掛かります」って声掛けて、五人からお金をだまし取りました。僕たちにはすぐピーンと来ることなんですけどもね。
でも、逆に言えば僕たちもだまされるケースがたくさんあるってことですね。いくら塀の中での体験が長くても、それは見極めの中で、実際に会わなければ、みんな本当に分かんないものなんです。
で、僕がもらった手紙の中に、ヘブル語だのギリシャ語だのと、原典から聖書を読むようなことを書いてきたやつがいました。
「ああすごい。こいつはただのヤクザじゃないな。ただのポン中じゃないぞ」と思ってたら、何のことはない。出てきて一カ月後にはシャブで捕まったり(笑)、とかね。それは人間だから本当に会わなきゃ分からないところがあるし、だからと言って実際に会ったからもう安心、だまされることはない。そいう保障もありません、僕の経験からも。
このあいだもね、実はここの教会で一カ月ぐらい寝泊まりした人にみんな根こそぎ持ってかれて。結局このプロジェクター用のカメラも含めて何やらかにやら一式全部買わなきゃいけない、っていう経験をしたばかりです。
でも、その人だってここに来た時の気持ちは嘘じゃないと思うんですよ。その時は、自分は本当に覚醒剤をやめようと決意して来たんだと思います。
だから僕は、それを受け止めて、抱きしめて育ててはきましたけどもね。まあその犯罪者との境界線っていうんですかね、僕たちがどう関わっていくか…、それは本当に難しい問題です。
■僕たちは神様に委ねられている
―では、ほど良い関係を保つためにはどうすればいいんでしょうか。
進藤 例えば栗原さんが私に、「刑務所を出たばかりで困っているんで、十万円貸してください」と言った、そう仮定しましょう。で私が「十万円は貸せないけど、一万円はあげるよ」「これしかできないよ」と切り返します。それがいい関係ですよね。貸し借りをしない関係っていうんですかね。
それと同じように境界線ってね、「良くするために助けない」っていうこともあるわけですね。僕たちが大切にしているのは、僕たちはサポートしてあげることはたくさんある。
ここに住まわせる、就職するまではご飯のおかずやいろんな食べ物を与える。でも、それとは別にしっかりと自分でやるべき領域があると思うんですよ。神様の領域と人間の領域があるように…。
僕たちも「サポートする側の領域」と「自分自身がやんなきゃいけない領域」には配慮しなくちゃいけない。ここから役所に行って、自分の足でハローワークに出向いて、職探しの活動は自分でしなければいけないよ、と言います。
いろんなこと、ここでご飯を食べること、ここで寝起きすること、友だちをつくること…、それらはやっぱり自分の領域じゃないですか。
僕たちは神様に委ねられている。頼むこともあるけれども、自分自身の体調管理とか、シャブをやらないとか、そういう自分自身を管理するってことは、あくまで自分自身にしかできない。自分の思いというものも、思いとか気持ちってのも、自分自身でしかコントロールできない。
後は、さっき言ったように他力によって「できないことを認める」、“どん底”を認めながら「ここに神様働いてください」って言うほかない。他力にすがっていく、そういうことしか僕らにはできないわけですよね。
だから僕は「やってください」「これしてください」って言って、僕たちがやっていいことと、逆にやってあげて悪いこと、助けてあげて依存症の本人の回復の足を引っ張ることってたくさんあるじゃないですか。
まあダルクさんにも、いっぱい借金抱えた人たちがたくさん来ると思うんですね。ギャンブル依存で結局借金つくって親が肩代わりして払って、また借金作って親が払っての繰り返しっていうケースも珍しくないでしょう。
そこで結局は親が払うことで、どんどん依存症を悪化させてきた。それと同じで僕たちも大事なのは「してあげること」と「してあげちゃいけないこと」ってあると思うんですね。
■ダルクの「タフラブ(耐える愛)」の精神で
―どうですか、栗原施設長。その「助けない判断」「あえて手を差し伸べない」い判断って、すごく参考になりますね。
栗原 そうですね。
進藤 東北の方の人だったんですけど、僕は「人がいいね」って言ったの。あるギャンブル依存の人がね、出所した先でギャンブルやっちゃって「お金が無いから迎えに来てください」って三十㌔も離れてるところから電話してきたらしいいんです。「電車賃も無いんです」と。
僕だったら絶対に迎えになんか行かないですよ。「一晩野宿してでも、交番に行ってでもお金を借りてここに来なさい!」って言い返します。でもって「後で金返しに行け」と。僕は絶対に迎えに行かないですね。三十㌔離れてたって、「何とかして帰ってくればいいじゃん。自分で使ったんでしょ」。僕は厳しいかもしれない。
まあ百歩譲って、もしかしたら一回はやるかもしれない。でも、二回目は絶対に無いですね。そういうことですね。僕から言わせると「人のいい」その人はギャンブル依存の当人に、三回やっちゃったみたい。迎えに行ったらしいのね。僕は「人がいいねえ。優しいねえ」って言ったけど。
でも、その助けてもらった人は頑張って今は社会で働いているみたいなんですけどね。僕はもう「その人はたまたま良かった」だけど…。
批判じゃないんですけど、あんまりね。そういう過剰なサポートでもし…、気づけばいいですよ。でもそれは、良い方に転ぶか悪い方に転ぶか、本当に「賭け」じゃないですか。
僕は厳しくする方だけど、逆に愛情をリクエストして「くれー、くれー」って言ってる人に対して、もしかしたら愛情を与え続けなければいけないのかもしれないし、それはどうでしょうねえ…。判断が難しいですねえ。
栗原 私なんかダメだね。何回でも助けちゃうから。人には言うんですよ「突き放しなさい」って。家族会なんかでは特にね。でも、そう指導しているのにもかかわらず、何回でも迎えに行っちゃう。やっぱり自分が七回目にして、やっとダルクに助けられたっていう体験があるからかな。
七回目の出所でやっと目覚めたというか、うまくタイミングが合って救われたという体験があるからだね。そこまで辛抱してくれた、っている恩義を周囲に感じてしまうからかなあ。そこら辺までは辛抱しようと。確かにそれだって、運よく結果オーライだから言えるんだけどね。その判断はほんとに難しいですね。
―それこそ、ダルクで言うところの「タフラブ(耐える愛)」ってやつですかね。手を貸さずに見守る愛。それ必要ですよね。依存症の場合はサポートする側も共依存に陥り易いですからね。大事な指摘を頂きました。
それでなくても日本は一億総共依存の社会です。何かと言うと世間体を気にするし、依存症に対しては「親の愛情で治せ」ですからね。愛情で治るんなら、それこそ病院やダルクなんて必要ない。
とにかくこの国は浪花節的な親子の情愛が美徳とされる社会ですから、いろんな問題を家族が抱え込む。そうしてどんどん矛盾を大きくしてしまう。依存症を悪化させるだけ悪化させて、どうしようもなくなってやっとダルクに救いを求める。
それこそ潮騒でも毎月、家族会で「突き放し」を学んでいるようですけども、こと依存症の問題に関しては世間の常識に囚われずにやることが重要ってことですね。
進藤牧師との対談③
■依存が怖いのは依存体質になること
―ところで進藤先生、そもそもダルクで実践している「12ステップ」についてはどうお考えですか?
進藤 僕も全部やったわけではないのですが、ダルクの人たちが持ってくるので関心を持っています。あれ必要だと思いますよ。よくできていると思います。
仏教的にいえば「他力」となるのでしょうが、先ほど栗原さんが指摘されたように、無力を認めるということは、自分のどん底を認めることで、自分にはできないということ、もっと言えば自分の根本を見つめることだと思います。依存症の治療だけでなく、今はいろんな分野で使われていますよね。
―いわゆる12ステップグループという形で括られる動きですね。
進藤 うまくできています。キリスト教でいえば12というのは12子徒(弟子)で、選びの数字なんですね。それはともかく見えない力ですね。
私はキリスト者ですから、あの中で示されているハイヤーパワーはジーザス、つまりイエス・キリストだったんですよ。もともとはね。より明確言うならば、ダルクなんかで使われる12ステップは「精神分野の救い」ですよね。
宗教的だと言われるかもしれないけど、それは宗教ではなくて、厳密にいえば霊の部分の救いだから、信仰というレベルで見れば、もっと確かな救いにつながってくるんではなかろうかと思いますね。
だから宗教の話だとして毛嫌いしてくれても、それはそれで僕は構わない。それはチョイスだから。ただ「私はキリストによって救われましたよ、どうしますか」っていつも自分をさらけ出しているんですが、それを強制はしません。
だから12ステップの中のハイヤーパワーというのはよく分かります。それが僕らにとってはジーザス、イエス・キリストという話なだけで、回復を目指すスタイルとしては同じ構造なんですね。
ところで依存が怖いのは依存体質になることです。栗原さんは当事者だからよく分かっていると思いますけど、依存者に依存されちゃうと大変でしょ。うつ病の人とか精神病の人とかに依存されたら、もう大変。
クスリに頼るように人に頼っちゃう。僕からすれば、そういう体質になるのが一番怖いです。自分で自力ですることと他人に頼ることの境目が分からなくなってしまう。
―どうなんでしょうか。12ステップはキリスト教の風土の中で生まれたという要素はその通りですよね。例えば僕らは、よくダルクとAAやNAとの違いを考えるんです。
ダルクがこの国で曲がりなりにも増えてきたのというのは、ダルクの創始者である近藤さんの持つ資質がかなりプラスに作用していると僕は思います。
近藤さんの寛容な姿勢、懐の広さみたいなものがあって、卑近な言葉でいえば「いい加減さ」を認める度量にあると思うんです。
■生きている人はお寺ではなく教会に行く
AAやNAの場合は12の伝統もありますから、厳しい戒律といえば語弊がありますけど、一見寛容なように思えて、アノニマスも含めて徹底しています。
もちろんダルクは社会との中間施設ですから、AAやNAとは本質的に立ち位置が異なりますが、日本的な習俗というか、習俗的な色合いの濃い宗教風土にうまく合致しているように僕は思います。
12ステップで「ハイヤーパワー」とは言いますが、日本的な「八百万の神」という考え方、太陽、月、草木一本でも何でもいい、そういうアミニズム的な感覚に近いような気がします。
そうした馴染み易い緩やかな宗教的要素が感じられるからか、ダルクは割合、じわじわと幅広く草の根的に地域に着地してきたという感じがあります。もちろん日本の社会は「よそ者には厳しい」ですから、今も新たにダルクをつくろうとすると、田舎に行けば行くほど反対されます、むしろ旗を立ててね。
でも、曲りなりに日本的な宗教風土にうまくマッチして、今では70カ所近くまで関連施設が増えています。まあ中には、徒弟制度のようにして一部のダルクが施設を増やしたこともあって、各地にダルクが増えました。
それによって、いろんな回復のパターンが増えてきてはいるんですが、半面で新たな課題が浮上しています。
その第一が高齢化の問題です。ダルクにも年寄りの人たちが増えています。しかも、単一の依存症ではなく、アルコールもあればギャンブル依存症も伴う、複合化傾向です。ほかの依存症を持つ複合的な要素が増えてきました。
それに加えて、ほとんどの人が家族から見捨てられていますから、帰る場所はありません。入寮費も自力ではもちろん、家族も払えないし、期待できない。勢い生活保護に頼らざるを得ない。生保受給が当たり前になっている。
最近、潮騒では他のダルクが受け入れない、はじかれちゃった人たちが集まってくるようになりましたね。車いす生活の人も受け入れています。依存症が原因で脚を失ったりしているわけですから、依存症者なんですけど、そのための新たな施設整備が求められる。余計に難しい問題を抱えています。
その一方で、最近はどこのダルクでも病院で処方される薬に依存する「処方薬依存」が増えています。潮騒でも深刻化していますよね。薬を飲まない人はまずいない。それに軽度の知的障害や明らかに発達障害ではないか、と思われる人もダルクに登場していますね。
果たして、これでダルク運営できるの? 従来のやり方でやっていけるのかな? って僕は素朴に思うんです。そういう深刻な現実問題に突き当たっているのですが、進藤先生の教会に来られる方にはそうした問題や傾向はありませんか?
進藤 もともと教会は、そういう人たちが集まる場所ですから。で、ある人が、こう言いました―。
教会の数がどんなに少なくても、生きている人はお寺ではなく教会に行きたがる。病院という所はお見舞いに牧師が来れば喜ばれるけど、お坊さんが来ると喜ばれない。「まだ、早い」と。
生きている者の神という言葉があります。まず生を認めていく。もちろん、その先には死があるけれど、キリスト教では生を重視しているところがあります。
語弊があるかもしれないけど、教会というところには精神を病んでいる人達が多いです。特に依存症になる人は、そういうふうになる人が多い。もちろんクスリ(薬物)の影響で重篤な病気になる人も多いわけですが…。
それでもって、あちこちさ迷った揚げ句にダルクに漂着する。でも、自分の肌に合うダルクにはなかなかめぐり合えない。そのため今度はできるだけ自分に合うダルクを探して、あちこちのダルクをさ迷うようになる。
それって「ダルクツアー」って言うんでしょ、各地のダルクを駆け巡る。そうして、ついには潮騒ジョブのようなダルクの終着駅、ダルクの吹きだまりかな(笑)、いわば最後のダルク(笑)にみんな集まって来る。それが潮騒の現状なんでしょう。
■12ステップを使えない人たちをどうするか?
そんな中で潮騒は文字通り帰路に立たされているわけだ。Yの字の選択の所で今まさにどうすべきかが問われている時だと思うんです。でも、大丈夫。
そういう時には必ず神様が必要を満たしてくださいます。僕たちもそうでした。人材がなければ人材を、お金がなければお金を、ということでいつも助けられています。知恵も与えられています。協力者も与えられます。
逆に我々の元にしか行く場所がないというところに神様は働く、と僕は考えます。
イエス・キリストという、人であり、神である人が人間の姿をとっておられた時には、隔離されているハンセン病患者や村八分になっている人のところに行ったんですね。
そういう愛の精神で生きている限りは、ハイヤーパワーなのかキリストなのか、私はキリスト教の牧師ですからキリストですが、そこには絶対に神の意思が働いている。
今、ここら辺にいるかもしれませんが、必ず神様の導きによって道は開かれます。そう思うんですね。だから心配せずに、来た人たちを見捨てないでください。もちろん何度も何度も繰り返す人には厳しく当たらなければなりませんが…。
―分かります。分かります。でも、実際に12ステップを理解できないような人たちが多くなっている現実を踏まえるなら、それに対してどういう接し方をして行けばいいのか?
高齢で、もはや社会復帰もままならない。勢い潮騒が終の棲家になっていくだろう人に、どうしたら余生を意義あるものとして保障できるのか。
回復のプログラムに替わる新たな生きがいづくり、充実した残りの人生を下支えする施設環境をどうつくるか、とても頭の痛い問題です。潮騒ではそこら辺が今一番の課題ですかね。
栗原 そうですよね。最近とくに感じているんですけど、12ステップは我々に希望の光をもたらしてくれる大事な回復のプログラムなんですが、目の前にあるこの貴重な宝物を理解してもらえない、あるいは理解できない人たちが増えている。
新しい生き方を指し示してくれる、ありがたいこの道具を活かせない現実があります。これを使えない人たちにどうしたら薬物やアルコール、ギャンブル依存から脱却することを求めていけるか…、どうしてもやめにくい、何度もスリップしてしまう人たちをどうしたら救えるのか。
潮騒は来る者拒まずで、「やめる意思さえあれば、基本的にどんな人でも受け入れる」ようにしています。結果として他のダルクよりも門戸を広く、入寮条件を緩くしていますから、どんどん入り口のハードルが低くなってどうしても困難者が増えてくる。滞留化に拍車が掛かり、よどんだ感じになってくる。その先の展望が見えない。
この前、施設内でちょっとした聞き取りをしたんです。そしたら、もはや家には帰れない、社会に居場所がない、という人たちが全体の3分の1以上にのぼった。
潮騒では依存症からの回復を求め、そのためにプログラムを提供しているつもりが、それをつかめない人が多くなっている。それで今度は、墓場まで心配しなくてはいけない事態が生まれています。
まだ答えは出していませんが、そろそろ墓場も確保しなくてはいけないと覚悟しています。そうした生涯施設としてのあり方まで考えてあげないといけないのが、潮騒の偽らざる現状なんです。
もはやステップだけでは救えない人がいる。もちろん今は依存症専門の精神科病院や先進的なダルクでは認知行動療法だとか、それを応用した独自のプログラムなんかも試みられてはいます。
私たちにはそうした専門知識や臨床の蓄積も経験もありませんから、従来通り12ステップにこだわらざるを得ないわけですが…。
■新たに来た人たちを助けるプログラムを
進藤 僕が感じているのは自分自身の存在を認めるとか、自分がこの世に生を受け、生かされている、生きていると思える瞬間ってどんな時だろう、ってことです。
やはり、人の手助けをしている時だと思うんですね。ここで生活している人たちは人の世話にならなければならない人たちですけども、いつも僕たちが言っているのは「あなたがたは十分に助けられてください」と。
そして「ここで愛をいっぱい貯えてください」と。そうして今度は「自分が他の人を助けられる立場になったならば、十二分に助けてあげてください」と。
今はシャブをやらないことで一生懸命、ダルクに居ることだけで精いっぱいかもしれないけど、その人たちが生きている価値を見いだすのは人助けだと思うんですね。
ダルクに居る限りは新たに来た人たちを助けるプログラムをつくっていく、というのも一つの手なんじゃないかな。
例えば農作物を作るだけじゃなくて、入って来た人たちの面倒を見るっていうのも、あるいはルールを教えてあげるだけでもいいし、とにかく無条件に寄り添うことですかね。
僕たちも東日本大震災の被災地である南三陸町にボランティアで行っているんですが、被災者たちの話を聞くということだけでも違うと思うんですよね。
―今、ご指摘のあった「無条件に寄り添うだけでいい」というのは何か、とてもいいヒントになりそうですね。当事者だから、同じような体験を経ているわけで気持ちが通じ合う部分も大きいと思うんですが、そういう福祉的な側面での対応や取り組みについて、潮騒ではいかがですか。
栗原 そうですね。行き場のない高齢の入寮者に対する介護の部分は、これからますます必要とされていきますね。そこで新たに生きる希望というか、手助けをすることで与えられる喜びが職業として成り立っていったら、これは本当に素晴らしい。依存症の回復者とともに、そういう人を育成する施設の取り組みをぜひしてみたいですね。
―フルタイムじゃなくてもいいじゃないですか。例えば生活保護で市から12万円もらっているとして、その中で週に2、3日働くことで、それをお返ししていく。
僕たちの教会では、それが売りじゃないんですけど、他の教会でも、例えばマザーハウスのように刑務所から出てくる人たちを受けいれているところはあります。でも、みんな生活保護を受けさせて、その中から6万円を寮費や食費として徴収しなければやっていけない。
それもいいんですが、僕自身がかつてインターフェロンの治療をやりながら生活保護もらったんですが、埼玉だと月に13万5千円もらえるですね。
でね、鬱(うつ)だとかなんだとか言って、このまま13万5千円もらっていた方がいいんじゃないか、と僕はその時、正直思ったんですよ。
どうしようかな、切ろうかなって、とても迷った。でも、こうして人を助けなければいけない立場になった人間が、ずうっと国のお世話になっていたんでは何の証にもならないし、おかしいだろうと。
やはり「切ります」と決断するまでは、そうとうな葛藤がありました。すごい闘いだったんですよ。
だって、僕も楽したいですもん。過去に楽してヤクザやってきたわけだから、そこはすごい葛藤がありました。せっかく受給できていた生活保護を返上するまでは、とても悩み抜きました。
■「沖縄は回復率がいい、みんな回復している」
そう言えば、僕の教会に足を運んでいた人で、こういう方がいらっしゃいました。
旦那さんに浮気で逃げられた50過ぎの女性です。ずうっと主婦をやっていた人ですから、年齢的にもなかなか仕事が見つからない。面接を受けても真っ先にはねられてしまう。とても途方に暮れていました。
なかなか働けない、仕事が見つからない、どうしたらいいですかって。運よく仕事に就くことができても、その人は続かない。収入がなくなってにっちもさっちも行かなくなって、生活に困窮するようになった。
じゃあいい仕事が見つかるまでの、ちょっとの間だけ生活保護のお世話になりましょう、となったんです。それで市の福祉に相談して生活保護をもらうようになりました。すると、今度はそれに頼り切りになってしまった。
その女性は生活保護を受給できるようになると、「旦那に逃げられて鬱になりました」とか言って、結局はずうっと3年間、生活保護をもらっています。一度楽をしちゃえば自立するという考えが薄らいじゃうのが人間ですよ。そこが生活保護を利用する場合の落とし穴なんですね。決して、その人を批判しているわけじゃないんですよ。
そこで僕が「他のダルクと違うなあ」と潮騒に魅力を感じたのは、ジョブトレーニングセンターという名前もそうなんですが、社会復帰して、いずれは生活保護から脱して納税者を目指す、という考え方に引かれたからなんです。そこは僕と考え方が一致しているんです。
今までのダルクを批判しているわけではなくて、まず依存者を刑務所に帰さない、スリップさせないで回復させる、とにかくシャブやらせない、薬物をやめ続ける、ということだけで終わらせていたものが、それだけではなくて社会復帰して将来は納税者を目指していく、と。
社会に出て自立した一人の人間、日本国民として納税をしていく。これって素晴らしいじゃないですか。社会復帰するにしても、国におんぶに抱っこ、お世話になるばかりじゃなくて自立した国民として、自分たちの力量で逆に国に対してお返しをしていく。
そういうビジョンを持ったダルクであるがゆえに、僕は潮騒にものすごく魅力を感じたんですよ。
実は僕、さっき話したように沖縄ダルクに2回ほど行きました。入寮者の皆さん、みんな元気でだいたい同じメンバーがいるんです。で、皆さん口をそろえる。「沖縄は回復率がいい、みんな回復している」って。
聞けば、回復率は80%ぐらい。すごいですよね。新しい人たちもいて、「進藤先生の本読みました、刑務所で」なんて言ってくれる。「おう、ありがとう」なんてね。もう3、4年いる人もいて、サーフィンやったりして元気なんです。
みんな一生懸命やっているんだけど、いかんせん働かない。確かに沖縄は雇用率が低いのは分かるんです。本土に比べたら雇用環境はよくないでしょう。
でも、彼らは働けると僕は思う。これは働かないからって責めるわけじゃないよ。でも、僕はもったいないと思う。そこまで回復しているんだったらね。
その点、潮騒は一歩踏み込んで納税者を目指して独自の就労支援の活動をやっているわけだから、沖縄だってできないことはないと僕は思うんだけどな。実際にはいろいろと難しい問題があるのかもしれないけどね。
でもって、僕と沖縄の施設長は仲良くてね。この前もここにきて礼拝の中で証しをしてくれました。僕と出会って彼は「僕はハイヤーパワーがキリストだと分かりました」と言って、洗礼も受けました。
その彼が運営する沖縄ダルクは、南の海のきれいな環境の中でみんなが解放されて、確かに回復率はいいんだろうと思うんですよ、確かに。
■潮騒ジョブの活動には深い共感を覚える
でも、その一方で困難な状況にもかかわらず潮騒はよく頑張っているなと思う。これからも目指してもらいたいですね、納税者への道を。
その何って言うのかな、依存者で終わるんじゃない、っていう気高い志の部分ね。たとえダルクの寮に入って、そこから出られなかったとしても、今度は新たに来る人を助けていく、という流れが築けたら本当に素晴らしいと思う。
ただの生活保護受給者で一生いるんではなくて、ダルクの一員として他の人たちをサポートしていく。薬物依存から立ち直ったことにプラスして、そこから社会に出て、一生懸命に働いて納税義務を果たしたなら、世間の人たちのダルクや依存症を見る目も変わっていくと思うんですよ。
僕は自分自身が、ヤク中として生きていくことが一つのミッション、使命であると思っています。腐れヤクザ、ポン中ヤクザだった者が神様と出会って回心し、少なからず納税していくことができるまでになった。そういう自分自身の体験からしても、潮騒ジョブの活動には深い共感を覚えます。
僕はその納税者になってという、栗原さんのアレ(ファイザープロジェクト報告書)を見て、感動しました。自分もそれを目指して、そこまで行って本当の証しだと想ってます。しかも私は三十歳、栗原さんは倍の六十歳にして回復の道を歩み始めたんですからね。
みんな口では「年齢なんて関係ないよ」と言います。でも、そうは言いながらも、みんな年齢をいい訳にしている。人間って、どうしてもできないことばかり数える傾向があるでしょう。
確かに現実は、僕らができること、その可能性は少ないかもしれないけど、できないことばっかり数えていては展望が見えない。どうしても自分の心の中で、できることを断念していくわけですよ。
でも僕はみんなに、「できないことなんか数えるな。まずできることを見いだして、ここから行こうぜ!」と言っているんですけどね。
―そうした前向きな、ポジティブな姿勢って必要ですよね。それで一歩話しを進めますけど、個人的にはダルクにおける回復とは何か、という原点の部分を考え直す時期にきているのかな、って思うんです。
潮騒の場合、幸か不幸かダルクの中では後発で、しかも独立の経緯にちょっとしたボタンの掛け違いというか、内紛というか、内輪もめみたいなトラブルがあって、それが尾を引いて、ずうっと孤立無縁な状態が続いたんですね。
独立心の強い栗原施設長が志を同じくする仲間達と新しいダルクを立ち上げたんですけど、一部のダルクからは「あれはダルクじゃない。新宿のホームレスを集めて金儲けをしている貧困ビジネスだ」なんていう汚名をきせられ、自分たちの仲間じゃないという差別的な扱いを受けてきた経緯があるんです。
おまけに「ダルクを名乗るな」という締め付けがあったりしたもんだから、悩んだ末に栗原施設長が近藤さんに相談した。すると近藤さんが「ダルクを名乗らずに未来志向でやればいい。これから絶対に必要になる就労支援に特化した施設をつくればいい」と助言してくれた。
それで栗原施設長が発奮して「それならいっそのこと、ここ鹿嶋で本格的なジョブトレーニングセンターをつくろう」となったわけです。
■地の利を生かした潮騒農業プロジェクトに発展
進藤 いい形ですね。その流れは素晴らしい。
―ご承知のようにダルクは創設の経緯もあって当初はカトリック教会の支援に支えられてきました。今も古参のダルクは既得権といえば語弊があるけど、カトリック教会と信者さんたちに支えられて割合、支援の形がしっかりしているようなところがあります。
信者を中心に強固な支援会が組織され、それとは別に家族会の支援や下支えがある。活動実績が長いから人的なネットワークも広くなっているので献金も寄せられる。うらやましい限りです。
これに対し、新しくできたダルクはどこもかしこも苦しい台所事情で、施設運営費のやり繰りに四苦八苦している。潮騒も周囲の支援や地元に強固な根っこがなく、支援者も少ないです。いわば、ないない尽くしの状況下で頑張ってきたわけです。
そういうなかで、就労支援に力を入れる方向性を打ち出し、これを特色としたダルク関連団体として生き延びようと試行錯誤しています。例えば、仕事プログラムで、シルバー人材センターがやっているような雑用や、あまり日本人がやらない3K労働のような仕事を地元で積極的に引き受けて、独自の取り組みをしてきました。
その苦労が報われ、前年度から大手製薬会社ファイザー社の助成事業である「ファイザープログラム」にも選定され、地の利を生かした潮騒農業プロジェクトに発展してきた。今も取り組みが続いていますけど、これは潮騒にとって大きな自信につながっています。
最近は、ほかのダルクでもそういうことを意識し始めているようですが、そういう意味では今回のプロジェクトは就労支援の先鞭をつける、全国のモデルケースになるかなと思っています。
でも、なかなか道は険しい。今回開くフォーラムの事前告知についても薬家連(NPO法人・全国薬物依存症者家族連合会)などは、なかなか取り上げてくれない。「潮騒はダルクとは違う、別な団体だから」と。そこで進藤先生に救いを求めたわけですが…。
一連の経緯を踏まえて栗原施設長どうですか。何かご意見をお願いします。
栗原 先ほど話に出た生活保護についてですが、私も刑務所を出所して運よくダルクにつながった時に、まったくお金がなかったので2年半ほど生活保護の恩恵を受けたんです。
それが、ある程度自力で暮らせるかな、という見通しが見えてきた時に思い切って生保を切りました。進藤先生と同じように、とても葛藤がありましたね。
ましてや給料をもらうようになってからは税金ですよね。収益があれば納税の義務が生じる。きちんと税金の申告をしなければならない。
うかつにも社会人として生きることはこんなに大変なことなんだ、とその時初めて気づかされた。とにかく払った経験がないもんだから、税金を払うことには、とても抵抗感がありました。
まあ納税は国民の義務だというのは頭では分かっていても、できれば払いたくないというのが人情でしょう。多くの国民の偽らざる本音、正直な気持ちですよね。でも今は考えが切り替わりました。やっと一人前の社会人になれたかな、という感じです。
進藤 うれしいですね。僕もこんなになれるとは思わなかった(笑)。
■「困難な障害者なんだから我々を重んぜよ」
―以前から気になっているんですが、ダルクの中に献金に頼る体質ってあるじゃないですか。それが当たり前になっている。「こんなに困っているんだから、助けてください」と。それもいいんだけど…。
でも、毎回押しつけがましいかのうように、献金の振り込み用紙がニュースレターと一緒に送りつけられると、「またかよ!」って思ってしまう。怒られるかもしれないですけど、「困難な障害者なんだから我々を重んぜよ」というような高慢な態度に思えることがある。
苦しい台所事情なのでいつも綱渡りの運営だから、ダルクに金銭的な余裕がないのは理回できるけど、気持ちの余裕もなくなっているのかな、とね。どうもあちこちのダルクに謙虚さがなくなっているようにも思えるんですが…。
逆に潮騒なんかは、どうにかして社会に貢献しようとしてきましたよね。自力で収益構造をつくろうと、自助努力している。その辺りはどうですか。
栗原 私がつながったダルクでは表向きは就労を意識した運営をしていたんです。私も比較的、早い段階から施設側が提案してくれた仕事プログラムに参加しました。きつい土木作業や建築現場などの重労働ばかりでした。
ただ、残念なことに労賃の多くは施設の収入になり、働いた入寮者個人にはあまり還元されなかった。でも、私は汚い仕事でも、与えられた仕事を一生懸命にやったんです。不思議なことに人の嫌がることを進んでやると、そのうちに何でもなくなるんですよね。
反対に避けようと思うと、嫌なことばかりが目についてしまう。気持ち次第というか、人間なんて単純なもので、心構え一つのところがあるでしょう。私にはそこで困難を乗り越えてきたという自負があります。
もちろん、そうした努力ができたのも、アルバイトの仕事プログラムに参加できたのも、自分の病気である依存症と向き合い、12ステップを信じて取り組んできた背景があるわけですけど。
どんどんステップの理解が深まって、過去の生き方と逆の方向に、いい方向に、真逆に生きて行くようになるんですね。ヤクザをしていた時代には得られなかった楽しさみたいな、ね。だんだんと理屈抜きに、とても楽に生きられるようになった。
これが救いだったんですよ。とにかく昔のように虚勢を張らなくていい。肩の荷が下りた感じだったですね。自分を苦しめるだけの重い鎧を脱げば、こんなにも楽に生きられるんだって。
進藤 いやぁ、それっていいアディクションですよね。とてもいい依存だ。回復が進めば、良いことのアディクションになってくるという手本ですね。とてもいい回復の姿ですね。
栗原 私の場合、回復依存症?(笑)かな。
進藤 そこに気づきというか、目覚めがあったのでしょうね、きっと。
あと僕は教会につながった依存の人たちに「明確に目標を立てなさい」とアドバイスしています。これも必要ですね。
一年ごと、五年ごと、十年後…。で、「ゴールから自分を見なさい」といつも言ってます。目標を立てたところから今の自分を見る。そうすると今やっていることに活路というか、意味を見いだすことができる。
僕はいつも、牧師になっている姿、あるいはよその教会や講演会に行って、自分がしゃべっている姿、人が相談に来て自分が答えている姿をイメージする。そういう形でイメージトレーニングする。そうして何年後かにそうなった時に、また自分に新たなイメージを再設定していく。
もっと大きな教会ができていて、僕がそこに立っていて、目標を立てるということも、とても大切ですね。みんな一人ひとり、個人個人に面接したりして、ケアリングして計画を立てていると、いいと思います。
「あなたはどうなりたいのか」「じゃあ、ここに向かって、こうしてどうか」と。あるいは「この目標を設定しましょう」という感じでね。
そういうことを僕もやったりしますが、人それぞれ違いますよ。ゴールや目標に向かう距離も大きさもみんな違うから、設定の仕方は違うけど…。目標を立てていくことは重要だなと実感しています。
■就労という意味合いをもう少し広く考えたい
―そのー、目標という意味では、潮騒は着実な歩みに思えます。前の施設から数えれば八周年、ちょっと発展のスピードが速いかな、という気もするんですが。
栗原 早いですね。
進藤 実は今度の日曜日、僕たちも八周年記念なんです。
―えーっ、それって潮騒と一緒ですね。何か不思議な縁を感じますね。
進藤 そういう意味では僕も潮騒との出会いに運命的なものを感じます。
栗原 きちんとした目標があったわけではなくて、必要に迫られてどんどん大きくなってきた感じなんですよ。
近藤さんじゃないけど、私たちアディクトは計画を立てたり、それに沿って地道に取り組むのが大の苦手なんです。むしろ私なんか計画を立てるより、目の前の現実に迫られてやってきた感じ。たまたま結果的に施設が充実してきたにすぎないですよ。
このペースで行くと、まだまだ大きくなるんじゃないか、とね。でも、最近はブレーキをかけようとする自分がいます。まず、内容を変えよう、中味、ソフトを充実させてから次に手を出そうとね。
それに、そろそろ入寮者の実態に合わせて終の棲家も考えなくてはならない。社会にも送り出していかなきゃいけない。
もちろん出られる人はね。潮騒が終の棲家で幸せを感じられるのなら、それもいい。いろんなバリエーションに合わせて、適切な対応ができるようにしたい。
いい形にグループ分けして、内容の充実を図っていけたらいいですね。ただ、施設を増やすだけ、間口を広くするだけじゃなくてね。
―潮騒の特色である就労支援も、もう少し広く考える必要がありそうですね。
単に就職する、仕事にありつくだけではなくて、そのためには夜間の自助グループ通える構造とか、常に潮騒とのコミュニケーションがとれているような関係づくり、そういうようなネットワークを組むというような、いろんな仕掛けが必要だと思うんですが…。
就労という意味合いをもう少し広く考えたいですね。
栗原 例えば高齢の人たちは社会復帰して働くといっても、実態としてもう難しいわけですから、それに替わる何か、こう役に立っているという、ことですかね。ボランティアでも何でもいいから、自分が潮騒で役に立っている存在なんだと実感できる仕掛けみたいなものかな。
私が言うと嘘っぽいですけど、何ものかに導かれていくというか、手助けされた自分が、今度はそれを返していく、これを教えていきたいですね。
12ステップの最後は、苦しんでいる仲間への橋渡し、メッセージを伝えていくことです。これによって、自分がより高い回復のステージへと導かれると教えてくれています。
それが自然な形で身につけばいいんでしょうが、いかんせん、そこまではなかなかステップを深められないのが施設の実情です。
私もそうですが、みんな自我の壁をなかなか超えられません。自分を本当に内面から変えていく、過去と他人は変えられないけど、自分と明日は変えられる。そこまで自覚を深めたいですね。
私はダルクにつながった時から、受け身ではダメで限界を感じています。個人的には決して性悪説の立場ではないんですが、依存症者は怠惰と紙一重のところにいると自分の経験からも考えるんです。
だから、外から刺激を与える教育が必要なんだろう、と。その考えをずうっと持っています。それは今も捨てきれないでいます。教え込むということですかね。教えてもらったことはこっちに返しなさい、と。自分の回復の姿を見せているだけでは、どうも生ぬるい気がしてね。
■それまでの苦労がすべて簡単にパーになる
進藤 プログラムに繰り込むとか、最初の二週間はそれを専門的に訓練するとかはどうでしょう。僕も人間って、やはり刷りこみだと思うんです。同じことを何度も何度も言わなきゃ分かんないし、言ってるだけではダメで手取り足とり教えなけりゃいけないときもある。
だって何十年と堕落した生活をしてきた人が、「ハイ、分かりました」といっても、体が反抗しちゃうことがありますよ。人間って基本的に怠惰な側面は否定できないですよね。よほど自分を厳しく律しきれない限りは。
栗原 だから、ダルクの自主性を優先させた依存症のケアだけでは生ぬるいのかな、と私も思います。私もダルクで回復してからは、ずいぶんと忍耐強くなりましたよ。待つことの大切さを日々、仲間を通して教えられていますから。
でもね、苦労の末にやっと自分の居場所を手に入れたと思ったら、いつの間にかいなくなる。国の福祉制度の恩恵でケースワーカーの世話でやっと生活保護を付けることができるようになったと思ったら、いとも簡単に施設を飛び出る。
施設を見限るのはいいとして、「それじゃあ、今まで刑務所にいた時に文通で私に書いてきた事はなんだったの?」と問いたい。みんなきれいごとに思えて、とても空しくなります。とにかく後ろ足で砂を掛けて出て行くような心情には参ります。それまでの苦労が、すべて簡単にパーになるわけですから。
おまけに世話になった施設に今度は、中途で退寮した人たちが徒党を組むようにして外から施設の悪口を言い始める。施設にいる仲間を巻き込む形でね。
だから施設内では予期しないトラブルの連続ですよ。わざわざ反施設的な行為に出る心情には悲しくなります。
まあ、潮騒はあちこち欠陥だらけの施設かもしれないし、理想の施設のイメージを描いていたのに、現実は違ったので怒りが芽生えたのかもしれませんが…。でも、それって自分の、本人の問題だと思うんですよ。恐らく、どこに行っても同じことを繰り返すでしょう。
進藤 そりゃあ、僕たちの教会でも、ここに漂着する人たちはみんな欠陥だらけで生きてきたわけだから、腹を括ってよほど自分の身体を打ち叩ける人じゃないと、プログラムどころじゃないですよ。
どうしても尻を叩かないとダメな人もいますからね。うちだって、遅くとも朝八時には起きて掃除して、九時にはここに来ることになっているんですが、みんなが入る前に掃除しとけというのに、九時に来ても寝てたやつもいたからね。ほんとにヤル気あんのか、ってね。
全部が全部ではないですけど、どうしても生活保護に頼らざるを得ない人もいる。それでアパート借りて個室に入れたら、すぐにシャブを使ってしまうこともありますからね。最初の指導というのは大事ですね。
僕たちは二週間というものは、就職活動しなくていいよ、ただ僕のうしろについて来なさい、カバン持ちをしてくださいと言ってます。「真実の命を尊じたら」じゃないですけど、まず神様のこと、二週間だけは僕と一緒に居て神を感じること、何のためにいきているのか、それだけでも違う、まずここにいてから始める。
新入訓練みたいですけどね。そんなにたくさんいるわけじゃないのでね。一人、二人ですからね。そういう行動ができるんですけど。
■精神が回復していけば肉体も回復していく
―いっそ潮騒の仲間たちもここの教会に通って、そういうことを一から勉強してもらったらいいかもしれないですね。
栗原 まずは新入訓練を、ですかね。
進藤 まず規則正しい生活ですよね、それをさせることが大事。まあ刑務所から来た人にはできますけどね。そうじゃない人もいますから、一日ぐらい寝ないでもできますから、「一日俺と一緒に寝ないでいろ」と。
―そろそろ時間もアレなんで一番の難題に入りたいと思います。いわゆる霊性の部分。スピリチュアルな部分のとらえ方なんですが、これについて考えたいと思います。
霊的な回復と成長については依存症者自身もなかなか自覚が難しいし、まああえて説明する必要はないんですが、悪い癖で僕なんかどうしても解釈が先に立ってしまいます。
このスピリチュアルな、霊的な部分のとらえ方というのは日本人には馴染みが薄く、理解しにくい部分だと思うんですが、進藤先生、何かうまい理解の仕方というのはありますか?
進藤 うーん、ここは教会なんでねえ。もともとスピリチュアルな空間なんでしょうけど、スピリチュアルであるがゆえにサタンも働きますね。
教会だけでなくダルクもそうだと思うんですけど、社会に帰ろうという時に、必ずサタンが働きます。いわば悪いスピリチュアルですけど、そことのせめぎ合いですよね。理屈じゃないところがあるじゃないですか。
うちの教会でも洗礼は受けてないけど、礼拝にはきちんと参加し、献金もしてくれる人がいます。彼は「まだ洗礼は受けられない」とは言いますが、理屈じゃないんです。ここで助けられたという恩義を感じている人間ですから、社会復帰して今度、結婚しますけどね。
そこら辺は理屈じゃない、本人には分かっていないけど、うまく対象化できないとしても、神の存在と自分の霊性の部分、魂の分野に関係するんですね。
少し図式的に説明しますと、僕たちの考えは中心が霊です。これはカトリックもプロテスタントも一緒です。それをくるんでいるのが心です。魂とか精神とか呼ばれる部分かもしれません。それが、霊を包んでいます。
そして一番外側が肉体です。これが三位一体の構造です。霊、心、肉体…。肉体は見えるけど、精神も霊も見えないですよね。でも、どこかが回復すると、こっちも回復してきます。精神が回復していけば肉体も回復していきます。
ここが神の領域です。僕たちは霊が回復すれば心も肉体も回復すると考えています。もちろん霊の部分は宗教じゃなくてもかまいません。もし元気づかせることができるんであれば、それはそれでいいんです。
別に宗教が介在しなくても一緒に良くなっていく。みんなで一緒に祈りながらね。祈りは嘘をつけませんから。心にあるもの、魂にあるものがそのまま出てきます。
この対談でも最初にお祈りをしましたが、最初に一緒に祈りをすることによって、相手に愛が伝わって来ると思うんですね。
この霊の部分を回復させるために、僕たちは祈りがある。そして信仰がある。それは僕たちの領域ではなく神様の領域なんですけども、理解して頂くためにも祈りとか、会社でいう朝礼、あるいはモットーみたいなもの、あるところでは歌ったりしてそれを示します。
■朝起きると祖母が仏壇にお茶を供える光景
僕たちはいつも言います。「私たちは同じ船に乗っています。私は神の声を聞いて舵を取っています。同じです。もし、違うところに行きたかったら、救命ボートに乗って一人でいくしかないんです。それは否定しません」と。
ただ、「ここにいて船に乗っている限りは同じ心になりましょう。それは祈るしかないでしょう」と。僕は宗教家ですから、宗教家の話ですからね。私の立場というか、やり方でやっているだけの話であって、それが宗教でなく会社であれば、朝礼なんかでやるわけですよね。
で、やっぱりリーダーシップが求められる。舵取り、羊飼い、施設長にみんな乗っかってくる。リーダーとなる者は求められるものも多いだろうし、やって当たり前、できなきゃ何でできないんだという、そういうプレッシャーにさらされて大変だと思います。
―今の話で、なんとなく結論を頂いたような気がします。やはり霊性やスピリチュアルは解釈するものではなく感じるものですね。そして恋愛と同じで「論じるよりするもの、感じるものだ」と。日々心を穏やかにして、平安の中で実践するものだということでしょうか。
僕なんかの経験でいうと、子供の頃、祖母が朝起きるとまずお茶を仏壇に供える、あの光景を思い出すんです。仏様にお茶をあげて手を合わせて、平安な心持ちで「今日一日、家族みんなが平穏無事で過ごせますように」と願う。そんなイメージに近いような気がするんですよね。
この国にはそういう心象風景みたいなものが、いつの間にか無くなってきて、心がぎすぎすしたものになっている。一触即発で、何かあると爆発しかねないというか、ちょっとしたことで暴走する。どこに行っても競争、競争で、自分が鎧を脱げないというか、絶えず構えていないといけない。心が休まることがない。
そういう中でダルク、教会もそうでしょうけど、本音で生きられる、心が休まるホッと息がつける空間だと思うんですね。今のお話でより共通項が見えてきました。栗原施設長、どうでしょうか?
栗原 そうですね。宗教を持っていることの問題ですが、私もダルクにつながって支援してくれるカトリック教会の信者さんたちと交流を深めていくなかで、自分がダルクで学習していることと、信者さんたちが持っていることと、すごく近いなあという実感をもったんですね。
この回復のプログラムをやっていて、自分も信仰を得た方が早いのかなあ、と。信仰の世界に入ろうかなあ、と思った時期もあったんですが、でも、まだまだ未熟な身としては、宗教を持つことはまだ早いというか、ある種のためらいや抵抗感があったのか、今まで踏み切れずにいたんです。
でも、求めているところは宗教を持っている人たちと同じだなあ、という自覚が深まっていったんですね。今日、こうして進藤先生とお話をしていて、より一層そう強く確信しました。ありがとうございます。
■自分だけの力ではなく神の助けが必要だ
やはり神と自分の関係について見つめることは大事ですね。夜はいつも自分と、自分が想定する神との関係を正すために自分のスタイルで祈りを捧げています。求めていさえすれば与えられると信じていますから。
進藤先生のように具体的な説明はできませんが、どこかで自分が求めているもの、そうして神の意思とはこういうものだと自覚して、それに近づこうとする。それをしていると自分が楽になれるんですね。
ヤク中であり、アル中であるという、依存症という厄介な病気を持った人間だけれども、自分がくじけずに、どうにか前向きに生きられる。
新しい生き方を手にしていくには、やはり自分だけの力ではなく神の助けが必要だと、たえず自覚させられています。
宗教じゃないですけど、自分が信じる神が、この世の中に存在していると思っていますから。それに近づいていけば、自分の過去のどうにもならない生き方から、新しい生き方が形成されるんじゃないかと。
本当は宗教に帰依した方が早いんじゃないかと思う場面も確かにあります。
進藤 まあ、その辺は沖縄ダルクの施設長に一度、体験談を聞いてみてください。
―ダルクの仲間たちには結構、洗礼を受けてカトリック信者になった人がいますよね。もちろん他の宗教を信じている人もいると思うんですけど。信仰者としてもいろいろな人がいますからね。
進藤 やはり強制では信仰は持てないのです。自分から求めて選び取らないと。そうして決断しないと。ここに来るのも自分で決断しないとダメです。
誰かに勧められて入っても、結局は誰かのせいにして出て行きますから、最後は入るのも出るのも自分の決断です。信仰もそれと一緒だと思います。
栗原 まさに今回、進藤先生とお話ができる機会を得て、ハイヤーパワーの計画だと実感しました。お互い立場は違っても、同じ仲間という強い確信を得ましたので、どうかこれからもお付き合いください。
―今日はお忙しい中、貴重な時間を割いていただき、本当にありがとうございました。これからも宜しくお願い致します。 (終わり)