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13/12/10

元登校拒否、高校中退2回のダンボール工場の作業員が、未経験の業種で会社の社長になった話【完結編】

Image by Olia Gozha



前回のストーリー


田舎でダンボール工場の作業員をやっていた。

私が独立する前の35歳の時まで、

北海道の田舎のダンボール工場でオペレーターをしていた。

工場とはいえ、倉庫のような建物で

冷暖房の空調は一切なし。

夏は暑く、冬は寒い。

出勤したら、工場の外に出ることは一切、禁止されている。

一週間ごとに日勤と夜勤の交代制。

時期によっては、夕方5時から朝の9時まで夜勤勤務ということも「ざら」だった。

ある日、突然やって来た衝撃的な出来事

元々、自律神経に問題があり、精神的に病んでいたこともあって

毎日、カラダはボロボロだった。

「頭痛」「吐き気」「嘔吐」「胃痛」「下痢」「頻尿」「顔から手の痺れ」

毎日、体調は「最悪」の状態だった。

友人からは

「段ボール工場のオペレーターって、楽そうだよな」

と言われていた。

私も,はじめはそう思っていた。

だけど

年数を重ねていくごとに

環境は「悪化」していった。

数秒間、目を離した隙に「トラブル」が起きた場合

数秒で数十万円の損害がでることもあり、

常に「集中」していなければいけなかった。

更に、

同時進行で

他の機械への「ヘルプ」や自分の担当機械での

紙のセッティングなどの準備が2分サイクルで行わなければいけなく

1日中

トレーニングと仕事をしている感じだった。

そんな状態が続いた

ある夏の午後、衝撃的な出来事は起きた。

いつものように

工場内を走り回っていた。

その日の工場の気温は30度を超えていたと思う。

そして、

走っている中、

突然目の前が「真っ暗」になった。

1分?2分?

時間がどれくらいたったかわからないが

気がつくとコンクリートの床が「目の前にあった」

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今回のストーリー

いったい何のために、生きているんだろう?


気がつくとコンクリートの床が「目の前にあった」

「どうやら気を失っていたみたい。。。」


うつぶせに倒れている自分。


体を動かそうとしても動かない。。。


「助けてくれ!」

そう心の中で叫んだけど

声が出ない。。。


周りに人がいるはずなのに

誰も気付いてくれない。。。


しばらくして、なんとか自分で起き上がったけど

左手が動かなくなっていた。。。


上司にそのことを伝えると

「ラインを止めることは、できない」

「なんとかしろ!」

と言われた。


「左手が動かないから、作業ができない」

と伝えたが、

上司の一言。


「俺にどうしろっていうんだよ!!!」




「自分は、何のために働いているんだろう?」

中学は登校拒否。

高校は2回中退。

実家はない。

家のローン。

車のローン。

家族のため。


自分が何のために働いているのかが、わからなくなった。


その日以降、

子供の頃から考えていた

「自分に出来ることはなんだろう?」

「何がやりたいんだろう?」


ということを考え続けた。


ある日、近所のローソンで見つけた1冊の本。

この本に書いてあったのは

「コーチング」というコミュニケーションスキルで

自殺者をなくすために

セミナーなどを開催している人のことだった。


私は、7歳の叔父の自殺から

自分も自殺を考え、大人になっても

心は病み続けたままだった。


「これで、自分も周りの人の人生も幸せにできる!」


と思った。


コーチングスクールに通うために

2010年10月から毎月2回の北海道と東京の往復が始まった。


独立スタートを襲った、悲しい出来事

2011年3月8日

会社に最後の有給をもらい

プロコーチとして独立するために

東京にマンスリーマンションを借りて

東京にて活動するため、上京した。


不安と期待で胸がドキドキしていた。


コーチングスクールに通いながら

たくさんの人と会うためにアポもたくさんとった。


そんな中、日本で悲しい出来事が起きた。


東日本大震災。


北海道では、あまり地震を体験していなっかたので

なおさら、「不安と恐怖」が強くなりました。


その日から


「北海道に帰った方がいいのか?」


毎日、悩みました。


だけど子供の頃からの


「人が幸せになる方法を知って、自分も周りの人も幸せになることをしたい!」


このことが、どうしてもあきらめられずに

東京に残ることを「決断しました」


2011年3月21日

正式に会社を退職して

プロコーチとして独立しました。


そして、

2011年8月に

株式会社ドリームシアタージャパン設立。

代表取締役として、会社を経営しはじめました。


2013年12月現在までに

プロコーチ、コンサル、プロデューサーとして

途中何度も、壁な困難がありましたが

月商100万円以上を達成しながら

コーチングスクールを

2014年1月に

山形、千葉、横浜、東京、静岡に開校するなどが実現しています。

現在は、

東京と伊豆のリゾート地で暮らしながら

自分らしく、幸せな人生を送っています。


7歳の悲しい出来事

貧しい子供時代

父親と母親と弟への憎しみ

子供時代のいじめ

中学登校拒否

高校2回中退

転職10回

過酷な労働

身内の衝撃的な不幸

離婚

いろいろありましたが

すべて、必要な経験だといまなら思えます。



人は諦めなければ

必ず夢は叶う!!!


これからも

コーチングやビジネスコンサルを通して

伝えていければと思います。



金田の過去のストーリーや幸せになるための習慣の身につけ方

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