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13/12/1

フツーの主婦が一大奮起してマレーシアのジョホールバルに移住して起業してしまった話4(1浪終了後)

Image by Olia Gozha

花岡めうみの今までの人生を

時代別に何回かに分けて書いています。

今まで書いた記事はコチラ↓↓↓

【第一回】http://storys.jp/story/5747

【第二回】http://storys.jp/story/5777

【第三回】http://storys.jp/story/5776

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▼1浪生活が終わり、4月から大学生活がスタート

ある4月の末。

携帯電話が鳴った。


浪人時代の塾が一緒だった友達から。

彼女は全く海外経験がないのだが、

同じく、どうしても上智の比較文化学部に行きたいと、

私が1浪していたとき彼女はすでに2浪。

彼女も私と同じく、

不合格だった。


一応、私は浪人生活にピリオドをうったが、

彼女は諦めきれず

3浪目に突入していた。

電話がかかってきたのは、

1997年の4月末。

私は1浪し、上智には合格できず

滑り止めで受けた大学での生活がスタートして

1ヶ月が経とうとしていた時だった。

〜電話〜


「友達)元気?久しぶり!大学どう??」

めうみ「久しぶり。元気だけど、正直、学校はつまんないよ。物足りないというか、なんか大学にカラーがなく、みんな元気ない感じ・・・。まぁ一言で言うと自分には合わないね(笑)。」

「友達)そっかぁ。ねぇ、一緒にもう一回、上智、チャレンジしてみない??」

めうみ「えっ?マジで??もう一回? うーん、もうあんなに辛い浪人生活はなぁ・・・。孤独だったし。」

「友達)私たち今回不合格だったのは、ほんとに後一歩というところだったでしょ。それでね、最後の追い上げをしてくれる塾を見つけたの。一緒に行って、最後頑張ってみない?」

めうみ「うーん、どうしようかなぁ。」

迷っている私に

彼女が話を続ける。

その友達は、すでにその塾に通っていて、

先日のTOEFLをうけ、

なんと、スコアが少し上がり、

手応えがあったとのこと。

この話を聞いて、

チョット闘争心がわき(^_^;)

彼女に負けたくないと思ってしまったのだ^^;

今ココでせっかくいい情報を聞いたのに

スルーしてしまい、もし彼女だけ合格したら

絶対後悔するだろうと。

私も、もう一回頑張ってみようか・・・と思ってしまったのである。

(つくづく私も単純で負けず嫌いである^^;)

さらに、改めてもう1回頑張ろうと思ったのは、

私の行きたい学部は帰国子女が多いところなので、

欧米の学校の入学時期に合わせており、

秋入学ができるということであった。

だから、次の受験をした場合、

夏前に結果が出る。

つまり、また1年浪人するのではなく、

2ヶ月後の6月の試験まで死に物狂いで勉強するので、

本当に最後の追い込み。

たった2ヶ月だけ頑張ればいい・・・。

これならなんとか最後の力を振り絞って

チャレンジできるかなと思った。

2ヶ月死ぬ気で追い込み、

それでダメだったら本当に縁がなかったということで諦めようと。

ということで、心機一転、

彼女と一緒に頑張ることを決意したのである。

1997年4月末のことである。

試験まで残された時間は2ヶ月だけ・・・。

▼仮面浪人生活スタート

早速彼女が通っている塾に行くことになった。

私は、現在の大学に籍を置きながら、

仮面浪人という形を5月からとったのである。

そして、今でも思い出すと目頭が熱くなるのだが、

両親には本当に頭が上がらない。

今まで散々、教育費用をかけてもらってきて、

満足に結果を出していない。

にも関わらず、絶対に受かる保証もないのに、

また再チャレンジするため塾に通う。

普通なら反対し

費用も出してくれないだろう。

それが私の両親は

何も言わずに塾の費用を出してくれた。

これを本当に最後にしたい。

塾に通って必死で勉強するからお願いしますと言ったら、

父は分かったと言いい、塾の費用を工面してくれたのだ。

英語の塾なのではっきり言って、安くはない。

でも父は文句を言わずに

出してくれた。

今回だけではない。

中学の時の合宿

高校留学

浪人時代

そして今回。

毎回かなりの額がかかっている(;_;)

留学なんて年間100万円以上だ。

いつか必ず恩返しをしなければならない。

そう心に誓った。


かなりの決意のもとで

挑んだのは人生で初めてだったかもしれない。

続く・・・。

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