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13/11/24

終わりを終わりにしなかったらハッピー"エンド"を迎えた話

Image by Olia Gozha


例外として例外なく





夏のインターハイ。冬の選手権。

高校サッカーの世界にはこの2つの全国大会があって、

そこは誰しもがそのピッチに立ってプレーすることを願うの舞台。


だけれども忘れてはならないのは、

そこは夢の大会であると同時に「区切り」の舞台。

「区切り」とはつまるところ言ってしまえば「終わり」

高校生活をサッカーに費やしてきた人たちにとって、

夢の舞台は終わりの舞台でもあるということ。


だけれどもだけれどもここで動かない事実を一つ。

全国の舞台への切符を手にすることができるのは

本当にほんの一握りの高校だけである。


そしてそこから導き出されることは、

夢の舞台というものは沢山の高校生の終わりの上に成り立っているということ。


そんな小さな終わりの中には僕の終わりも含まれていて、

この終わりは誰であろうともちろん例外ではなくついてくるものだけれど、

少し違うのは、僕は、例外として、例外なく終わりを迎えた。


そんな物語を、綴ろうと思います。


僕にとっての終わり


僕の高校には、普通科と体育科の2学科がある部活が盛んな高校で、

どちらの学科も部活に入らなければならない規則があるけれど、

普通科は特に、大学受験へ向けた勉強をしなければならないから、

たいていは部活をするのは夏までで、秋がくれば受験街道まっしぐら。


ちなみにちなみに僕は、普通科。そしてサッカー部。


だから、僕にとって夏のインターハイこそが「終わり」であり「区切り」

当然、集大成に向ける気持ちは大きいから、本当に気合が入っていた...


わけではない。


だってさぁ...まぁ少し現状を把握してみよう。


現在のコンディション。最悪

現在の監督からの評価。最悪

ついでに現在Bチームで登録メンバー入りは絶望的。最悪


そんな3連続の最悪パンチをくらって、モチベーションめっちゃ高い!

と言えるほどの陽気さと器用さは僕は持ち合わせていなかった。


それについこの前までは絶好調でAチームのさらに先発で出てたもんだから、

この波の粗さと落差には自分自身、参っていたし、半分諦めもあった。



「あ~、このままいけば試合にでることもなく、ましてやメンバー入りさえできずにこの3年間のサッカー生活が終わるんだろうなぁ...」


背番号12は


そして迎えた登録メンバー発表の日。

この日までもがいてきたけど、ついぞ調子はあがらずにきてしまった。


しょうがないよなもう。。。

呼ばれなかったらスッパリ受験に切り替えよう。。。


呼ばれるのは背番号順。以前Aチームで背負っていた6番は自分じゃなかった。

うわ、終わったと思いつつ発表を聞いていくと、


12番目に呼ばれたのは僕の名前だった。



「え?うっそ、まじ?」

実際に口に出すことはしなかったけれど、内心ではめちゃめちゃ驚いてた。

あれだけ調子悪かったし、評価も悪かったのに選ばれ...た...?


監督から言われたこと


その日の練習後、

自分でもなんで選ばれたかよくわからぬまま監督に呼び出された。


そこで言われたことは、

監督「いいか、俺のためにプレーしなくていいからキャプテンのためにプレーしろ。俺はお前を選ぶか迷ったし選ぶつもりはなかったんだけど、キャプテンに聞いたら大岩とは今まで一緒にやってきたし入れてやってくださいっていうから選んでやったんだ。だから、何が何でも恩返しするつもりでやれ。以上」

薄皮一枚で少し延びた高校生活は、キャプテンのお蔭だった。

凄く嬉しかった。凄くありがたかった。凄く頑張ろうと思った。


何が何でもアイツに恩返しをしよう。


夏のインターハイ:終わりを迎えるはずだった


メンバーになんとか入って迎えたインターハイ県予選は、

結論から言って、全国大会に手は届かなかった。ベスト4。


みんな涙を流したり、現実を受け入れたくなくて怒ったりしたし、


特に同じ普通科のサッカー部だったやつは、

メンバー入りしたチームメイトも、残念ながらメンバー外で観客席から応援してくれたチームメイトもみんな「終わり」を迎えたことを実感して悲しみに暮れていた。


けれど、僕は「終わり」を認めなかった。


なぜなら、メンバー入りしたものの、出場時間は、ゼロ。

自分の中にある気持ちは、ただ自分は無力であるということだけ。


「無力だ。。。」

という言葉しか口からは出てこないし、ましてやプレーで恩返しをするなんてことは、何一つできなかった。


だから、「終わり」を認めない決断を、した。

冬の選手権まで引退せずに部活を続けて、恩返しをすることを、決断した


もちろん、冬まで続けるということは当然大学受験に向けた勉強時間は減るし、

結局、冬まで続けても結果が残せなかったら意味がない。


リスクの方が大きいけれど、


自分が受けた恩は、何が何でも返さないと終われない


誰にも相談しなかったし、親にすら相談せずに決断したことだった。


そして、部室にその想いを忘れないため、マジックで壁に文字を書いた。

これは、今でも部室に残っている。


冬の選手権まで


そうは決断したものの、お情けでメンバー入りした程度の選手だったから、


監督からは、


監督「お前、残んの?」

と言われ、驚かれる有様だし、


親にも相談せず何食わぬ顔で部活に行きつづけてたから、


「アンタ、引退したんじゃないの!?」

とバレた時には問題になった。


中心選手だったら残るのも納得だけど、Bチームの選手が引退せずに残るのは

たぶん他の誰がみても意味の分からない行為だったけど、それでもよかった。


何度も怒られながらサッカーをして、時にAにあがってはまた落ちたりして。

部活後はキャプテン(同じく普通科だった)と一緒に勉強会をガストが閉店するまで続ける生活をして。


少しずつ監督からも評価されるようにもなってきて。


監督「お前は、天才だ。」

と、これはウチのサッカー部の選手が誰しも一度は言われるコトバに一喜一憂してまた調子悪くして。


とにかく、恩返しをすることだけを考えて、冬まで練習をした。


冬の選手権ー迎えた本当の終わり


冬の選手権予選でもまたもや全国は手が届かなかった。

結果が出せなかったことは、もちろん悔しいことだったけれど、

最後の試合が終わったときは、終わったな...と清々しい気持ちでもあった。


なぜなら、引退を告げる試合終了のホイッスルが鳴り響いた瞬間は、

キャプテンと一緒に、緑の人工芝のフィールドの中で迎えたから。


それまでにこなした選手権予選の数試合も先発出場でフル出場。

引退試合は、先発ではなかったものの、途中交代で出場。

全試合、出ることができた。もちろん怒鳴られまくったけどね。


それに、最後にピッチの上で終われたことは、自分にとっても報われたと思う幸せな瞬間だったと思うし、何より恩返しをするために一緒にプレーできた。


こんなハッピーエンドは、"悔しいけれど"、無いと思う。


引退式


サッカー部では、3年生を送る会という名のもとで引退式が行われたけれど、

僕は3年生の中で一番泣いていたという確固たる自負がある。カッコわるいけど。


スピーチでは、


「僕はこの3年間を振り返ってみて、本当に運がいいと思います。僕はチームにとって絶対的な選手ではなかったけれど、チームメイトからたくさん助けられてなんとかやってこれたし、夏で引退せずに残って少しは恩を返せたのかなと思います。相談せずにサッカーを続けると決めた僕をサポートしてくれた親には本当に感謝してるし、これから自立した大人になって、また恩返しできるよう頑張りたいと思います。」

というようなことを言ったことを覚えている。


それと同時に、キャプテンは、


キャプテン「お前が残ってくれてほんと助かった」


と言ってくれたし、少しは恩を返せたらしい


あのインターハイで迎えるはずだった終わりを、

どうしても恩を返したいからって理由だけで無視して、

選手権まで終わりを引き延ばしたことは、どうやらハッピーエンドを

手にするにあたって最重要レベルの必須要素だったらしい。


僕らは人間で、自分ではできないことが沢山ある。

でも必ず助けてくれる人は身近に絶対にいるし、

大切なのは、そういった人がいてくれることに気づくこと。

そして、感謝の気持ちをもって自分がその人、

そしてもっと多くの人に何ができるかを考えるて真っ直ぐにぶつかること。

そのためなら、多少、不器用だって、無茶したって全然構わないんじゃないかな。

結果が出ようが出まいが、確実にその気持ちに気づいてくれる人はいると思う。

お金とか、そういう物理的なモノじゃなくて、

眼に見えないけれどとても大事なアナタなりの何かを見つけることができると思う。



今でもサッカー部のメンツとは地元に帰れば絶対に合うし、

時には東京まで遊びにきてくれたりもする。



僕の場合は、最高の仲間を見つけた。







僕は、本当に運がいいと思う。



そして。




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