Photo by Luis Hernandez
はじめまして。医学生兼ライターの朽木(@amanojerk)です。
僕は医学部の学生をしながら、プロのライターとして活動しています。が、このように自己紹介をすると、「どうして」と聞かれることも多くあります。
話すと長いしふだんはいちいち説明などしないのですが、今回はせっかくなので、「なぜ僕が医学生兼ライターとして仕事をはじめたのか」をお話しします。
小説家になりたいだけだった友だちのいない医学生と、そんな僕とただひとり正面から向き合おうとしてくれた元カノさんについて。
「自分には才能がある」という勘違い
いまでこそ、僕はインターネットを中心に、いくつかのお仕事を回してもらえるようになった。自分から取りにいく仕事だけでなく、お願いしていただいてする仕事も増えつつある。
本業が忙しくない時期であれば、ライターの収入だけで生活することもそう大変ではなくなった。ライターをはじめて現在3年目。シンデレラのようにはいかなかったし、いまでも華やかな世界にはちょっと届いていないけれど、仕事は順調だ。
ものを書く仕事をしたい人はたくさんいるだろう。でも、自分が書きたいものを書きたいように書き、それが周囲に評価され、望むとおりの対価をもらえる人はほとんどいない。
ものを書く仕事をしたいだけの人は、多くの場合そこで大きな勘違いをしている。
仕事には対価が発生する。対価つまりお金は自然に発生するものではなく、読者による利益を想定したスポンサーから供給される。そしてもちろんそこにはお金を支払う条件があり、それはそのままものを書く人に要求される。
わかりやすく言えば、お金を頂く以上は、お金をくれる人を満足させる必要があり、自由に書きたいものを書けるわけではない。個人ブロガーではなく、商業ライターなら、とうぜんそこにはメディアによりさまざまな仕事上のルールがある。
ときどきこうなる
インターネットには、文章のセンスやアイディアの発想力がずば抜けて秀でた人たちがたくさんいて、自由にものを書いているように見えるけれど、背景にはたくさんの制約と折り合いをつけていく作業があるのだ。
プロになれば、さらに商業的な成功を収めることを求められる。自信のある記事が読者にまったく評価されないことはよくあるし、読者の傾向を分析し、対策をして、評価されるような記事を書く必要もある。こんなのぜんぜん自由じゃない。
でも、これは実際にこの世界に入ってからの感想だ。
自称フリーライターとしてあちこちに文章を書き散らし、それらをメジャーからマイナーまでたくさんの媒体に持ちこみ、そのほとんどが無視され、また書き散らして持ちこむ先の見えないサイクル。
その中で自信とかプライドとかを失い、自分がなにをしたかったのかもよくわからなくなった頃に、ようやく大手の出版社に拾われ、そこでものを書く仕事を基礎から教えてもらえるようになってから。
それまで、僕は自分に文章を書く才能があると思っていた。
小さいころから本を読むのが好きで、ちょっとした文章を書くのが得意だった。原稿用紙数枚の作文なら、褒められることも多かった。中学生くらいまで、将来の夢は小説家だった。でも、根拠といえばそれくらいだった。
小説を書いたこともなかったし、書こうとしても続かず、それなのに自分の文章には妙な自信を持ったまま、高校生の僕はいつのまにか医者になりたいと思うようになり、何年か浪人して医学部に入った。
面白くないってわたしがちゃんと言ってあげるよ
さて、元カノさんだ。
狭き門をなんとかくぐり抜けて医学部に入ったけれど、僕が思っていたのとはなにか違った。今にして思えば、成績や家柄がいいことが当たり前の世界では、受験で自分が経験した苦労に見合うほど、僕がチヤホヤされなかったからだろう。
医者の子どもや地元の優等生がみんないけ好かなく思えて、他人を嫌うぶん他人に嫌われ、友だちもできずに本ばかり読んでは、医者じゃなくて小説家になりたいと思っていた。
でも、相変わらず小説を書くことはしなかった。プロットを書こうとしては、何冊も新しいノートを無駄にした。すばらしいアイディアがある、書こうとすればすぐ書ける、そう本気で信じていた。
そんなしょうもない僕にもしばらくして彼女ができた。
快活でまわりに人が集まるタイプの女の子で、そんな出会いにより僕も変わればよかったのだけれど、僕はむしろそのままでいることで彼女を手放さないようにした。
上手くいかないことはすべて自分以外の誰かのせいにして、自分は間違った場所にいるだけだと繰り返し口にした。それでも彼女は懸命に、「善く生きよう」としばしば僕に言った。
僕と彼女はなにもかも正反対だったし、だからこそお互いに依存しあってしまったのだと思う。それでもなんとか危ういバランスを保って何年かが経ったある日、彼女がキレた。
4年くらい同棲もしていた
当時、講義をサボってはソファーでごろごろしながらゲームなどしていて、それを彼女に注意されると、いつか小説家になっていい暮らしをさせてやる、みたいなことを恥ずかしげもなく言った。
いつもどおりのやりとりだったはずなのに、そのときだけ彼女は真剣な顔で、僕の横に立った。いつもどおり、あきれた顔で、ちゃんと働けよダメ人間と僕に言ってくれるのではなかった。
「書けばすごいっていうなら、書いてよ。書いて、読ませてよ」
「書いてあるなら、いまここに持ってきてよ。ねえ、書いてるんでしょ、持ってきてよ」
「そしたらわたしが読んでぜんぜん面白くないってちゃんと言ってあげるよ」
「夢みたいなことばっかり言わないでよ。お願いだからもっとしっかりしてよ」
「ほんとにすごいのが書けるなら、書いてよ。いま、書いてよ。読ませてよ」
「ほんとだって信じたいよ。信じさせてよ」
「わたしに、読ませてよ」
号泣しながらクッションで僕をボスボスと叩きつづける彼女を、適当にいさめるかなにかして、僕はその場をやりすごした。彼女は本気だったのに、当時数えきれないほどあった喧嘩のひとつとして、僕はすぐにこのことを忘れてしまった。
傷つくこともなかったし、彼女がなにに怒っているかもよくわからず、あまりの剣幕で泣きじゃくる彼女を前にして、ただ困っていた。僕はまだ自分に文章を書く才能があると思っていたから。
それからしばらくして、彼女にはフラれてしまった。もう何年か前のことになる。別れのときの台詞はいまでもよくネタにしている「あなたとは一生関わり合うことのない他人になりたい」だ。
僕にとって書くということ
このやりとりを思い出したのは、彼女と別れて数カ月が経ったころ、ネットで小さな印刷会社が、企業紙向けのコラムニストを募集しているのを見つけたときだ。そういうものを書く仕事もあるのか、なんとも冴えないな、そんなふうに思った。
はじめは気楽な気持ちだった。小説はハードルが高くても、短いコラムならなんとかなるだろうと。そこから経験した苦労とか挫折とかそういうことは、とくに説明の必要はないと思う。
やればできるというありきたりな虚勢さえ、それを張る相手がいなくなって、僕はひとりで、書く才能のない自分と向き合わなければならなくなった。不採用の通知を受け取るたび、あるいは応募が無視されるたびに、内臓が焼けるように感じた。
ずっと、医者にしかなれないやつらだと周囲を見下していたけれど、ふつうに医学の勉強をして、立派な医者になることのほうがよっぽどまっとうだと思い知った。そういうやりかたを選べない自分がみじめだった。
あの頃はいつも、彼女の「書いてよ」という声が聞こえていた。「読ませてよ」と言われているような気がした。なにが正解かもわからないまま、僕は黙々と履歴書と売りこみ用の記事をかきつづけた。
さらに半年くらいが経って、ようやく大手のメディアに採用されたときに、僕は彼女に連絡を取ろうとしたけれど、それは叶わなかった。終わったことが終わっていたことだと、遅ればせながら身に染みた。
それからは、せめて得たものを手放さないように、医学生として忙しい時期でもなんとかこの仕事にしがみついてきた。制約と折り合いをつける技術も身につき、商業的な実績も増え、ちょっとずつ、仕事の幅も増えてきた。
ここまで3年
あっというまに成功への階段を上るライターに比べれば、やはり、僕にものを書く才能はないかもしれない。でも、ものを書く仕事は楽しい。これまでの苦労すら報われると思えるほどに。
僕にとって、書くというのは息をするようなものであればよかったのだけれど、必要なものを取りこむというよりは、どちらかというと、心の中に溜まった不必要なものを吐き出す行為に似ている。
溢れればひとを傷つけるし、溜めこめば僕が破裂する。呼吸も排泄も、ともに生きていくために必要なことであるはずなのに、この違いはなんだろう。どうしたって奇麗じゃない。
本業ではもうすぐ医師になる。いくつかのメディアの立ち上げを控え、ライターとしてもこれからが勝負だろう。いつか、僕の仕事が、回り回ってあの元カノさんのもとに届けばいい。ちゃんと書いていることが伝わればいい。
みなさまにおかれましても、今後とも朽木をよろしくお願いします。


