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13/12/3

僕の人生を変えるきっかけとなった、オーストラリア旅行体験記。その8

Image by Olia Gozha

※随分と間が空いてしまいました。


 あと少しで旅も終わりです。あと少しだけ、お付き合いください。




母との1か月のアデレード生活

母が、僕の居る病室へはいってくるなり、僕を見て泣いた



「あんたのそれは、なんね~(涙)」

「「は?なにがね・・・。」」

「痩せこけて、鬼のごたる顔ばしてから・・(涙)」

「・・・・・・・・・・・。」

僕がオーストラリアに来た時には、98キロ程もあった体重がこの日には、69キロ位まで落ちていたし、僕の顔には一片の穏やかさもなかったと、あとから母は言っていた。
確かに、状況から無意識に気を張っていたのだろう。
目つきも凄く悪かったようであった。


良くしてくれた看護婦さんはじめ、色々な方にご挨拶をし病院を退院することになったのだが、母があわてたようにして背負ったリュックを下ろし中から何かを取りだした。
「羊羹である。」


母は、バック1つ持ってきておりほとんどの荷物が羊羹であり、着替えは2組位の下着類だけであった。




母と、アデレードでお世話をしてくださるようになったアデレードの日本人学校の理事の方と病院を後にし、静養のためのアパートへ。



そう、

退院は出来たのだが、肺気胸した為、飛行機に乗れるまでの肺の戻りには至っておらず経過をみて判断される為であった




これからは母との1ヶ月間の生活が始まった。




◎ 毎日の散歩からのリハビリ

まず歩く事がきつかった。すぐに息切れがして歩けなくなるのである。


休み休みあるいては、毎日少しずつ距離を伸ばし色々な所へと繰り出した。



又、丁度日本は夏休みの時期であり、熊本にある新聞社「熊本日日新聞」の交換留学生達が訪豪していたので、お世話をしてくださる方が段取りして下さり、バスでのドライブなんかに一緒に出かける事もあった。


非常に楽しかったですね~。





今更ながらこの1カ月は、非常に自分にとって良い時間であった。

僕は、小さい頃に母が離婚しており母親に引き取られたが、母は仕事の為、一年のほとんどを地元から離れて生活をしていた。


その為、僕は妹とばあちゃん達と一緒に生活をしていた。


なので、僕の中で母親の事は母と言うより「おねえちゃん」と言うイメージであった。


しかし、この1カ月間の暮らしの中で本当に色々な事を話した事です。


内容は大したことではないのだけれど、物心ついた頃からそれまでの期間を埋めるような時間であったのは間違いないだろうと今では感じている





◎ 毎日出会う刺激的な人々

毎日、リハビリがてら散歩をする中で、非常に多彩な人々を見書け自分自身(母も)非常に刺激的な事が多かった。




兄ちゃんの風貌は、RANCIDのティム・アームストロングみたいな感じの方。そのお兄ちゃんが、お年寄りの車いすで笑顔で押していく様子がカルチャーショックでした。何か僕の中での偏見があったのか、どんな容姿であろうが、受け入れられ町になじんでいる様子は、偏見まみれの僕の脳みそを変えてくれるきっかけでした。



2つ目には、散歩コースのモールに何日かおきにおられたおじさん。


「競泳水着の様なものを着て、ただ立っているだけ」。


しかし、周りの人は全く気にする人もいない。


熊本の田舎暮らしの僕には、これも凄く刺激的でした。



3つ目には、綺麗なモールを道挟んで反対に位置する先の路地。


なにげにふら~っと通ると、何か空気感が違っており、あやしげなお店が増えていって「あ~、すこしやばげなところにきちゃったな~」と思っていると、小さな入口の前に立つお姉さんが僕に誘いの声をかけてきた。


お客を取ってるお姉さんでしたが、僕は断ると後ろを歩いている母にも同じように声をかけていた。


「どっちも大丈夫なんだ~!!」と母とびっくりして話をしたことでした。





他にも僕は、いつも中国人に間違われていたし、母は中学生と思われる事も多くその事による変な話もあったり、毎日通ったロッカビリーSHOPのお兄さんとの出会いもあるけれどね・・・。






ところで僕の体についてですが、僕の肺の具合は結局1か月ほどして帰国の許可が出ることとなりました。




次で、この旅行体験記は最後のお話となります。



ではでは、最後をお楽しみに~。





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