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13/11/18

僕の人生を変えるきっかけとなった、オーストラリア旅行体験記。その7

Image by Olia Gozha

搬送されたのは、ロイヤルアデレードホスピタルでした。




命は助かったわけで・・・・


目が覚めた。生きている事を実感できたのが嬉しかった。



しかし、鼻と尿道へのカテーテル、刺され左脇には、水を抜くためのチューブが入っており、非常に苦痛であった。(それでも、苦痛を感じれる事がありがたい事でもあったんだよね)


ICUには、二日ほどいたらしい。

しかし、状況が大変なことになっているようであった。


病院へ運ばれた際、身分証や保険の確認をされていたようで、保険の会社から実家へ入院している事の連絡が行っていた。それで、熊本の実家では、大変な騒ぎになっていた。


「こういちろうの、入院してるてよ!」

と言う情報だけが先に行き、状況が分からない親は気が気でなかったろう。

鼻からのカテーテルが外れた2日目に、病院から日本へ連絡するようにと言われ実家へと電話をした。

どう言っていいかも考えつかず、ダイアルを押す手が震えた。



「プルルルルルルルル・・・・・・・・・・」


「「はい、ヒエジマです。」」

「あ~俺ですけど・・・・・」

「なんね!?コウイチロウね!?どぎゃんしたとね!!」

「いや~、あのたい・・・・・それがね・・・」

「分かるごつしっかり言わんね!!!!!」

という流れで説明をし、母は酒場で喧嘩をして刺されたと思っていたらしく、事態が結構ひどかった事に更に驚いていた。

「熊日新聞にも、載ったとよ!!詳しくも分からんとに!!心配させてから!!!!用意の出来たら、行くけん!!まっときなっせ!!!」

といい、電話を切った。




電話の向こうでなく震え声でなく母の声を改めて聞き、自分のした事の重大さが身にしみた。

看護師が電話の後に、「大丈夫か?」と尋ねてきたが、僕は強がっていたのだろう。



平静をよそおった。




3日目に、二人部屋に移された僕は、母から念を押されたじいちゃんへの連絡と、自分のバンドのギタリストへとりあえず連絡を入れた。



じいちゃんは、「生きとるならよかたい!!」と言って電話を切った。




ギターの友人に電話をした時は、最初に電話を取った友人の母さんがあわてて友人を呼びに行き、なんというかなと一言めを考えていると、先に友人がこういった。



ギタリストの友人「お~~!!ヒエ~~!派手にやられたね!!ばってん、刺されちゃいかんばい!!」


思わず僕は、笑ってしまった。少し緊張がほぐれた感じであった。




その後、母から1週間以内にはオーストラリアに来ると連絡があり、その間僕は病院へ入院することになった。



事件の取り調べに凄く時間がかかった


入院中は治療はもちろんであるが、事件の事に関しても取り調べが行われた。


細かい説明は英語で出来ない為、車を購入した時のように電話通訳を頼み、それを介して行われた。

しかし、この電話通訳が全くの役立たずであったのである。


説明した事もうまく伝わらず、僕は通訳を変えてほしいとお願いし、違う電話通訳が対応してくれた。


この電話通訳の方は、日本語も上手で通訳が変わってからは、状況説明などもスムーズに伝える事が出来た。


そして、最初の通訳が全く違う事を説明していたことも分かり、びっくりした。




僕を刺した男は結局、州境の検問で捕まったとのことであった。


取り調べの結果、若干精神面での障がいがあるとのことで、逮捕ではなく病院での治療が行われたそうである。



損害賠償の請求に関しては、ヒッチハイカ―を載せた(州の規則でヒッチハイカ―をのせてはいけないとのことであった)事は責めを受けることはなかったが、自分自身の愚かさや、判断に対する認識の甘さなどを実感しており、賠償に関しては自分への戒めとして一切求めなかった。



入院中は色々な事もあった。

鼻や尿道カテーテルが外れたことで、少しずつ動けるようになっていった僕は、1人の若い男性と知り合った。


実は、

僕は搬送された日に、僕以外にもう一人刺されて搬送された若者がいたのです


彼とは、大した話をする事はなかったけれど、彼が退院する時には「早く元気になれよ~!」

等と、声をかけ松葉つえをつきながら、廊下を歩いて帰る様子を見送ったのでした。

僕は1週間(だったと思う)入院したが、彼は4日程で帰って行った。




彼は、元気にしてるかな~?




他には、年輩の良くしてくれる看護師の方が、僕と同じくらいの息子がいると言い、よく声をかけに来てくれた。


最初のエイリアンでのシガニ―ウェーバーの様なチュルチュルヘアーの看護師さん

は、お母さんの様であったな~。


また、どうしてもたばこが吸いたくてたまらなくなった僕は、医者の診察の時に尋ねた。




「先生、タバコ吸っても良いですか?」

医者「・・・・・良いんじゃないですか?吸わない方がいいですけど、すいたいんでしょ?」

実にあっさりとしたもんで、逆にビックリしました。


診察の後に、よろよろと歩いて、病院を出て近くのたばこ屋まで向かうつもりだったのですが、病院を出るときには息も絶え絶え・・・・・・。


300mも歩いたら、諦めて引き返し、部屋に戻ってすぐにベッドになだれ込みました。



他には、当時丁度シドニーオリンピックの開催年であり、その為かどうかわ分からないけれど、色々と日本人関係者の方が、良くしてくれました。


メルボルンから領事さんがこられ、僕が退院後、日本へ帰るまでのお世話をしてくださる方として、アデレードの語学学校の理事の方を紹介して下さり、大変お世話になりました。





1週間程の入院生活が続き、母が病院へとやってくる日の朝。


母が病院へとやってくる日の朝を迎えた。


母は、海外旅行と言ってもツアーで韓国へ行ったことしかないくらいでしたので、大丈夫だろうかと、心配していた。


あのシガニーウェーバみたいな看護婦さんが、やってきてにこにこしながら



「フフフ・・いよいよじゃな~~い。」

と、冷やかしに来たりもしていた。



昼過ぎに到着する予定の時間を過ぎてもなかなか母は来ず、心配しながら僕は待った。




「来た時、なんて言おうかな・・・・・。」


なんて思いながら、ひたすら僕は待った。




そして、僕の部屋に母がやってきた。


最初に僕を見た母が、顔をしわくちゃにして泣きながら僕にこう言った。



「あんたの顔はなんね~、やつれてから・・(涙)」

僕は、「おせ~よ!!」等と、強がっていてはみたものの、それ以上は何も言えなかった。




小さい母は、ぼさぼさ頭を二つ結びして、でかいリュックサックを背負い、その場から動かずただただ泣いていた。






続く。

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