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13/11/21

水泳でオリンピックに行けなかったが日本一にはなれた男の話。その1

Image by Olia Gozha

序章:とあるきっかけ。

僕はオリンピックに出れなかった。でも2011年度の日本ランキング一位にはなっていた。自分の中でオリンピックに出れない事が凄くコンプレックスだった。自分なんてたいしたこと無いと思っていた。

けれども、会社で働いているときに

大塚 雄介「あ、小坂君さー、今度storysで書いてよ、水泳のこと。日本一になっているって結構普通じゃないから聞いてみたいんだよねー」

「あ、はい!分かりました!」


と安易に返事をしてた。

まぁ、冷静に考えると、水泳の話って結構皆から聞かれる。後輩からアドバイスを求められたりする。

え、意外と俺って貴重な経験してるんじゃね?っていうことで、書いてみようと思った。


・・・あんまり覚えていない。



はい。とりあえずふざけた感じで書いていっきまーす!人生振り返ってみまーす。


幼少期:水泳始める

水泳いつから始めたの?って良く聞かれる

ベビーの頃からもやっていて、本格的にスイミング入ったのは、小学校くらいなのかな?

兄貴が友達とスイミングスクールに通っていて、母親が送迎をしていたんですねー。当然僕は付き添いでついていくことに。

そんなこんなでしばらくすると

母親「ゆうまうるさい。お前もとりあえず入れ。」

「え?あ?うん(多分こんなこと言った)」

そんなこんなで僕の競泳人生が始まった。

厳密には、ベビースイミングで0歳○ヶ月のころからやっていたけど、まぁ、ここから始まったんだ。


サッカーと水泳の決断を迫られる

水泳を始めてから、まぁぼちぼちなペースで級をあげていった。帽子にワッペンがついていった。

そんな時、当時めちゃくちゃ怖かったコーチがこんなことを言う。

コーチ「おい、悠真!選手コース入れ!」

「はい!わかりました!!」

そんな感じで、選手コース入りが決定。

ここで問題が・・・俺、サッカーとエレクトーンもやってるけど・・・

まぁぶっちゃけあまり覚えていないんだけど、結果として、親に相談無しで、


「コーチ!(サッカーの)俺、水泳やるんでサッカーやめます!」

(サッカーの)コーチ「えぇぇぇぇ!いきなり!?」

ということで、はい。やめました。サッカー。覚えていないんだけど、英断だよね。今更振り返ると。

そんなこんなで、水泳の選手としての選手生活がスタート

小学生・中学生で大きく成長できた理由

いちいち書いていると、ながーーーーくなってしまうので割愛。

要望があったら書こう。うん。


何で俺が成長できたかなぁ・・・って振り返るとそこには

早い先輩がいた!!

切磋琢磨できる仲間がいた!!

という二点があった。


速い先輩に関しては、北京オリンピック代表の末永さんがいたり、プルがめちゃくちゃ強い石塚さんがいたり

仲間に関しては、まーくんがいたり、よしや、りょうへい、後輩のじゅんぺーとかがいたりと、まぁ周りに恵まれていましたね、ほんと。

とにかく周りにおいていかれないように必死だったんだなぁ


高校から開花していく

僕っておそらく開花したのが高校1年のときの国体。このときに初めて全国優勝をすることができた。

中学校の頃は想像も出来なかったし、したいと思っても夢のまた夢だった。

葛藤の中からの進化

僕は現役時代は個人メドレーがメインで、平泳ぎがサブみたいな感じでそこそこ頑張っていました。

けど、中学のときって200mのバタフライの選手だったんです。全国中学で9位とか賞状ももらえない、そんな奴でした。

しかし、中学の夏の試合で400m個人メドレーを泳いだら、何か速くて、それがきっかけで個人メドレーって面白い!って思いはじめた。


けど、そんな簡単な道じゃなかった。周りからの非難。

「俺、個人メドレーやろうかなぁ・・・」

友達「え?にげんの?2バタしんどいから逃げんの?(200mバタフライのこと)」

やくざみたいなコーチ「逃げてええんか?」

友達「逃げんの?うわー」

そんな感じで、周りから非難すっごい!!

まぁ自分としても憧れの先輩がいたし、バタフライが好きだったし、やめたくなかった。


けど、上にいきたかった。


そんなこんなで結果として個人メドレーになりました。


開花の要因その1

自分の中で高校時代にぐんっ!と伸びて、インターハイ2連覇だったり、Jrの日本代表だったりに選出されるんだけれども、その要因としての一個が

練習を工夫してやる(楽しく)

水泳って基本練習中にしゃべるの難しいんですよ。水の中にいるし。基本泳いでいるし。


そんななか、自分との勝負になるんだけど、淡々と泳ぐのってつまらんのよ。ほんと。

そこで楽しくやった方法があるんだけど、、、ここは割愛。面白くない、一般の人は。w


※追記

って書いていたらコメントがたくさん入ったので、書きます。


皆さんだったら下記メニューどうやりますか?

50m×10t 1:00 Hard

(要は、50mを10回、1分毎に全力で泳げって事)


だいたい当時は27秒台位できていたのかなぁ。とにかくがむしゃらでやっていました。

そりゃね、ただやったらつまらんのですよ。どうしてあんな四角い箱の中を全力で何度も何度も毎日やれと。そりゃ発狂しますよ。




で、考えた方法が

ただ27秒で泳ぐだけでなく、ストローク数をカウントしました


今までは結果をタイムのみで見ていたものが、タイム・ストローク数の二つで結果をみるわけです。

単純だったものが少し複雑になる。


ちゃんと覚えていませんが、考え方として

27秒20ストローク < 27秒18ストローク

という考え方。同じタイムだとするならばストロークが少ない方が評価としては高い。


但し、同じ条件ではないので

27秒20ストローク >?< 28秒18ストローク

こうなると分からないんですよね。どっちが良いか。


水泳では、ストローク数を増やすとタイムは自然と上がりやすくなります。

27秒20ストローク → 26秒20ストローク

にするのは非常に難しく、取るべき方法としては

27秒20ストローク → 26秒22ストローク

27秒20ストローク → 28秒18ストローク

のどちらかを選ぶ。


あ、ちょっと書いていたらマニアックになりすぎたかも。

要は評価基準を更に追加して、当時はまーくんと

「27秒!20!」

まーくん「27秒!19!」

とかやってるわけです。(相手のストロークは分からないので自己申告)

同じタイムでも勝敗が分かれるわけです。

こうして一つの水泳の楽しみ方が産まれました。


ぶっちゃけ、過去の自分はタイムをおっかけるだけがつまらなかった時に工夫(ズル)をしただけなんですけどね。


開花の要因その2

前に僕は平泳ぎもやっていたという話をしたんだけれども、昔はそりゃあもう、平泳ぎが苦手だったんです。コーチに泳ぐな!って言われる位に。

けど、高校3年の時に事件が起きる。

同期二人が日本代表になり、インターハイに出れない・・・


日本代表に選ばれるくらいなので、二人ともそりゃあもう速かったんだ。自分の母校である高校は、僕が高校二年のときに総合優勝していて、連覇が期待されている。


主力二人、抜けんの!?

しかも一人はキャプテンですよ。


葛原 俊輔「ということだから、頑張れよ!代理キャプテン」

「あ、うん、まぁ。頑張る。(自信ねー!!!!)」

もう一人は平泳ぎの選手で、彼以外に高校に速い平泳ぎの選手いなかったんだよね。


水泳にはメドレーリレーという、背泳ぎ・平泳ぎ・バタフライ・クロールを四人で泳ぐ種目があってですね・・・ちょっとだけ遊びでやっていた俺が抜擢。


プレッシャーはんぱねー!!!


ということで、追い込まれたら・・・平泳ぎ速くなりました(^^;)

自分の為とかじゃなく、チームのために練習必死になってやったりと。

人のためにやると伸びるんだなぁということを知りました。


人のためにやれるって自分を伸ばす上で凄く重要です。


結果として、インターハイでは総合二位。大号泣しました。二人がいないから負けたと思われることは当然で、自分を信じてついてきてくれた後輩だったり、応援に来てくれていた自分の親、部員の親に対して申し訳なくて。

思い出して話そうとすると今でもすぐ泣ける位、本当に悔しかった。


そんなこんなで紆余曲折ありながら、高校生活が終了。

憧れの先輩たちがいた、法政大学に行きました・・・


あぁ、疲れた。日本ランキング一位になるまではまだまだかかるから、いったんここで終わりです。続きは聞きたいが多ければ書きますー。

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