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13/11/13

30代でアメリカの音楽大学に留学したときのはなし(5)

Image by Olia Gozha

ドキドキの展開。こんなもやもやしながらいろいろ実行しちゃう私が悩んでいたこと。そんなことを書いてみたいと思います。まずは経緯から。



お嬢様育ちの母とメーカーに勤めるサラリーマンの父の元ひとりっことして育ち、のびのびとわがままに育った私は、一風変わった女の子。でも、あまり特段目立つわけでもなく、なぜか小学校、中学校は学級委員をやらされる人生。そんなに浮いてると思ったことはなかったです。

高校でいきなりの海外転居、進学、そして就職

父の仕事の関係で、私は高校受験のさなか、通常の受験を辞めることに。父の転勤が決定し、アメリカに移動することになったからです。この時の顛末の詳細はまた別の機会に書くとして、高校とこのあとの大学はアメリカで過ごしました。

このあたりから私の人生の歯車が不思議な方向に進んでいったように感じます。

同じ高校の友人はみんな、大学は日本に帰国子女枠での受験。だから私も、きっと同じように進むのかと思いきや、現地での受験を親に強く勧められ、しぶしぶアメリカでの進学のための受験、願書などを書きます。その数、12校。有名大学ばかり集めて、これだけ受けてもひとつも受からなかったら、親も諦めるだろうと受けた学校の中で、3つも受かってしまって、なぜかそのまま進学するはめに。

完全に思っていなかった進学で進んだ大学はすばらしい学校だったと思いますが、心がまだまだ甘ったれのガキンチョだった私には、しっかり勉強できることもなく、いきなり2学期連続で取得単位ゼロ。観察期間として、学力不足の停学への道をしっかり歩み始めます。

しっかり学力不足で、停学になった私は、いろいろ紆余曲折してストレートAを別の学校で取り、元の学校にプレゼンテーションして、また受講を許可してもらい、セカンドチャンスをなんとかものにして、そのまま卒業までこぎつけたのですが、このあたりも、また別の機会に詳しく(笑)

そんな私は、アメリカで特に就職する気もあまりなくって、日本にすんなりと帰りました。高校卒業からずっと帰りたくってしょうがなかったからです。就職活動を始めたのですが、意外にも全く相手にされず。私のプライドはずたずたに。

そんな時期、いきなり当時付き合っていた彼氏と結婚の話をまとめ、いきなり結婚。その後、仕事を見つけてキャリアがスタートしました。

結婚と離婚

えっと、結局2年弱の結婚生活でしたo(^▽^)o
意外と波乱万丈でしょ。子供はできませんでした。
ここも、書くと長くなるので、別途(笑)

とりあえず、離婚して東京での一人暮らしが始まりました。

さて本題。それまで完全に一人で生活したことがなかった私は、このあたりから、自分探しが始まったのかなと思います。残りの20代はずっとずっと手探りで、悩んでいました。なんかおかしいと。

悩んでいたことは、まず、なんだか自分がサラリーマンしていると、その会社の常識からずれてしまう新しい何かをしてしまっている様子だということ。すごく溶け込む努力、浮かない努力をしても、なぜか注目され、知らない人からも見られているらしいということを聞いて、とても苦痛に思っていました。

例えば、某社に勤めていたころ、ある日、ダイエットを始めようと思った私は、りんごをゲット。昼休みにりんごをおもむろに取り出し、自分の座席でりんごに皮ごとかぶりついた時に、周りが大騒ぎに。

となりのおねいさん:「え、ももえちゃん、りんご、かぶるの?」

ももえ:「あ、めんどくさいので、かぶってますw おいしいですよ(*´∀`*)」

あるとき言われたのは、机の上にあめちゃんをおいていたのですが、そこを通るツアーが出来ているとのこと。

しらない会社の人:「ここが、あのももえちゃんの席?」

となりのおねいさん:「そうなのよ!うふっ」

私はそんなことがあるなんてイマイチ分からず、なぜかとてもとてもおとなしく過ごすように努力していました。

となりの部署には、TV番組を制作するプロデューサーさんの席があって、彼らはいつもとってもキャラが強い芸能人を相手にされているので、きっと彼らの目には止まらないだろうと思っていたら、やめるときにはっきりと

某P:「完全にキャラがはみ出ていたからなぁ。面白い人だと思ってた!おつかれさま。」

あるときなんて、

某P:「あ、ももえちゃん、ダンス習ってるんだってー是非踊ってみてよ!」

急に周りにももえちゃんが踊るって!っていいつつ、謎に囲まれ、そのまま会議室に拉致され、え、え?ってなっていたら、「はいどうぞー!」

えー踊れないですよと言いながら、昨日習ったフリを踊る私。。。そして拍手パチパチ。。。

そんな謎な日々を過ごしていた私には悩みがありました。

そんな私の悩み

それはざくっというと、

なぜか目立ってしまうこと。

普段はすごくそれが嫌だったので、自分としては忍者になったように、密やかに過ごすように努力していました。プライベートでは好きに過ごして、会社員だった頃は、会社ではめだたないように過ごす、それがテーマでした。

なので、アメリカでの音楽大学の学期が始まってすぐに、無料で利用できるカウンセリングに通うようにしました。

カウンセリングでやったこと

とにかく最初は言い分を聞いてもらいました。

あまり人と同じ考えにならないことが多いので、同意されない。すなわち、私は、日本に馴染めないんじゃないか。好意的ではあったけれど、思いがけなく目立つと良くないことも多くて、なんでもないことで注目されてしまう。そんな日本だととても生きづらい。だから、最初はアメリカに住んだほうがいいんじゃないかということ。

するとカウンセラーさんが提案してくれました。

まず、自分が思う日本にいたほうがいいこと、悪いこと。アメリカにいたほうがいいこと、悪いこと。これをリストアップしてみようと。

そこでいろいろ書いていきました。

日本にいると目立つ。目立つからサラリーマンみたいに集団の中で過ごすのは生きづらい。りんごにかじりつくだけで注目されてしまう。別に誰にも迷惑かけてないのに、そういう目まで気をつけて疲れてしまう。

当たり前の事ですが、私が今まで感じていたことは、あくまで社会の中の私の立場での感覚でした。

今、私は音大にいる。ミュージシャンになる。そしてそのミュージシャンの中にもいろいろなお仕事の立場がありますが、その中で立場を考えていくと、例えば個人でやるボイストレーナーとして、となると、もしかしたら感覚は違うかもしれません。

カウンセラーさんの力を借りて、徹底的に自分を見直し、整理しました。いいこと、わるいことを書き出すことで、自分の性質が客観的に見えてきました。

そのあと、自分がやるつもりだったお歌を教えるお仕事をする場所がアメリカ、日本、どちらが適切かを考えたのです。

すると、ボーカルの先生として、人として個性を考えると、日本とアメリカで圧倒的に日本の方が目立つし、個人でやっていくならば、有利に仕事ができそうと思っていることが判明。さらに、自分が経験したことを役立てて教えて挙げられそうなことも、日本のほうが多そうということがわかりました。

そうやって、約1年かけてクリアにした自分の考えは、日本に帰って音楽の仕事を模索すること、ということになりました。

ふぅ。波乱万丈、前途多難(((o(*゚▽゚*)o)))

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