私の人生は、実は苦難の連続でした。
こんにちは、私は『@SOHO』という、
ビジネスマッチングサイトを創業し、運営してきました。
一応、このジャンルのWebサイトとしては日本国内No.1の会員数となっています。
私はこれまで『華々しい経歴を歩んできた』
と思われることが多かったのですが、
実はそれは誤解で、
私も様々な失敗と挫折を経験しながら、
今に至っています。
最近では起業を目指す方にアドバイスさせて
頂くことが多くなってきたのですが、
まだまだ日本では起業することに対して、
不安を感じている方が多いと思います。
世界を見渡してみても、
日本人はやはり優秀です。
ところが、その優秀さが、
本当の意味で社会に貢献することに使われず、
旧来の教育システムに洗脳され、
『会社を始めとする組織に固執する』
に使われてしまっています。
私は勇気を出して独立を果たし、
時間的にも経済的にも、
サラリーマン時代よりも豊かになりましたが、
多くの方に勇気を感じて頂けるように、
私がこれまで発信して来なかった、
『恥ずかしい過去』について、
書いてみたいと思います。
<大学時代の私>
旧来の偏差値教育の影響により有名大学に入学するも、
学科(工学部機械系)に全く興味が持てず、
『社会に出たら好きなことをやろう』
と決意。
唐沢寿明の『ふたり』という本に出会い、
俳優になろうと思い、
オーディションを受けまくる。
オーディションの結果は常に『準合格』。
一定の訓練を積めばデビューへの道が開かれると言われ、
芸能プロダクションの訓練生となり、
半年間、月謝を払いながら訓練を積む。
業界に詳しい知人から、
業界に詳しい知人「力の無いプロダクションにいてもデビューできる可能性は無いよ」
と断言され、訓練生を辞める。
セミプロのギタリストと知り合いになり、
その格好良さに憧れ、自分も練習を始める。
3ヶ月後に中洲で弾き語りデビューを果たす。
(基本は当時は異色の、『The Yellow Monkey』のコピーだった)

試行錯誤するも、芸能活動を断念し、
一応就職活動をしてみるが、
就職氷河期ということもあり、
内定を得られた会社は2社。
結果、 就職氷河期ということもあり、
志望していた当時の5大商社
(三井物産、三菱商事、住友商事、日商岩井、伊藤忠商事)
は全敗。
ようやく内定を得られたのはIT系の会社2社のみだったが、全く興味を持てず。
大学の担当教授からは、
教授「お前は社長になるか、会社をクビになるか、どっちかだな」
と言われる。
大学の知人に、『ニュースキン』という
ネットワークビジネスを紹介され、
『不労所得』『権利収入』
そのビジネスモデルに驚愕し、一念発起。
大学を卒業したらニュースキンを本格的にスタートしようと決意。
両親を説得して、内定も辞退。
卒業間際に、親身になってくれていた社会人の先輩方から、
ネットワークビジネスを辞めるように説得される。
当時学生が借金をしてビジネスをするなど、
社会問題になっていたことを鑑みて、
自らこのビジネスをやることを断念。
当時の私:

<大学卒業直後の私>
大学卒業後、全く進路が決まらないまま、
学習塾の経営、インターネットの広告代理店のビジネスを模索するが、
何もできないまま半年が過ぎる。
当時出会ったある社長に、
30代成功社長「君にはまだ武器が無い。素直に就職して、自分の武器を身につけてから、最短で独立する道を選びなさい」
とアドバイスを受ける。
全財産が10万円を切ったため、
素直に就職することを決意。
10万円どころか、
実はインターネットの広告代理店の権利を買うために80万円、
また『ナポレオン・ヒル』もどきの『成功哲学』の
高額教材を買うために110万円、
合計200万円近くの借金を背負っていた。
地元で就職活動を行い、幾つかの会社に入ってみるも、
1社目は入社1週間後に会社の経営が怪しくなり、
次を探さざるをえないことに。
2社目はたった3人程度の会社で、
社風に全く興味が持てず、1日で退社。
それから継続的に就職活動を行い、
・インターネット関連の技術が学べる
・残業代が全額出る
という会社を戦略的にセレクト。
『第二新卒』として、地元福岡のIT企業に就職。
この企業では平城が初めての『大卒』であり、
モチベーションが低すぎる社風にショックを受ける。
おまけに専門学校卒の年下が上司となり、
奴隷のような屈辱を受ける。
人生で初めての挫折感を味わう。
持ち前の反骨精神と継続力により、
1年半で大学の情報システムの構築業務をマスター。
長崎大学等のシステムを手がける。
当時の私:

副業で開発したショッピングカートが大ヒット!
『なるべく早く独立したい』と
副業で開発したショッピングカートが大ヒット。
流通総額500億円以上の規模に成長。
200万円の借金は完済し、
逆に300万円の貯金ができる。
当時出会った東京の某社長に出会い、
会社を辞め、上京する。
フリーランスのITエンジニアとして、
システム開発の仕事を受託しながら、
某社長の仕事を手伝う。
あることがきっかけで、
ショッピングカートのビジネスをパートナーから
一方的に追い出され、裁判沙汰になりそうにもなり、
人生で二度目の挫折感を味わう。
パートナーとのトラブルにより弁護士費用が50万円、
その後一緒に起業しようとした友人へ貸した金45万円が焦げ付くなどして、
貯蓄はどんどん減っていく。。
『チーズはどこへ行った』という本に出会い、
自分も新しいチーズを探す旅に出ることを決意。
2001年の9月11日、米国の『同時多発テロ』の直後に、
単身渡米してシリコンバレーを視察しに行く。


ちなみに、このころの私の心境。
幾ら頑張っても頑張っても、結果が出る気がしなかった。
当時は中野のワンルームマンション(レオパレス)に住み、
当時流行っていた『K-1』などの格闘番組などを見ながら、
食事は『松屋』か『やよい軒』、
気分転換に走りこみをしたりしながらハングリーな日々を過ごす。

<25歳頃の私>
フリーランスのITエンジニアとして活動を続けるも、
将来に不安を感じ、
『30歳までに再度独立する』と決め、
再就職することに。
大前研一の影響を受け、『戦略コンサルタント』に憧れる。
就職活動のコンサルタントから、
『あなたの経歴では無理です』
転職コンサルタント「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ーーーーーッ!!!」
私「ガーン!!!」
と言われ、
人生で三度目の挫折感を味わう。
当時たまたま、ITエンジニアの増員を図っていた
外資系ITのコンサルの会社、『アクセンチュア』に入社が決まる。
アクセンチュア時代、
上司から、
上司A「地頭が良くないね〜、君。」
と言われながらも、
持ち前の気力と精神力で死ぬほど働き、
3年連続で社内評価上位5%の『Aランク』を獲得。
アクセンチュア2年目に、
フリーランス時代に営業ツールとして使っていた、
ビジネスマッチングサイトの使い勝手に満足できず、
自分でサイトを立ち上げることを決意。
ここで@SOHOが生まれる。
アクセンチュア3年目までに貯蓄を800万円作り、
副業である@SOHOからの収入が月額20万円を超えたのを機に、
29歳で二度目の独立を果たす。

当時の私:

このころの私の心境。
私「少し成功への扉が開けてきたかも?」

<29歳〜33歳の私>
システム開発、@SOHOの2つの事業を柱として、
独立後初月から月収100万円を超え、
会社の売上は1年目は1,500万円、2年目は3,300万円と、
倍々ゲームのように増えていく。
『旧来の会社組織』に反発し、
『雇われ人は作らない』というポリシーから、
社員ゼロの経営スタイルを貫きながらも、ビジネスを拡大。
東京駅至近に住居を構え、従来からの憧れであった、
『ホテルで仕事をする』スタイルを実現する。
後に『ノマド』という言葉が社会で話題となり、
自分もノマドであったことを認識する。
途中でヤクザにWebサイトを乗っ取られそうになりながらも、
@SOHOは創業4年後に国内No.1の会員規模に成長。
このころの私の心境。
私「やった、成功への階段が見えてきたぞ!」

<33歳以降の私>
33歳にして、日本でのビジネスが一段落したことをきっかけに、
海外での資産運用を開始。
海外を何度か訪問しているうちに、
『世界中を旅しながら仕事ができたら』
と強く思うようになる。
その後2年かけてビジネスを再構築し、
世界中のどこにいてもビジネスが継続できるスタイルを実現。
『海外ノマドスタイル』と命名する。
独立して成功できるITエンジニアを育成するメールマガジン、
『スーパーエンジニア養成講座』を開始。
1万5千人以上の読者に、メール/セミナー/Skype相談を
中心としたアドバイスを行う。
海外ノマドの魅力を伝え、それを実現したい方を
サポートするた、『海外ノマド倶楽部』をスタート。

如何でしたか?
20代前半のころの自分は、
まだやりたいことも決まっておらず、
右往左往していたことがおわかり頂けるかと思います。
今だったら絶対に手を出さないようなビジネスに手を出したり、
無駄にお金を使ったりもしていますね。
ところが、これらの経験をあらためて振り返ってみると、
これらの失敗は『必ず通る道だったのではないか?』と思わざるをえません。
勉強にしてもスポーツにしても、
最初から完璧にこなせる人などいないと思います。
ビジネスも同じです。
私の経験上からも、そしてこれまでに成功された方々の経歴も詳しく調べていくと、
誰もが初期段階では様々な失敗を経験していることがわかります。
それを乗り越えたうえでの今がある、ということです。
『失敗は誰でも経験する』
と理解することができれば、
チャレンジすることに対して少しは恐怖感が拭えるのではないかと思います。
このストーリーを読んで頂いて思うところがあれば、
ぜひコメントをお願いします。
<追伸>
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