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13/11/12

ハミダシ者仲間と共に - storys.jpでつくるクラウドプロジェクト物語(2)

Image by Olia Gozha



元ニート、10年近く前は親の仕送りで生活していた。けれど、今は起業家としてコワーキングスペースの経営をしている。しかし、経営者らしさよりもユルさが目立つ。

このスタートアップワゴンの二人目のメンバー。愛称は「ジェイ」。

この第二話は、僕がこのstoryを始めるまでの経緯と、彼との出会いを簡単に語ろうと思う。そしてご報告だが、数日前に3人目のメンバーを(無理矢理)つかまえることができた。

しかし、サービスの企画に鋭い指摘をもらって、「やべぇ企画の根幹にダメ出しされた!!プロジェクト中止の危機?!いきなりエンストじゃん!!」という状況なのだが、それは次回の話。

とにかく、第三話までは続けられる。その後は・・・

そんな現在進行形のstory。


年を取るとリスクヘッジばかり考え始める - もちろん、それは悪い事じゃない - でももう嫌になったんだってば!!


大学中退を決めた日の思い出』というstoryを書き始めたが、僕はある目標を持って大学を中退した。

結論として、僕は自身が立てた目標を叶える事はできなかった。自分の未来を信じていたし、自分の力を信じていた。しかし、僕の人生には何も訪れなかった。そして、何かが起こる事を期待するのをやめた。30歳の頃だ。

目標を叶える為に死ぬ気で行動したかというと、今、雇われの身として、プロとして業務を行う日常から考えれば、手を抜いていたし、努力していたなどとはいえない。それでも、当時はそれなりにやっているという気になっていた。だから、僕の人生に何も訪れなかったのは当然だと思うが、「挑戦」という言葉は自分の辞書からページごと無くなった。

サラリーマンとして生活しようと思った。キャリアを積んで働くにしても伸びている業界が望ましいと思って、当時から拡大していたWeb業界に転身する。営業職を経験していた僕はWebディレクターとして、ある企業に採用された。しかし、その年の年収は200万円を少し超えるぐらいだった。そして、その企業はもう既に存在しない。


30歳、IT業界の経験無し、転職3回、大学中退、20代のうち半分の5年間はフリーター


僕にとって、Web業界に限らず転職することはハードルだらけだった。贅沢は言えなかった。

それから10年、なんとか年収は3倍ぐらいまでに引き上げることができたし、同世代の平均給与は超えるようになった。正直、始めの5年ぐらいはしんどかった。

Web業界に入って2年目ぐらいからプログラミングを勉強するようになった。平日は23時過ぎに帰宅し、そのまま初心者本を片手にプログラミングの勉強を深夜2時3時まで続けた。土日に運良く休みが取れるときは、買って来た筐体やマザーボード組み立ててLinuxを構築したりしてOSの構築なども始めた。

何かしら技術を得たかったからだ。ディレクターやらマネージメントだとかいっても、自身のマーケットバリューをどう表現して良いのかわかりづらいと思ったからだ。技術者なら、あれができる、これができるとアピールすることができる。

収入を増やす為に、とにかく技術を身につけて自分を高く売るという方法しか知らなかった。

ちなみに、40歳前半男性の平均給与はこんな感じだ。

3-10 1年勤続者の年齢階層別給与所得者数・給与総額・平均給与(男、女、合計)から作成。

キャリアとしてハンディキャップを持った僕はもちろん大変だった。だが、このグラフが示す通り、だれもが大変な時代に僕たちは生きている。


7年間で1000万円を家族に渡した


31歳の時に、母がガンを再発して他界した。

当時、3年ぐらいつき合って、結婚しようと考えていた恋人も居たが、いろいろあって別れた。

母の他界後、3年ぐらいのあいだ、父は気力を失った。残っていた住宅ローンをある時から僕が肩代わりした。7年間で1000万円ほど。

正社員、派遣と、働き方や職種、プロジェクトを変えながら、とにかく給与を上げる為に、キャリアアップのために、同一の企業で3年以上は就業しないという信条で30代は過ごした。

組織の一員として働きながら、「できる・できない」で物事を考えるようになった。幼い頃は世間や社会をあまり知らず、ただやりたいことを口に出来るが、給与所得者として働く時、大事な会社のお金を無謀な計画には投下できない。挑戦するという事はリスクがあり、慎重に判断せねばならない。

年齢を重ねるにつれ、痛い思いを何度もし、うまく立ち回れるようになる。賢くなる。


過ちと愚行の継続的インテグレーション


自身の過去は別のstoryに書こうと思う。とにかく、「人生はこんなものだ」といつの間にか考えるようになっていた。だが、人との出会いの中で情熱が戻って来た。

人に笑われようと自分がやりたいと思うことをやりたいと。

自分の事を愚かだと思う。この半年というもの、何も成果が出ていないし、自身の未熟さを思い知るばかりだ。最近は特に愚行を繰り返している。そう思う。けれど、それもいつの間にか楽しくなって来た。

あるベンチャーキャピタルさんに会いに行った時、帰り際に一冊の書籍をを薦められた。

その書籍は自然哲学と社会学が入り交じったものだったが、その始まりに次のような文章があって、お気に入りの図書となった。

愚かさを自覚することによってはじめて、人は愚かさが発現しない仕組みの構築に知恵をまわすことができる。

このstorys.jpを活用しながら、プロジェクトを進めてみようという試みもどうなるかわからないが、楽しくて仕方がない。

僕は今、自分の新たなストーリーを創っている。


昨年の春頃から「人に出会う」を目標に、パーティーだのイベントだのと参加した。呼ばれるイベントにはなんでも顔を出していた。時には街コンにも行ってみた。いろいろな方に出会うと同時に、インターネット上の情報など所詮上澄みなのだと思い知った。

そして、まだまだ見ていない世界が存在するのだろうと思う。

自らが動き出せば、人生はそう簡単に飽和しない。


会話のリズム感が気持ちの良い人


ジェイと出会ったのは、今年の5月頃だったと思う。ある友人の女性が、「気が合うと思うよ」とジェイが経営するコワーキングスペースで催される交流イベントに誘ってくれた。

交流会では挨拶ぐらいしかできなかったが、参加者の住まいを借りて2次会が開かれる事になり、近くのマンションに移動して交流は続いた。

初めの印象は、「センスを感じる」だった。

次の印象は、「感情の起伏が薄いのかな」だった。

元ニートだったという情報はどこからか入って来ていて、その部分にはやはり興味があった。ニートといえば、なんというか、「生きる事を放棄した人」というイメージを勝手に持っていた。なんて言えばいいのか、自分が住んでいる世界に興味を失った人というイメージだ。

一方、経営者というと「熱血」という勝手なイメージがあって、そのギャップが不思議だった。

始めての会話は覚えていないが、全てがなめらかだった。お互いに多くの言葉を必要としなかった。それはきっと、お互いに同じようなバックボーンを持ち、同じように世界を見つめているから、細かい説明が不要だったのかもしれない。



穏やかな印象だった。草食男子というやつか?ちょっと、感情の振り幅が小さいのかな、とも思った。

例えば大きく表情筋が動くタイプには見えなかった。多くの人と出会うと、顔のつくりなどでなんとなくだが、その人が「表情豊かに感情を伝えるタイプ」なのか、それとも「内に秘めるタイプ」なのかぐらいはわかるようになる。ジェイは後者だった。

少なくとも「熱血ではない」と、初見では勝手な印象で思ったが、しばらくしてそれは覆される。


誰にでもストーリーとルーツがある


ジェイと出会った頃、インタビューサイトというものを作りはじめていた。とにかく自分がやりたいことを始めるという気持ちで、マネタイズのことは考えずに始めた。

いろいろな方と出会う中で、自分の目標を明確に持ち、熱く活動する人々の想いに心を刺激されていた。

出会った人々は振り切れている方も多かった。気持ちいいぐらい突き抜けている方も居る。

めちゃくちゃ、かっこいいなと思った。

情熱の炎は、周囲にも飛び火する。


「ハミダシ」者 - だけど「フツー」の人


ジェイも僕も、人物として、性質として、特に変わったり、特異なものを持っているタイプではない。むしろ、「フツー」の人だ。

実は、ジェイについては「インタビュー「目標は独立起業を大衆化すること」」という記事を公開している。

幼少の頃の話から、いろいろ聞き出すと、みかけとはだいぶ違って、「かなり熱い」人物なのだということがわかった。僕もジェイという人物の成り立ちが見え始めて楽しくインタビューさせてもらった。

僕のインタビューがきっかけで、ジェイ自身も自分のルーツを発見するのだが、彼が世間一般の道筋からハミダシたのは、高校生のある状況が原因となっている。

おそらく、そのきっかけが無かったら、きっとジェイはニートになることはなく、独立起業をすることもなかっただろう。多くの人がそうであるように、学校を卒業した後に就職をし、もしかしたら1度や2度は転職するかもしれないが、今頃は家庭を持ち、家族を持ち、一人の社会人として、また、組織人として、穏やかに暮らしていたのだろう。

僕にしても同じだ。僕も自身のルーツが訪れなければ、きっと理系の大学を卒業して、就職をしていただろう。おそらく転職はよっぽどのことが無い限りしていないはずだ。なぜなら、僕はかなり小心者なので、リスクを取るような選択は本来的には滅多にしない。ひどく真面目で、仕事熱心な会社員になったのではないだろうか。


あなたは自分のストーリーを生きていますか?


もともと、この企画はstorys.jpで進めようというつもりは無かった。

ある日、ジェイが企画している案件を横で聞く機会があって、そのことが何となく気になっていた。


自分「(ジェイが進めている企画、集客はどうするのかなぁ)」


自分「あ、自分のテーマとジェイの集客とを掛け合わせるとおもしろかも。」

当時はまだ、とにかくシステムを開発してリリースしようと考えていた。

けれど、この半年の中で、とにかくチームビルディングが重要だということ、同じビジョンを持って共に進める仲間作りが最優先課題だと認識した。社会人としてはそこそこ生きて来たが、起業家としては相変わらず初心者だ。

いろいろな交流会やイベントに顔を出して、仲間を募るのもいいだろう。

けれど、そのアナログな方法がやけに効率悪く思えた。

イベントに出て、毎回自分の話をして、ビジョンを説明し、また別のところへ行って同じ話をする。

これは一体、なんの苦行だろうか?

伝えたい事が有るなら、先に書き、蓄積しておけばいい。あとは発信するだけだ。


僕とstoryを創りませんか?


5千人以上もの起業家を見て来たというキャピタリスとの方に、「起業家にとって最も重要な要素は?」と聞く機会があった。

「コミット力」だとその方は言った。

なるほど、それなら自信がある。僕は何も成し得ることができないかもしれない。しかし、自分のやりたいことを諦めることなどは絶対にあり得ないことをコミットできる。過ちと愚行なら慣れたものだ。それぐらいのことで心が折れることなどない。

中途半端だろうと、なんだろうと、僕は自分のstoryを生きる事を止めない。僕は自分らしく生きる為に、ただ自分のやりたいことを続ける。

もちろん、あなたのstoryにたいして、僕は何もコミットしない。当たり前だ、あなたのstoryはあなたにしか創れない。

コレ続きます|´Д`|

序章はほどほどに、次回からはそろそろプロジェクトの内容や進捗などに触れたいと思う。

続きはstorys.jpで!!!


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