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13/11/6

マニラの街角で見かけたある親子の話

Image by Olia Gozha

仕事の関係でセブからマニラに来ている。毎朝、滞在しているホテルから職場までの数百メートルを歩く。高層ビルに囲まれたこの地区では、ビジネススーツに身を包んだ多くの人々が毎日忙しく行き交う。今朝も多くの人と自動車で混雑する通りを歩いていた。

ふいに交差点の反対側にいる一組の母子の姿が目に入る。母親は使い古されたベビーカーの前にしゃがみこみ、その脇に置かれたゴミ袋の中から機内食で配られるようなミックスナッツの小さな包みを2つ取り出した。それを薄汚れた紙コップに移し替え、ベビーカーに寝かされている子どもに与えようとしている。

僕は道路を横切り、母子の脇を通り抜けようとした。そのとき、寝かされている子どもの姿が目に入った。

女児の四肢は正確な描写として枯れ枝のように細く、その先っぽと言っていいようなつま先には、小さな白い(白かった)靴下が引っかかっていた。女児は高層ビルが立ち並ぶ空を虚ろなまなざしで眺めている。小児麻痺だろうか。また、短く刈り込まれた頭髪はところどころ抜け落ちている。

ちょうど僕がこの母子の真横を通り過ぎるとき、母親は紙コップを女児の口元に持っていきミックスナッツを口に流し込んだ。少々乱暴だなと思いつつ通りすぎようとした。

がりっ、ごりっ、がりっ、がりっ

通り過ぎようとした僕の背中にこんな音が追いすがる。

がりっ、ごりっ、がりっ、がりっ

思わず振り返り女児を見る。

がりっ、ごりっ、がりっ、がりっ

虚ろなまなざしながらこの女児は口いっぱいにミックスナッツをほおばり、顔面を引きつらせ、よだれをたらしながら、懸命に噛み砕いている。小さく握られた女児の指先の爪は掌に食い込んでいる。口からあふれたナッツのかけらがのどの辺りから路上に落ちる。母親はそれを一つ一つ指でつまんで今度は自分の口に入れた。

がりっ、ごりっ、がりっ、がりっ

僕はその音に圧倒されしばらく立ちすくんだが、気を取り直して母子から遠ざかろうとした。

(がりっ、ごりっ、がりっ、がりっ)

この音が耳から離れず、なぜかまた引き返してしばらく立ち尽くし女児を眺めていた。路上生活者のこの母親はこの女児が生まれてからこんな生活をずっと続けてきたのだろうか。ごみ拾いと物乞いで障害を抱える子どもを育てていく生活とはどのようものだろうか。そして、これからもこの娘を路上で世話し続けていくのだろうか。順当に考えれば、自分より長生きするであろう娘。自分がいなくなった後の娘の行く末をどのように考えているだろうか。

もちろんこう考えることもできる。この母子は物乞いを稼業とする組織によって組み合わされた他人同士に過ぎず、路上生活者ではない。だとしても、このような組織によって「商売道具」として生かされている彼女らの生活が路上生活より恵まれているとは言えないだろう。

とにかく、世界がどんな過酷であったとしても、今朝、彼女は生きていくために顔面を引きつらせミックスナッツを懸命に噛み砕いていた。この音には彼女の生きようとする強烈な意志が込められているように感じられた。

彼女の生きようとする意志に対して、人々のどうしようもない苦しみに対して、いつかはこの世に再臨し人々を救済すると約束した世界中の神々はただそれを眺めているだけなのだろうか。

遠藤周作はこのような問題から代表作である「沈黙」を書いた。が、しかし、こんなに大げさに言う必要はないかもしれない。母子にとっては神々だけではなく、この交差点を行き交う僕も含めた人々もまた相変わらず沈黙したままなのだから、神々も市井の人々もそう変わるものではない。ましてや僕自身が彼女を見捨てたままにしている神様を恨めしく思ってもそれは全くお門違いといったところだろう。

結局のところ、しばしば目にする残酷な光景に対して自分がそれにどう関われるかについて思い悩んでいることが、今僕がこんなことを書いている動機だ。が、それはよくわからないし、目に入ってくる全てに関わることなど到底不可能だ。ただ言えることは、よくわからないままこんな光景を目にすることに慣れてきていることは確かだろう。

よくわからないままに慣れていく。やがて、なぜそのことについて考えていたのかさえも忘れていく。多くの場合、私たちはこうして生きているし、このようにしか生きられないのだとも言える。しかし、よくわからないことをよくわからないままにしてはいけないことが僕にはいくつかあって、今朝の光景はその一つだと思う。

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