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13/11/3

異国の国ではじめての友達はくまさんだった。

Image by Olia Gozha


冷たい色した、冷たい素材に

ぎゅっと離さまい、として両手を絡めた。

あの空間を思い出すと、

なんて無機質な場所だったのだろう、と今の私は思うけれど、


同時の私にとっては、

ぐるぐる回るカラフルなスーツケースたちが、

自分のこれからを魅せてくれているようだった。


興奮していたのか?

それとも希望に満ちていたのかは、今の私には分からない。


それでも確かに、あのときは私にとって

忘れられない人生の転機でもある一日だったのだろう。



場所は空港の荷物待つロビーで

わたしははじめて訪れる国の言語に耳をかたむけながら、

くるくる回る色とりどりのスーツケースたちを目で追っていた。


横には祖母がいた。

そして、わたしはずっと、

荷物をのせるスチールの冷たい銀色の乗り物に

アスレチックで遊ぶかのよう、一人乗っていた。



:::::::::::::::::::::::::::

その後のことは、あまり覚えていない。


覚えているのは、両手にしみついた空港での冷たい感触と、

くるくる回るスーツケースたち。


そして、その後に囲まれた

見たことも無い格好をした大人たちに渡された

一人のくまの人形だけ。


大きなうさぎの人形ももらったのだけど、

あの時の私にとっては、抱きつくものよりも

手の上で遊べて、ずっと一緒に移動してくれる友達のほうが必要だったから。


そうやって、はじまった日本での暮らし。




何も知らない、というのは最強の状態である。

なんど、あの頃の「無知さ」に戻りたいと思うことか。


無知であることは時として痛みを味わうけれど、

あの頃のわたしの「無知さ」というのは完全に誰もを魅了する

「無邪気さ」に変換されていたのだ。


ちょっと大人になってしまえば、

私たちはたちまち「無知さ」を隠し通そうがゆえに

人に「不自然さ」が伝わってしまう。


でも、


たった6歳でやってきた異国の国、日本での生活。

わたしを唯一救ってくれたのは、

この時の「無知さ」だったのかもしれない、と

今では強く思う。

::::::::::::::::::::::::::::::

目の前にいるおじさんと、おばさんは、

「お母さん、お父さん」みたいだ。


今でこそ、その衝撃的な体験を話のネタにするまでに至った。


でも、あの時のわたしにとって、あの感触は

今でも忘れがたい一つの思い出。

1歳に満たないほどで父と離れ、2歳に満たず母と離れ。


「お父さん、お母さん」たる存在が

どこかにいるのは分かっていたけれど、

近くにいるのはどうも、他の子どもとは違う「年代」の父と母だ。


いくら子どもだからといって、

祖母と祖父のことを「父、母」と思うことは出来ないだろう。

だから、私の中には自然と「父、母」という人物は、全く「体験」を元に存在していなかった。



確かに、大切な存在ではあった。

でも、概念として知っていただけで

どれほど大切にされ、どれほど大切にしたいか、なんて、

おそらく一度も経験した覚えがないうちに。


「このおじさんと、このおばさんが、

お父さんと、お母さんなんだね」


そう思った強烈なインパクトだけが、

まずは私の中に残った。


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


ちょっとだけ音が漏れる個室空間。

そこは、私だけの秘密基地。


大人たちが遊んでいる横でわたしもひっそり遊んでいた。

バレてはいけなかった。バレないことが、その「遊び場」のルールだった。


知らない番号を入力して、流れる知らない言葉の音楽に任せて腕や腰をフル。

誰も観客がいない、わたしだけのオンステージ。



普通、小学校の頃の思い出なんて、

友達との交流とか、運動会とか、みんなで行く遠足とかだろう。


でも、私にとって、一番の思い出は、

母が務めていたカラオケボックスの中での時間だった。


誰にも邪魔されない。完全なる「わたしの時間」

そこには、寂しさも、孤独も無かった。



孤独というものは、

触れ合いを知ってから訪れる空虚感だとすれば

その頃のわたしは、「触れ合い」にすら

心が開かれることがなかったのだと思う。


完璧で、完全なる空間だった。



母は、毎日学校とカラオケボックスを往復し

土日になると、わたしは学童か、

母のカラオケボックスに一緒についていった。


もちろん、他の人にはいえない秘密。

たまに一緒に遊んでくれるお姉ちゃんたちもいたけれど、


私は基本的に、カラオケボックスの一室に入り、

そこでこそっと一人の時間を過ごしていた。



長い時は、10時間。

ずっといても飽きなかった。


本当はというと、

あそこの場所が、わたしの原点ではないか、と思う。

そして、「さみしさ」や「こどく」を知らなかったあの頃の私は、

やはり「無邪気な無知さ」と平行して、

人を魅了する強い武器を持っていたのだろう。


:::::::::つづきます::::::::::::



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