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13/11/1

えにしつむぎ 第5縁「長野での出逢い」

Image by Olia Gozha

私のよな移動人には、フェイスブックは嬉しいツール。各方面でのライヴ告知や、中々逢えない各地の友人とのコミュニケーション。自分なりにうまくボーダーを引きつつ、公私で便利に使っている。そんな訳で、フェイスブックから繋がったエニシからお話。

311の直後、夫の仕事が突然長野に移り、私たち夫婦の住まいは現在塩尻にある。生まれも育ちも小名浜の私は、山に囲まれた海の無い土地に住むなど考えられなかったし、元々、東京に腰を降ろして音楽活動したかった私にとっては東京移住から程遠い状況になり、複雑な心境だった。小名浜の実家、荻窪の部屋(借りてもう9年)、塩尻のアパートの3ヶ所を行き来する生活が始まって一年半の今である。

当初長野には知り合いは全く居らず、友達を作る気力もなく。だけど、何かしたい気持ちはあって。そんなある日、30代始めの元気の良い若者2人とフェイスブックで知り合った。一人が福島市出身で、一方は松本ッコ。震災後は炊き出しのボランティアに何度も出向き、今、松本で福島支援の団体を運営しているという。メイルでのやり取りの後、彼らと直接話すことに。だけど熱い彼らの想いとは裏腹に、当時「福島の為に頑張りたい!」というその気持ちは私にとって何だか痛かった。多くの福島県民が避難に訪れている、サポートしていきたいんだ、という彼らの想いに「私は避難ではないんだけどな...」と何とも後ろ向きな心で帰宅する。二人はその後も、フェイスブックから幾度となく地元でのイベントを紹介してくれたりと気に掛けてくれた。実際の所、自分の移動生活が落ち着かずで手一杯だったり、自分の気持ちを操作していくので精一杯。「外側」に対して「あなたにはわかるまい」と卑屈的な感情すら感じたり。彼らの運営する「支援部隊みらい」では、福島県人会を作り、芋煮会、祭りへの出店など参加を呼びかけ、福島からの移住者を寂しくさせないように頑張っていた。シリコンバンドを作り、自分達の知るあらゆるネットワークに直接出向き、その売上げを支援金に。フェイスブックで遠巻きにその様子を見ていた私自身、長野に対して、いつの間にか厚い厚い心の壁が出来ていたのだ。震災による被災者的な捉え...社交的な仕事をしている分、そういう感覚に自分が塗れていることを認めたくなかったかも。この春、そんな気持ちに終止符を打つかのように「再生の灯火に」という自作曲を録音し、FM局を自分の足で回ろうと決意、彼らに相談すると親身になって伝手を考えてくれた。

そしてこの夏、自分達の団体で復興ソングの録音があるので参加しませんか、と声を掛けてくれた。まだ顔を知らない参加者達の向こうに沢山の笑顔が見えた気がして、一つ返事。安曇野での泊まり込み録音では、とても印象的な2日間を過ごす事になる。壁が溶けた、のだ。溶かしてくれたのだ、歌が、人の愛情が。本当に嬉しかった。一気に友達が出来た。自分を話すこと、人の輪に入ってゆくことがこんなに恐れていたことはなかったが、参加の直前、「素直でありたい」と胸に唱えた。みらいの二人、カズ君とヒロ君は「本当に来てくれてありがとう」と泣いてくれた。みらいの活動の愛に救われた私。夫はようやくだね、と笑みで語り、友達が出来て楽しそうな私に一言「良かったね」と言ってくれた。

年配の方も子供にも親しみやすいその歌は、「福幸」と名付けられ、今年中に世界配信される。声、太鼓、楽器...集まった各自の得意な部分を持ち寄って作られた福島への愛の讃歌。参加者は、安曇野で工房経営、養豚場の女社長、ガレージ経営、砕石業、福祉士、保母さん、この歌を作った安曇野へ移住した音楽家夫婦(奥様のふまちゃんとの色々は今後登場するであろう)と様々。丸くなって話した時の、福島出身蕎麦エニシ達人カズ君の一言が印象的。「俺は、蕎麦しかないから。これでひとと繋がりたいだけ」誰かと誰かを繋げたい、自分が人と係りたいと思う時、持ち寄る愛情の表現は人それぞれ、それはそれぞれに備わっている。フェイスブックはあくまで交流ツール。直接顔を見て、笑って、食べて、話して、心を開いて。それがどんなに大事なことかを知らされる。長野での楽しい日々はこれから。それぞれとの逸話も出て来る事でしょう、ということで今回は始まり始まり、で結びなのです。

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