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13/10/27

ひらがなは一列に書かないと後で読めなくなることに気がついた瞬間の話

Image by Olia Gozha

「今日は、おやつに食べたチーズの包み紙にあるトッポ・ジージョの絵を切り取って世界に1つだけの紙芝居を作りましょうね。」

U保育園年長さん、青組のM先生は言った。あの頃,僕はチーズが大嫌いだった。

「表にはトッポ・ジージョのイラストを貼って、裏には短いお話を書いてね。みんなが一つずつお話を考えれば、全部で27のお話ができるよ。」

僕はトランペットを吹くトッポ・ジージョのイラストをきれいに切り取ってのりで貼り付け、緑色のクレヨンでサボテンを書いた。次にその隣に青いクレヨンでトッポ・ジージョを囲みこむように小さな家を描いた。次はお話だ。

「トッポ・ジージョはラッパを吹くのが大好きです。雨が降っても、嵐になっても、ずっとラッパを吹いていました。」

これだけ。裏にこんなお話を書き込もうとして困ってしまった。6歳の僕はひらがなが読めなかったし、書けなかった。先生はこんなことを指示したのだから、きっとクラスでは最低ひらがなは書けているということが前提であったに違いない。そう考えると、僕は文字を覚えることについてはものすごく遅れていたのだと思う。その頃は自分のことを人と比べて考えることはなかった。

クラスのみんなは表に絵を描くと裏側にお話を書きはじめた。僕にはお話は考えられても、それをひらがなで書くことはできない。そこで、クラスを回って、おともだちにひらがなを書いてもらうことにした。おともだちに続けてたくさんのひらがなを書いてもらうのは何だか申し訳ないような、恥ずかしい気がして、だいたい一人に1,2文字ずつ書いてもらうことにした。

「ねえ、ねえ、ここに『あ』と『め』を書いてくれない?ここに『す』と『き』を書いてくれる?」

だいたいのおともだちは親切にひらがなを書いてくれた。しばらくすると色とりどりのクレヨンで書かれたお話ができあがった。そこにはこう書かれているはずだ。

「トッポ・ジージョはラッパを吹くのが大好きです。雨が降っても、嵐になっても、ずっとラッパを吹いていました。」

満足だ。だけど、もちろんここに書かれている文章が正しいかどうかは僕にはわからない。でも、きっと先生は僕のお話を読んでくれるだろう。

先生はみんなの紙芝居を集め、一枚一枚読んでいった。自己紹介だけで終わるもの、短いストーリーになっているもの。おもしろいお話については先生自身も吹き出しながら読んでくれた。

僕の番がやってきた。先生はきっと僕の紙芝居も楽しく読んでくれるに違いない。

「はい、じゃ、つぎは誰かな?つぎは、あれ、誰だろう?お話は、、、えーっと、これは、、、ごめんね、先生、これ読めないや。つぎ、行くね。」

僕は残念やら恥ずかしいやらで顔が真っ赤になった。

なぜ先生は僕の紙芝居が読めなったんだろう?僕は手元に戻ってきた紙芝居の裏側をもう一度見つめ、そのあと、隣の子の紙芝居を見た。隣の子の紙芝居の裏にはひらがなが行儀よく、きれいに一列に並んでいる。それに比べ僕のものは色とりどり、大きさも書かれている向きもまちまちなひらがなが画用紙のあちこちに散らばっている。

この2つを見比べて気がついた。

そうだったのか。ひらがなはことばの順番どおりに一列に並べて書かないとあとで読めなくなってしまうものなのか。ひらがなをまともに読むことも書くこともできなかった僕は,ある文章を構成するひらがなが,どのような形や順番であれある場所にすべて記されてさえいれば,それを見たときにぱっと文章が浮かんでくるものだと思っていた。

僕は、おともだちに紙のいろんな場所に全く無秩序にひらがなを書いてもらっていた。気がついてしまえば至極当たり前であるこの事実に気がついて、また恥ずかしくなった。そして恥ずかしさのあまりトッポ・ジージョが嫌いになった。

小さいころの僕は他の子が当たり前に理解できるほとんどのことがすぐには理解できず、こんな感じの失敗をいつもしていた。今だに他人が容易に合点がいくことをすぐには納得できず考え込んでしまうことがしばしばある。

6歳にして初めて「言語記号の線条性」に気がついた瞬間のお話。僕がソシュールの言語学に出会う約20年前のことでした。

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