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13/10/25

ダメ人間が逆転サヨナラ満塁ホームランを打った後、金に溺れたストーリー

Image by Olia Gozha

はじめまして、池森と申します。

これは僕が高校を卒業し大学を中退した後、起業して成功し、それからの凋落までを描いたストーリーです。
あまり大したお話ではありませんが、良かったらご覧ください。

高校生までの僕は、勉強が大嫌いでただ騒いでるだけの人間でした。
どこの学校にもいるような、体育祭の時だけヒーローになれる、そんな類です。
授業中は寝てるか、本読んでるか、騒いでるか。
部活はずっとサッカー部でフォアードをしてたのでサッカーの授業だけは張り切る感じ。
まあ絵に描いたような典型的体育会系です。
もちろん勉強なんて全くしないので成績も140人中130番をいったりきたり。
そんなこんなで大学受験を当然のように失敗し、一年間の浪人生活を送ることに。
浪人生活はなぜか一人暮らしを始め、勉強をせず毎日ビリヤードへ通う体たらく。
結局なんとか1つだけ大学に合格したので、そちらに通うことになりました。

大学生活も遊びばかり。
駅前に広めの家を借りたので毎日友達が溜まるようになって麻雀の日々。
バイトにもはまり、一年目での取得単位がたったの11。
二年目では今度はオンラインゲームに手を出す始末。
結局すったもんだの末、大学は3年目で中退をすることになりました。
生涯取得単位は30ぐらいだったかな。
正直麻雀とオンラインゲームしか記憶にありません。

その後は一年WebDesignの学校に通い、WebDesignerとして就職しました。
業務は週刊少年ジャンプの公式WebSiteの更新など。
仕事中に漫画を読み放題だったので色々楽だったんですが、朝起きれず、仕事もできずと、もう散々でした。
そんな日常に嫌気が差してきた時考えたことが、起業です。
いや、正確には副業といったほうが近いかもしれません。
学生時代小銭を稼いでいた事をビジネスにしたら儲かるんじゃないかなと思い、ちょっと就職しながらやってみようと思ったのです。

僕がやっていたビジネスは「RMT(Real Money Trade)」。
ご存じない方が多数いると思うので簡単に説明しておきますと、オンラインゲームというものがありまして、このオンラインゲーム内で手に入る武器や防具を、日本円で売買するマーケットがあるのです。
これを学生の時から片手間で参加者としてやっていたのです。
で、今度はこれを日本で初めてビジネスベースで行ってみてはどうかと思い立ったわけです。
そんなわけで土曜日を使ってぱぱっと1時間程度でWebSiteを作成し、2chに宣伝をしてみました。
すると……。
なんと土日の2日間で20万も利益が出てしまったのです。
仕入れも何もなく、右から左に流すだけなので、20万全部が丸儲け。
当時の僕の1ヶ月分の給料でした。
この結果を目の当たりにした僕は即座に父親に言いました。

「オヤジ、今だわ。これが生涯のチャンスだ、働いてる場合じゃねえ!」

翌日には会社に辞表を出し、サイトを本格的に作成し宣伝を始めました。

経営は最初から順風満帆。
2004年に個人事業として始めたのですが、2ヶ月目でもう一人では捌き切れない量になり、慌てて友達に手伝ってもらうことに。
またビジネスの運も相まって、業界のナンバーワンではなく完全なオンリーワンの位置を手に入れ、業界のプラットフォームを運営し牛耳ることに成功するという本当に嬉しい事態に。
売上も2004年の個人事業主を半年やっただけで僕の給料が900万。
さらに立ち上げて半年で北米の会社より6000万で買収したいとのお話をいただき、香港でプレゼンをしたこともあります(写真は当時のものです。若い!)。

翌年2005年には税金がとんでもないことになるとのことで法人化。
この年の給与は2700万ほど。
さらに時流に乗ったのか、この年からメディアにもバンバン取り上げられます。
新聞や雑誌は勿論、20代期待の若社長なんて本にも乗り、さらには経産省主催のフォーラムでプレゼンしたのをきっかけに、オンラインゲーム白書2006に論文を載せたりもしてます。
3年目になるともう会社はバブルバブルの絶頂期。
システムもすべて作り終えて、僕が出社をする必要が全くない状況を作り出しました。
この年から給与はさらに数倍にも膨れ上がります。
こうなるともう金のなる木を手に入れた感じです。
起きたいときに起きて、ネットして、飯食って、遊んで、寝るだけで毎月考えられない金額が入ってくるんです。
もうウハウハでした。
飛ぶ鳥落とす勢いっていうんですかね。
当時「25歳とか26歳で働かないでこんなに稼いでる奴は絶対いない!俺が一番だ!」と鼻息あらく、肩で風を切って歩いてました。

とまあ、こんな感じでお金には困らなくなったのですが……。
さて、人格形成もまともにできてない俗っぽい阿呆がお金を手に入れるとどうなるでしょうか。

答「金と女に溺れる」

そうなんです。
僕は正直大した人間ではありません。
何一つ努力しないで苦労もせず、ただ遊んで騒いでた人間が、アイデア一発で成り上がっただけなんです。
これが例えば勉強をずっと頑張って苦労して起業して成功した人間なら、稼いだお金を会社に注いでさらに伸ばすことを考えるんでしょう。
実際僕の周りの優れた人間は、決して驕らずビジネスをしてます。
が、当時の僕はそんな高尚なこと何も考えませんでした。
結果どうしたかというと……。
まず都内某所に家賃40万ほどの部屋を借りました。
1LDKでしたが、リビングが25畳、メゾネットの上が18畳、一人暮らしなのに無駄にトイレが2つもあるという作り(ひとつはガラス張り)。
ここにポルトローナ・フラウの大型ソファーを数百万で購入し、インテリアコーディネーターを部屋に呼んで雰囲気に合うように家具を造作してもらって、ドラマに出てくるようなおしゃれな部屋を作りました。
そしてできた箱をフル活用し、女の子を呼びまくり。
ありがたいことに僕は学生時代から適度に女の子から好意を頂いていたのですが、この時はもうそんなのは比じゃないぐらいにお誘いをうけました。
ちょっと外で知り合って部屋に呼ぶだけで女の子はうっとり。
後は何も難しい手順を踏むこと無くあんなことやこんなことができたのです。
部屋の効果は本当に凄く、連日連夜取っ替え引っ替え女の子を抱いて、流石に疲れ果て「もう今日は眠いからこの子に帰ってもらってゆっくり寝よう」と思っても、女の子の方からベッドに潜り込んできます。
性格良い子と出会って「よし、この子とは長く遊びたいし友だちの関係でいよう」と思っていても、こちらの気持ちなんてお構いなしに文字通り裸になって迫ってきます。
ここまで来ると何だか安物のポルノ映画のようでした。
他にも秋葉原で歩いてたメイドさんを個人的に雇ってたりもしました。
街を歩いていたら可愛い子だったので、連絡先を聞いて後日部屋で遊んだのですが、その子がここでメイドしたいと言い出したので個人で契約することになったのです。
その子がさらにメイド友達を数人紹介してくれたので、週に1日ずつ二人に来てもらうことになりました。
部屋自体は家政婦を入れていたのでとてもきれいな状態なのですが、それとは別に火曜日、土曜日はメイドさんが来てくれます。
可愛いお洋服を来てコーヒーいれてもらったり、部屋で遊んだり、お風呂で体洗ってもらったり、あんなことやこんなことをしたりと楽しみます。
勿論お給料は時給制でちょっと払ってただけ。
女の子曰く「こんな素敵な部屋で働けるなんて夢みたい」とのこと。
結局メイドだけで総計数十人を定期的に入れ替えて、好き放題遊んでいたのを覚えてます。
並行してキャバクラやクラブにハマります。
行きつけのキャバクラは六本木のCHICK。
言わずと知れた六本木で有名な高級クラブです。
ここに毎週通って、同伴して、アフターして、遊びまくりです。
僕が行くだけで名前も名乗らないうちに、机の上に僕がキープしているボトルが置かれ、指名の子がもう待っていてくれてるんです。
今思えばクレイジーなことですよね。
たかだか26歳だか27歳だかの糞ガキが一発当てて。
滑稽なことを知らぬは本人だけ、というやつです。
と、こんな感じで基地外のように遊んでおりました。

そしてこの絶頂が未来永劫続くのかと思いきや……。

終焉は随分早く訪れました。
最初に話しておくと、事業自体は順調極まりないものでした。
売上も伸びてたし、社員にも贅沢させられるようになり、億単位のExitの話もちらほら出てくるほどです。
問題が起きたのは僕の精神です。
連日連夜狂ったように遊び続ける生活は、僕の精神を気づかないうちに徐々に蝕んでいたのです。
当時の僕の生活は明らかに異常でした。
朝起きて考えることは「今日は◯◯ちゃんにPRADAのカバン買ってあげて飯食べよう。明日は昼に◯◯ちゃんを部屋に呼んでランチ食べて、夜は◯◯ちゃんとマンダリンオリエンタルに泊まって遊ぼう。」
もう毎日が日曜日だったのでやることがないんです。
学生時代の友達は皆働いてましたし、空いてても僕の金使いにはついてこれません。
なので朝起きると、その日を退屈しないために無理やり女の子と遊ぶプランを作るんです。
そんな毎日をただ闇雲に過ぎていった時でした。
テラスでふと人生に疲れを感じてこう思ったのです。

「あー、毎日やりたいこともなく、こんなくだらない暇つぶしを考えてこれからも生きていかないといけないのか。死んだほうがマシだよなー」と。

正直何気なしに考えたことだったのですが、発想の明らかなクレイジーさに自分自身心底ゾッとしたのを覚えております。
僕は会社立ち上げて金稼いで成功したはずなのに、何故か自殺を考えるほど病んでいたんです。
スタイルも昔は筋肉質でスリムだった体型が、今はもう脂肪だらけの見るも無残なデブ。
僕は一体どうしたのか、相当自問自答を繰り返し、なんとかわずかに残ってる正常な頭を使って解決方法を考えました。

「なんでこんなことになったんだろう。」
「何がいけなくて道を誤ったんだろうか」

長く苦しく悩んだ末僕の出した結論は、この欲望と狂気に満ちた住処を引き払い、実家に戻ることでした。
仲の良かったメイド達には別れをつげ、遊び狂った女の子とも縁を切りました。
お洒落なフーシアのランプも、雰囲気の良いテラスも、お金をかけた音響設備も全て処分しました。
それから千葉県松戸にある両親の実家に戻り、数ヶ月間ただひたすら心を落ち着かせ、晴耕雨読の生活をすることで、自分自身の浄化を図ったのです。
当時は気づきませんでしたが、親も相当心配していたようで、瀬戸際の縁で戻ってきた僕を歓迎してくれました。
そのようにして僕はなんとか常軌を逸した日常から精神を開放することに成功したのです。

以上が僕が体験した栄光と凋落の日々です。 

ちなみに「この有り余ったお金と時間は、旅をして見聞を広めるためにあるんだ!」と思い立って、海外を放浪始めるのはもう少し後のこと、です。

それと最後にお金を稼いだことについて触れます。
当時僕の業界周りには年収3000万とか4000万のプレイヤーはゴロゴロいました。
皆オーデマピゲだのヴァシュロン・コンスタンタンだの高級な物をもち、ブラックカードとかなんとか贅沢をしてました。
が、10年たった今、お金が手元に残った人間は誰一人いません。
一人として幸せになった人間はいないのです。
ある人は破産し、ある人は追徴課税で借金ぐらし、自殺した人や事故で道半ばにして無くなった人もいますし、株で財産を失った人やサイドビジネスに手を出し失敗して行方がわからない人もいます。
僕の知る限り誰一人お金を残して幸せな人がいないのです。
分不相応な金は本当に身を滅ぼすとはこのことです。
恥ずかしながら僕の業界はまともな人間がほとんどいなかったんでしょう。
オンラインゲームのアイテム売買で成り上がっただけの人たちですから。
僕個人で言うと、人生がクリティカルにだめになる手前の本当にギリギリで気づいて正常な世界に戻れた気がします。
でも本当に苦しかったです。
よく人から「池森くんはお金持ちでいいね〜」と言われるのですが、決してそうではありません。
プラスマイナスでいうと、とんとん、あるいはちょっとだけプラス、ぐらいなもんでした。

この話にはあまり教訓めいた深さはありません。
でも一言だけ伝えさせてください。

「お金は確かに人生を豊かにします。でもそれを扱える器量がないと不幸になる」

ご意見ご感想ありましたらお気軽にコンタクトください。

それでは。

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