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13/10/19

今は全力でグラミー賞の夢を追いかけている、高校の頃は、特に将来したいこともなく、特に行きたい大学もなく

Image by Olia Gozha

韓国で生まれ日本に渡る

1987年3月2日、韓国ソウルの一般的な家庭、どっちかというと中流階級くらいの家庭に、僕は生まれました。

ソウル郊外で住んでいた僕は、親の仕事の関係で小学校4年生の時に日本に渡り、3年間愛知県春日井市で過ごしました。その後中学校はまた韓国へ戻ります。

3年間外国にいたので、言葉が母国語が少し未熟なのもあり、まぁ、だらしない性格もあり、勉強についていけず、学校の成績がよくなく、塾にいかされました。

韓国は中学・高校入試が特にあるわけじゃないので、そのまま中学校を卒業、家の近くの高校に入学しました。

男子校なので好きな女子がクラスにいることもなく、なんとなく学校に通い、家にいる空き時間にはひたすらゲームをし、マンガを読み、音楽を聴き、大好きなカラオケに行き、ちょっと女子のいる塾に通いながら過ごしていました。

日本の男女共学の中学・高校にまーじで行きてぇ、と思っている僕にも高校2年生の末、大学入試のシーズンが来ます。

大学入試

特にやりたいこともなく、

いや、なんとなく彼女は欲しかったのかもしれませんが、

まぁ、特に将来したいこともなく、特に行きたい大学もなく。


歌うことが好きだったので、なんとなく音大に行きたいと思っていましたが、高校2年生の末頃思ったので、遅すぎ。

日本語が出来たので、大学入試にそれを使うことを勧められ、日本の大学を受けることになりました。

案の定、親は良い大学に行ってほしいので日本の良い大学を目指すことになります。

東大、京大、早稲田、慶應、立命、同志社、明治などなど。

これらの大学の入試は、僕みたいな外国人入試だと英語のテスト「TOEIC」もしくは「TOEFL」の点数が必要でした。

がんばって勉強していましたが、あまり点数は上がらず。安い留学システムがたまたま見付かったので、高校3年生の時、アメリカに6ヶ月間留学することになりました。

ちょっと英語が慣れてきたあたりで帰国し、運よくいい点数も取れ、他のテストもまぁまぁな点数が取れ、日本語だけはぶっちぎりの点数を取り、京都大学に合格しました。


ほんとはすごい大変な入試なんだろうが、それまでの環境のおかげか、ものすごい勉強したという記憶は試験一週間前くらいからしかなく、外国人入試でゆるく入ってきた僕とは違って、京都大学の大学生たちは、本当に頑張り屋さんで、頭も良くてびっくりでした。

サークルにのめり込んだ日々

親は、良い大学に入ることだけを望んでいたので、大学入学後自由になった僕は、

サークル活動にのめり込みました。歌が好きだったのでアカペラサークルへ。

練習をたくさんし、ライブもたくさん行い、たまには恋愛もして、サークル活動を楽しみに楽しみまくり、音楽にのめり込みました。素晴らしい日々でした。

もちろん、やりたくない勉強からはどんどん離れ、

留年しちゃいました。2回。


決心

親に迷惑をかけまくったこんな僕にも、就職の時期がやってきます。

なんとなく就職のことを考えていたとき、急に自分の心に入り始めた言葉がありました。

「人生は一度きり」「少年よ、大志を抱け」

よくある言葉でしたが、
急に、
ほんっっっっっっっとうにそうだなぁーと思い始めました。

さすがに5年もやっていた音楽、カラオケを音楽とするなら10年以上はやっていた音楽は、僕の中では大事なものとなっていたので、
やっぱり、
音楽をしていくことにしました。

夢を大きく、アメリカの音楽賞「グラミー賞」を受賞する決心をします。

もちろん、お金は必要なので、ひとまず会社に勤めながら。


もしかしたら、自分で本当に何かをしようと決めたのは、
これが初めてかもしれません。


それまでにやってきた、すべてを整理して、組み立てなおして、自分がグラミー賞を取るためには今なにをすべきか、考えました。

それで答えを出したのが、この動画で自分のアピール。

今年の1月にこの動画を上げました。

その日のうちにものすごくリツイートされ、広まりまくり、再生回数は激増、

ASIAN KUNG-FU GENERATIONのボーカルの後藤さんがリツイート

ゴスペラーズの北山さんがリツイートしてくださいます。

再生回数はその日のうちにみるみる上がっていき、2万回を超えます。

次の日にはヤフーニュースのトップに載り

はてなブックマークに載り

NAVERまとめに載り

その勢いで3日後には5万回再生。


人生が、信じられない速度で動き出します。

テレビから連絡が来て出演依頼、ラジオ、雑誌の取材も。いろんなミュージシャンの方からも。

動画をあげて9ヶ月が過ぎた今は、事務所がつき、マネージャーがつき、

全世界111カ国iTunes配信がされ、アカペラ作品を世に出しながら、

グラミー賞を、夢ではなく、本気で目指すように、目指せるようになっています。



マンガやゲームを楽しんでいたこと、カラオケに行っていたこと、

その時は、どれもが人生で役立つことだとは思っていませんでしたが、

もしも、フリガナがついてるジャンプコミックスを読んでいなかったら、僕の日本語力はこんなに上達しなかったでしょうし、

歌が好きじゃなかったら洋楽もあまり聴かず、 留学のリスニングテストを通過することはできず、京都大学には入学できなかったと思います。

日本語が上手くなかったら、京都大学には入ってなかっただろうし、Crazy Clefというアカペラサークルに入ってなかったらこんなに音楽にのめり込むこともなかっただろうし、
留年していなかったら、スリラーのアカペラ動画を作るためのエンジニアの方に出会えず、グラミー賞を目指すこともなかった。

本当はもっともっと早くに動画を出したかったんだけど、いろいろやってて遅れに遅れてしまって1月になっちゃった。でも、2013年01月14日の13時36分という時間に動画をあげて、その日の深夜にツイートをしたから、そのタイミングだったからこそ、広まったんでしょう。

そして、もしこの動画を作っていなかったら、本当に、楽しくない人生を送っていたんじゃないかと思います。


今周りの人たちがあなたに言っている「するべきこと」以外にも、

あなたはいろいろとしていると思います。

その一つ一つは、周りになんと言われようと、絶対に無駄じゃありません。

いずれ、やりたいことが見付かったときに、絶対に繋がります。

そのやりたいことを発見するために、

自分の心に耳を傾けてください。

実は、この世の中の大抵のことは、やってみると楽しいんです。

だからこそ、ちゃんと心に耳を傾けてください。

自分が本当にやりたいことを勘違いしないように。

自分がやりたいことは、本当はもう決まっているはず。

それを一度はじめると、素晴らしい人生になります。

始めるだけ。

人生は一度しかないし、それがいつ終わるか分からない。

60年後かもしれないし、明日かもしれない。

他の人が望む人生を生きず、

自分を生きる人生を。

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