top of page

13/10/17

めちゃめちゃ繊細でめちゃめちゃ優しいイラク人とした二人暮らしの話〜プロローグ〜

Image by Olia Gozha

「A30 ゲートにいるよ」


彼からのメッセージが届いたのは、ぼくがちょうど手荷物検査を終えた時だった。

2013年5月21日。アメリカはペンシルバニア州の西部にあるピッツバーグ空港。この空港は、旅行や学会の度に何度も使ってきた。「ぼくらにとっては馴染みの深い場所だよなぁ。」そんなことを考えていたら、今までの思い出が急に湧き出してきて、おもわず熱いものがこみ上げてきた。


「ぼくのフライトは6時15分。カズは6時20分だったよね?」

「うん。でも、フライト遅れてるから、搭乗が6時30分からになった。今そっち向かってる。」


特別な日っていうのは、事前にわかっていれば案外普通に過ごせるものだと思っていたけど、やっぱり緊張する。この日が特別なのは、ぼくらはこの日別々の目的地に向かって飛行機に乗り、また会う日はいつかわからないけどきっと随分先になるからだ。ぼくらは留学生として大学院を卒業し、それぞれの国にこれから帰るんだ。

「こんな時にフライトが遅れてくれるなんて、やっぱりおれは強運の持ち主だ。」

なんてことを勝手に思ってみる。今は午後5時25分。ニューヨーク行きの彼のゲート A30 は、ここから約10分歩いた先にある。搭乗開始はだいたいフライト時間の20分前くらいとみると、20分は話せる。ぼくのフライトはシカゴ行き。ゲートは C8 でちょうど反対側だから、A30 からの移動は10分はみておきたい。フライトが遅れてなかったら、会えても話す時間はほとんどなかっただろう。


パンパンのリュックを背負い、スーツケースを転がしながら、急ぎ足で彼のゲートに向かう。この2年間、本当にたくさんのことがあった。楽しかったこと、嬉しかったこと、本当にたくさん。ぼくの頭は都合よくできてるから、辛かったことは思い出そうと思っても出て来ない。

それでも、2年間たっぷり密な時間を過ごした大親友との別れが目の前に迫っていると考えると、何の話をどうしたらいいのかまるで見当がつかない。ただただ、目頭が熱くなるのを必死にこらえながら、足を速めた。



A30 は空港の一番端っこだった。長い通路をひたすら先端まで歩いていたら、その先に彼が立っているのが見えた。電話してる。きっと祖国で彼を待ちわびている奥さんに、もうすぐ飛行機に乗るという話をしているんだろう。ぼくはようやくスピードを緩めた。電話が終わった。


「ハーイ、カズ」

「ハーイ、ラジ」


いつもの優しい笑顔の裏に、寂しさが見える。それを見たらこっちも寂しくなった。別れの日ってやっぱりこうだ。今日は二人とも空港までの間にさよならを言い過ぎた。

ラジはいっつも「ハーイ」って言う。友達にも言う。一度「それ変だよ」ってつっこんだことがあったけど、「いいじゃん、なんか『ヘイ』とかより楽しいじゃん」って言われて妙に納得した。キラキラした子どもみたいな心をもった大人だ。そういうところが好き。年齢は彼の方が2つ上だけど。


「ラジ、フライト1時間くらいだよね。ごはんもう食べた?」


ぼくは、できるだけ普段通りの声で彼に聞いた。別れの場面は昔から苦手だ。一言なにか刺激になる言葉が出てきてしまうと、そこから思い出と涙がとまらなくなるからだ。


「ううん、まだ。ニューヨークついたら乗り換えの時間あるから、チーズピザ食べるよ。」

「最後までチーズピザかよ。」


二人で笑った。

イスラム教徒の彼は、アメリカの肉は宗教上食べられない。だからいつもチーズピザになる。最初はうまいって言ってたけど、すぐに飽きて、それからはずっとチーズピザはぼくらのネタだった。


「あーあ。おかしい」

「ほんとに」


笑いながらお互いそんなことを言い合ったが、その後の言葉が出て来なかった。ぼくは急に心に穴があいたような寂しさを感じ始めた。

←前の物語
つづきの物語→

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

急に旦那が死ぬことになった!その時の私の心情と行動のまとめ1(発生事実・前編)

暗い話ですいません。最初に謝っておきます。暗い話です。嫌な話です。ですが死は誰にでも訪れ、それはどのタイミングでやってくるのかわかりません。...

忘れられない授業の話(1)

概要小4の時に起こった授業の一場面の話です。自分が正しいと思ったとき、その自信を保つことの難しさと、重要さ、そして「正しい」事以外に人間はど...

~リストラの舞台裏~ 「私はこれで、部下を辞めさせました」 1

2008年秋。当時わたしは、部門のマネージャーという重責を担っていた。部門に在籍しているのは、正社員・契約社員を含めて約200名。全社員で1...

強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話

学校よりもクリエイティブな1日にできるなら無理に行かなくても良い。その後、本当に学校に行かなくなり大検制度を使って京大に放り込まれた3兄弟は...

テック系ギークはデザイン女子と結婚すべき論

「40代の既婚率は20%以下です。これは問題だ。」というのが新卒で就職した大手SI屋さんの人事部長の言葉です。初めての事業報告会で、4000...

受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1

僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で...

bottom of page