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13/10/14

人生で大切なものは、ゲーム、酒、本。 - ゲーム編

Image by Olia Gozha

将来なにやりたいの?

『将来何やりたいの?』 とか 『人生で大切なものは何?』って聞かれて、パッと答えられる人って実はそんなにいないと思うんですよね。

友達!とか家族!とか、その辺りのものは勿論、当たり前に大切なのですが、”人とは違い自分はこれを大切にしている!”と言えるものをパッと答えるのは中々難しいものです。

私の場合も、振り返ってみると随分適当でした。

子供の頃->高校生

小学校の頃は、お金!と答えてマセて見たり、

中学校の頃はパソコン!と答えて『マニア』(当時はオタクという言葉が存在しなかった!)と言う称号を欲しいままにしたり、



高校生の頃は『ん?よく分からんけど一生ゴロゴロしたいわ〜』と言う自堕落な生活を象徴する返事をしてみたり・・・

まあ人生そんなもんだなーと思います。

とは言いつつ、流石に社会人にもなるとある程度固まっては来るもので、ここでは25年間で考えてみた私の人生で大切なものを答えつつ、高校時代の話を交えて今の自分の話をしたいと思います。


ゲーム    本     お酒


改めて文字にしてみると、不思議な組み合わせですが・・私の人生をまとめると、上記6文字になります。

お酒は大学生になって覚えた私の潤滑油であり、本は幼い頃から積み重ねた私の血肉でありますが、

ゲームに関してはちょっと特別で、あえて表現するならゲームは私の

人生

という事になるんじゃないかなと思います。

(こっちにも書いてます。 -> 僕とゲームと人生

そんなゲームと人生の高校時代の付き合い方について、ここではもう少し詳しく書いていこうと思います。

ちょっと長くなるので、3行でまとめると

・ゲームも、意外と役に立つ

・本当に大切なのは、勉強よりも、自分が好きなモノ

・あんまり周りは気にしなくて良い

というような感じです。



高校時代

福岡高校

約10年前、私は福岡高校と言う、福岡県ではそこそこ名の知れた高校でスーパー自堕落生活を送っている高校生でした。

何がどう自堕落かと言うと・・

弓道部、1年立たず辞める


中学時代、部活というものを真面目にしてなかったので、運動部に入って真面目に頑張るという誓いを立て、弓道部に入る -> 1年立たずに辞める


理由1.  女性の先輩が苦手(ファック)だった(今思うと私が100%悪かったのですが。。笑)

理由2.  弓道等の武道では、偉い先生とかがよくいらっしゃるのですが、当時は反発したい年頃だったので、やたら反発していた

理由3.  弓道よりゲームしてる方が楽しかった

こんな感じで、速攻部活を辞めて、帰宅部生活を楽しんでいました。



(ちなみに当時の弟も運動部の部活をしていたのですが、一緒にネットゲームをしたかったので、説得して一緒に辞めさせました・・笑)

狂った生活リズム

 朝起きる

->学校へ行く

->授業中ひたすら寝る(またはネットゲームの戦略を練る)

->帰宅し、漫画を読みながらひたすらネットゲームをやる

->朝3時ぐらいに寝る

->起きて学校へ行く

という生活の繰り返しでした。

下がる学年順位

突然授業は寝まくったり、宿題やって来なかったりを繰り返したりで、成績は下がり続け、入学当初は実力テストで20/400番ぐらいだった成績も、気付いたら学年200番ぐらいまで下がっていました。

高校3年受験生になってもゲーム

高校3年生になっても似たような生活を続け、みんなが志望してるから九州大学を志望。

まあ俺なら受かるだろう!

という根拠のない自信だけがあり、また友達と一緒に不毛な競争、


友達「一緒に勉強しないでおこうぜ!」

「しないわ!!今日はゲームする!!」

        〜 次の日 〜


「1分も勉強しなかった・・・」

友達「え、本当に1分もしてないの?」

「し・・してない・・」

友達「お、俺も・・(本当は流石にしてる)」

と言う不毛な競争を繰り返し、本当に全く勉強してなかったので、当たり前のように浪人しました。友達は本当に勉強していないと信じつつ、すっかり自分が勉強しないのを正当化していた単なるアホです。

さて、受験に落ちて、浪人



サラッと書いてますが、当時は自分より成績が下だった人が九大に受かっているのを見て、凄く悔しかった想い出があります。でも、当然の事なんですね。

結局受験って、最後に効いてくるのは『自信』です。

浪人の時に改めて実感しました。絶対的な勉強量をこなしてると、徐々に自信がついてきて、大したことのない問題ではまず間違えなくなります。

受験する前から負けていたようなものです。しょうがないですね。

浪人時代


さて、浪人した私。気分を切り替えるために、とりあえず春休みは死ぬほどゲームしました。

初めてオンラインゲームに課金し(1万円程度)、暗鬱な気分ながら1人で黙々とプレイをし続けました。

途中何回も、自分は一体何をやっているんだろう・・等と思いながら、今はゲームしかやる気にならない・・という事でひたすら。




人生、休息期間も必要かなって言い訳しながら、ずーっとゲームしていました。

段々ゲームにも気が入らなくなっていきました。今は、ゲームをやる時ではないと、直感的に身体が分かっていたからです。このままじゃいけない。。。




そしてその後、死ぬほど勉強した。

人生で初めて本当の意味で本気になった瞬間だと思います。

予備校に通う

親に無理を言って、通常の福岡高校の生徒が行く予備校ではなく、駿台に行かせてもらい、4月から7月ぐらいまでは鬼のように勉強し続ける。


当時書いてた日記には、『このままじゃ一生クズだぞ!!』とか、『ここで頑張らなくて、いつ本気を出すんだ!!』

と書かれてあったりして、荒れながらも1日10時間以上、"本気で集中して"勉強したのは良く覚えています。

やっぱり悔しかった事もあって、全力で数学や物理の問題を解き続け、初めて全うな受験勉強を体験しました。


そんなこんなで、夏休みの模試ではA判定を取り、

またゲームをやり始める自分がいました笑

やっぱりゲームが好きだったんですね。新しいオンラインゲームが何個かスタートしたのにあわせて、ゲーム生活を復活し、浪人中なのに、自分の頭よりも自分のキャラの育成に励んでいました。。。

(真似はしない方がいいです・・)



東工大に入学

途中ゲームを再開しつつも、必死の勉強の甲斐あって志望していた東京工業大学に入学し、今に至ります。



自分にとってゲームとは

さて、そんな感じの高校生活で、一見するとスーパー自堕落生活を送ってるダメ人間なんですが、

ゲームだけは、幼稚園から高校生までずーーっと真剣にやっていました。

特にオンラインゲームは、出来る限りゲーム内で強くなるために自分なりに研究し、考察を重ね、プレイ時間を積み重ねて行きました。

"天才"に生まれ変わる「10000時間の法則」

マルコム・グラドウェルという偉い人が『偉大な成功を収めた人々は、最低でも1万時間という時間を何かに費やしている』という共通点に気付き、1万時間の法則というものを提唱していますが、

その意味だと私はゲームは多分累計で2万時間近くは費やしているんじゃないかな、と思います。幼稚園の頃からやってるので。(全然天才ではないですが。。。)




当然、これだけ時間を費やすと何かと色々活きてくるもので、大学生になった後、この経験は色々な場面で活きてきました。

ゲームから学んだ事。ゲームのおかげで、今がある

1. 技術に強くなった

ゲーム好きで、ゲームをずっとプレイしたいと言う思いから、ゲームを作ってみたいと言う思いに昇華するまでは、あまり時間はかかりませんでした。

小学校6年生の頃にはVisual Basic という言語を用いて初めてシューティングゲームを作り、高校生の頃はゲームのオリジナルマップや、オリジナル機能を簡単なプログラムで実装していました。

大学生になって本格的にプログラミングを抵抗なく学べたのも、プログラミングのアルバイトをしたのも、その経験が大きいな〜と思います。


今は、インターネットと技術で世界を変えられる時代です。

多くの大学生がインターネット企業に就職を希望し、最終的にプログラミングを学んだりしています。

親からは何度も呆れられ、ゲーム脳という言葉も流行り、世の中は『ゲームには何の価値もない』というような風潮でしたが、

私は、『大切なものは全てゲームから学んだ』と断言出来る程度には、ゲームから多くのことを学んだと思います。

最近では、みんなが高校時代部活に打ち込んでる間に、俺はゲームに打ち込んでいたけれど、真剣に打ち込んで良かったな〜とよく思います。

2. ゲームを中心に、様々な知見を得、行動する事が出来た。

話すと長くなるのですが、私は大学1年生の頃、兼ねてから志望していた情報工学科から社会工学科に志望を変更しました。

その際、成績順に振り分けられるのですが、成績に自信がなかったため、教授に直談判するために、論文のようなものを書いた事があります。


今となっては顔から火が出る程恥ずかしい想い出ですが、その文章のメイン・コンセプトはゲームの中から生まれました。

(主にオンラインゲーム上でのレアアイテムの入手確率の話を日常に応用出来ないかという趣旨の文章です。)


これが功を奏したかどうかは分かりませんが、これをキッカケに何人かの教授と仲良くなり、贔屓をしてもらった事も何度かありました。

他にも、任天堂という会社に強く興味を持つことが出来、大学生のうちに任天堂の社長である岩田聡さんと直接話が出来たのも、やっぱりゲームが本当に好きだったからだろうな、と思います。

pixivというベンチャー企業でアルバイト出来たのも、ゲームが大好きだったという強い思いに動かされた結果だと思います。

-> ピクシブに入るときの話

とある機会があって、NINTENDO DSのソフトウェアを開発した事もあります。

ゲームが好きで、DSのソフトウェアまで開発したら、流石に馬鹿にする人は1人もいなくなりました笑

本当に好きなモノのためなら、躊躇せずに行動出来る。今はそう確信しています。

3. 人生楽しい

最近はテレビゲームは全然プレイしないのですが、ボードゲームやカジノゲーム(ポーカー、ブラックジャック)等、あらゆるジャンルのゲームをよく友達とプレイしています。

どんな時でも、友達や兄弟とゲームをやっているときがやっぱり自分にとっては一番安心出来るな、と思います。

将来、好きな事をしつつ、友達とゲームをしながら、本を読んだりお酒を飲んだり出来たら、私の人生はそれで幸せだなーと思います。

好きなモノと仕事は常に一緒である必要はないとは思いますが、それでも好きなモノがしっかりとあれば、それは良いものです。

今の自分

そんな今の私は、ゲームで得た技術を元に、金融機関のシステム開発をしたり、STORYS.JPを作ったり、色々な事をやっています。

金融機関のシステムゲーム開発は比較は難しいですが、単純な技術で言うとゲーム開発の方が難しい部分は多いかも知れません。ゲームって、実は凄い技術で成り立っています。

今の自分で気に入っている所は、やりたい事は何でも出来るという自信があることです。技術を身に付けたことで、何かやりたい事を思いついても、すぐ自分で作れる自信があります。

(ちょっとiPhoneアプリを作るぐらいならさくっと出来るし、簡単なシステムなら数日で作れます)


そんな自分になれたのも、やっぱりゲームのおかげだな、と思います。




何を言いたいのか、取り留めのない文章になってしまいましたが・・

一言、言いたいのは、ゲームを20000時間近くやったことに関しては、私は1つも後悔がないと言う事です。

好きな事は、好きに続けるのが一番!

あ、ゲームが好きな人はポーカーでも何でもいつでも気軽に誘って下さい\(^o^)/

飲みながらやりましょう!

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