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13/10/14

悩む前に無鉄砲であれ!裸一貫で東京へ上京した男の話

Image by Olia Gozha

高校生の皆さん、人生のターニングポイントはどこですか?

自分がまだ想像がつかない未来に対してどう向き合うか?


現在、私の仕事は広告関連のコンサルティングを行なっています。

大阪出身・大阪育ちで今は東京在住ですが、大阪時代ではデザイン事務所でWEB/紙媒体のデザイン制作を経験してから、25歳という遅いタイミングで東京へ上京し、広告代理店に8年勤務し今の職に従事しています。

※ピカソと私

広告は「企業と消費者のラブレター」なんてよく言われていますが、私はそのラブレターを一緒に考え、たくさん成就させたいと思っています。

◆ “まずやってみた”中高生時代

中学時代はなにも努力はしていないし、「興味がある事すら興味がない」というダメダメな時代だったのですが、高校時代は自分のアイデンティティを見つけようと、凄く自由奔放に行動していたと思います。

周りの進路等の動きもありましたが、私は勉強の成績も優秀な方ではないですし、そもそも自分の情熱はどこにあるのか、を視点にした行動を優先していましたね。

悩む事は特になかった気がします。というより悩む前に少しでも興味がある事はやっていた気がします。

中 学の時に競馬マンガにハマっていたので、競馬業界ってどんな世界なんだろう?!と思い、色々調べていました。騎手は体格と高校生の私にとっては環境的(中学卒業後→騎手学校へ 進学)に厳しいので、競走馬を世話してあげる厩務員なら大丈夫だったので「まずは馬に乗る技術が必要だ!」と思い、乗馬クラブに行きましたね。 ※結果的に趣味となり、仕事に結びついていないのですが乗馬ライセンスを取得しましたw

ここで高校時代の変化したポイントなのが、高校に入ってからは親が別居し父親と生活する事になったのです。※今はまた仲良く一緒に住んでいます

父親も仕事の関係上、朝も早く夜も早くには寝ていたので、私も父と話す機会を多くもたず、炊事・洗濯などの生活全般・高校卒業後の方向性なども含めて、自分の事は自分で行い、全ての判断・行動をしていました。

それがまだまだ若い自分にとっては「人生を自らが決めなければ誰も決めてくれない」と感じさせられたし、周りの同世代の人よりも焦っていました。

この自立をしていた土台によって、高校時代のアイデンティティを見つけようとする原動力があった事は間違いないと思います(あ、といっても当然学費等は親にお世話になっているので、100%自立はできていないのですがね)。

◆ サウンドデザイン専攻に入学し職人の道へ

私は昔からモノを作るのが好きで小学生の時はハンダゴテを使った工作や、ラジコンも自ら作っていたりと、なにかを創造し品質を高く生み出していく職人やクリエイターに徐々に魅力を感じていました。

そんな中、大学に進学せず自らの専門性をいち早く身につけて、社会に出て活躍したい気持ちもあり、専門学校でサウンドデザイン専攻に入学し職人の道へと進みだしました。

サウンドデザイン専攻とは、読んで字の如く、音楽とデザインを創作できるようになる授業です。な ので作曲の授業から電子音楽としてパソコンで曲を作ったりしていましたが、私としてはPhotoshop・IllustratorやCGを作ったりしてい る時の方が楽しい時間でした。卒業した生徒の中では、あまりデザイン系には就職せず、放送局にいってラジオ用の音源を作ったり、カラオケ用の音源を作った りする仕事等に就いていましたね。


※専門学生時代。調子のってますねw

専門学校では、1期生だったので、色々学校側も模索しながらの授業で先生も何度も変わったりと、授業内容も変動していたので自分自身がどう吸収していくかを意識しないと大変でした。

一 番の思い出としては、卒業制作として映像学科の生徒が映画を作る事になった時になぜか私がその映画の主演として参加する事になったのです。ストーリーは怠 け者の人間が1人の男と出会い、社会に向き合って就職し、活躍していくという結末ですが、この役を私に抜擢するという事はイメージとピッタリな人間がいたと いうなんとも複雑な感情でしたw

ただ、その映画作品が学院長賞を受賞したのは嬉しかったですし、撮影期間も睡眠時間も削り行なっていたので苦労しましたが、凄く楽しかったですね。

この時、自らの手で作成したものを世に認めてもらいたい気持ちが芽生えました。デザインの授業は好きだったし、当時はWEBデザイナーの時給が2000円を超えていて、需要が高く特別なポジションだったので惹かれました。

◆ デザイン事務所に就職後、25歳で単身上京

自己紹介でも触れましたが、専門学校卒業後はデザイン事務所で制作を中心として勤務を行なっていました。

※デザイン事務所時代の私のデスク。汚いw

そこで特に制作を通じてWEB業界に面白味を感じていた私としては、大阪で地域密着型の制作を行なっている事にどこか物足りなさを感じ、25歳の時に東京へ出て最先端のWEB業界へ飛び込もうと決めたのです。

そこからの決断と行動のスピードは今でも自分を褒めたい位に早かったですね。

決断後、まだ東京で勤務先が決まっていない状態で住む物件だけ決めて、約3ヶ月後には東京に住んでいました。上京したとしても知り合いもいない状態なので、仕事を紹介してもらえるパイプもなく、大阪から東京に着いた後の日程を想定して、複数社の面接のアポをとっていました。

大阪から東京に着いた後の日程を想定して、複数社の面接のアポをとっていました。

上京をする無鉄砲さはあれど、割りと現実的に自分の置かれている環境に冷静で目先の動きについては計画的な行動でもありましたが、「東京で働く事が自分の成長になる」という漠然とした信念は強くもっていました。

その後、勤務する事になる広告代理店の面接して頂いた上司の話を聞くと、「ハングリーの塊だったよ」と言っていたので相当、当時の自分には野心オーラが出ていたと思います。

普通は年齢的なタイミングや、様々なリスクが頭をよぎる事もあると思うのですが、あの時は不安なんて感情は一切なかったですし、楽しみしかありませんでした。

あの感情は今でも常にもっておこうと意識していますね。

※広告代理店時代の私のデスク。またも汚いw

◆ スピード感の中で働く魅力とやりがい!

東京で広告代理店に勤務し、インターネット広告に出会いWEB業界という経験の幅を広げて今は広告業界のコンサルタントとしてさらにチャレンジの幅を広げようとしています。

広告業界はネット広告を中心にとてつもない速さで進化しています。数年前は反応があるだろう媒体の広告枠を買う事が重要だったのが、今はあるWEBサイトの広告枠でも人によって広告が違ったりと、消費者の趣味嗜好を分析し1人1人に対しての広告を見せていくような時代になっています。

きっとこれからもまだまだ変化していくので、他の業界に比べて少しでもブランクがあると付いていけないスピードだと思います。

その流れにのりながら自分も進化し、自分なりの見解をもって自分の価値を作って仕事をしていかないといけない事が大変でもあり、やりがいを感じています。


◆ 中高生よ。時に無鉄砲であれ。

私のターニングポイントは、高校時代の無鉄砲な独断での行動と、25歳の時の無鉄砲な東京への上京。

そこには自分にとってマイナスの経験には絶対ならない、という意味もない確証があったし、今でも結果的にはプラスしかなかったと感じています。

ようは、『時に無鉄砲であってほしい』と言うことです。

少しの興味でもリスクを考えず、なんでも行動し向かっていけば必ず後で意味が生まれます。

細かなチャレンジという自らの鉄砲を持ち、行動するタイミングがあるので、そこでいかに目標という的に当てていけるかが、無鉄砲という経験で活きてくるのです。

なんらかの興味が1ミリもない人間はいませんし、なんでも構いません。

中高年の皆さんの無鉄砲さを期待しています。

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