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13/10/14

進路を考え始めた若い方へ ~行き当たりばったりで独立した男の回顧録~

Image by Olia Gozha

10代、20代、30代、40代、そして今、私は50代前半を生きています。

簡潔に纏めるのはなかなか難しいのですが、まずは、私の過去を纏めてみます。


10代前半(小学~中学)

自らの意志というよりは、父の影響を受け、自宅で化学実験をしたり、顕微鏡を覗いたり、アマチュア無線をしたり・・という、典型的な理系人間として育っていた。

この頃は、子供(自分)の目に映る、「不思議な自然科学」への興味が非常に強かった。

数学と理科だけは、他人に負けたくないなぁ、と思っていた。


10代半ば(中学~高校)

アンプ自作などしつつ、理科系大学への受験勉強に多くの時間を割いていた。

並行して、インカ帝国という謎多き文明と、アンデス音楽にも傾倒し、小難しいアンデス考古学の本を読み漁ったり、アンデス音楽を演奏したりして、ストレス解消していた。


10代後半(高校~大学)

考古学への道も考えたりはしたが、「将来、食えるんだろうか?」なんて不安もあったし、身についてしました理系魂を捨てる勇気もなく、そのまま理系への道を歩んでいた。

田舎から飛び出して、下宿して私立大へ、というのは、金銭的に親に苦労をかけると思っていたので、とにかく国立の物理系を目指していた。

結果、国立の応用物理学科へ進学したが、入学して2年間は専門分野の講義が少なく、アンデス音楽と車にうつつをぬかしていた。

最終専攻は物性物理という分野で、透過型電子顕微鏡で50Å前後の薄膜の物性を研究。

その流れのまま、光半導体技術に携わる仕事へと就職した。

就職先の会社を決めたのは、予想される配属先の場所が、①実家にそこそこ近い、②車を飛ばせる箱根にも近い、③アンデス音楽の師匠の家にも近い、この3点セットにより、全く悩まずに決めたが、安易かつ不謹慎な決め方であった。


20代前半

社会人になってすぐだったが、予期せぬ母の急死により、目の前で「人生50年」を突き付けられる格好になった。

ダラダラと過ごしている自分に対して、日々、どのように生き生きと過ごすべきかについて悩み始め、このまま技術者の道で良いのかどうかも含め、真剣に考え始めた。


20代後半

身近な周囲に存在する、とても優秀な技術者達と、土地神話がスタートした昭和60年代において、気の遠くなるようなお金を稼いでいた不動産業界の親戚とのギャップに落胆し、「自分達は搾取されているのではないか?」という邪心が生まれる。

結果、自分で自分の報酬を決められないサラリーマンという位置づけに、終止符を打とうと決意する。

儲かる、儲からないはさておき、こんな理系一本槍で育ってきた自分でも受かりそうな国家試験であり、そう遠くない将来、一人で開業できそうな仕事として不動産鑑定士を目指し、一旦、サラリーマンの世界に別れを告げた。

この機会を逃したら二度と行けないと思い、40日間のアンデス旅行へ行き、帰国してからは、ほぼ毎日10時間以上の勉強をして、1年後に不動産鑑定士二次試験に受かる。

合格する直前に手持ち資金が底を尽き、某鑑定会社に勤めたが、どうしても結婚したい女性と出会い、求婚するに恥ずかしくない年収を求めて、鑑定士への道ではなく、総合不動産会社へと転職。またサラリーマンを続ける事になるが、家庭を持てるならそれでも良いと思い、そして、ほどなく結婚した。


30代

結婚後、早々に長男が生まれ、続いて次男、長女が生まれた。

技術者から、全く180°方向転換した不動産の仲介業務に携わったが、何故か仲介営業が肌に合っていたようで、営業成績も悪くなく、仕事は意外と楽しかった。

将来的な年収の見込みもできたと思い、土地を購入して家を建てた。

鑑定士として独立を目指していた方向から、またサラリーマンに戻ったが、全体的には充実していた。

40代

少しばかり仕事ができて、自分の意見で上層部を動かせるようになったと思い込んだため、会社全体の改革を目指すようになった。

最終的には、会社を上場させる答申であったり、自分が長く所属していた部署を分社して独立させる答申などを提出し、ほぼその内容通りの結果へと導いたが、ふと気が付くと、自分の仕事に対する熱い思いと、周囲との温度差に気が付いてしまう。

ここでまた、約15年振りに、「あ、俺ってサラリーマンだったよな」と改めて気付く。

どんなに頑張っても、自分の給料は自分では決められない。

約15年振りに、同じ問題に突き当たり、そして、再びサラリーマンを辞めた。

ほどなく、自分で会社を設立し、そして現在に至る。

さて、少しばかり冗長になってしまいましたが、私の半生の回顧は終わりです。

まずは、ここまでお読み戴いた方、有難うございます。

ここからは、私の過去の反省ですが、それがそのまま、ひょっとしたらこれをお読みになる若い方々に対して、反面教師の様にご参考になれば・・という思いで書きます。


反省ポイント①

幼少の頃の環境で身についた嗜好(好き嫌い)と思考(判断基準)は疑ってみる

まだ思考(判断基準)が自立していない幼少時代は、どうしたって環境が人間を育てます。

野球のイチロー選手にしたって、卓球の愛ちゃんにしたって、体操の内村選手・白井選手にしたって、親の影響を大きく受けています。

そこまで大きな影響ではないにしても、医者の子供、銀行員の子供、商社マンの子供、自営業者の子供、芸能人の子供、先生の子供、社長の子供、農家の子供、漁師の子供・・、何となくこんな風に育つんだろうなぁ、なんて想像できます。

将来の仕事へ直接繋がるような、仕事そのものに影響を受けることもありますが、性格の育成にもかなり影響を受けると思います。

前に出るタイプでリーダー的に育つこともありますし、なるべく目立たないよう、周囲に溶け込むように振る舞う性格になることもありますし、破天荒であることが特におかしくないと思うような子供に育つ事もあります。

そんな環境の中、進路を考えた場合は、大きく分けて、文系 と 理系

既に小さい頃から、我々は、何となく周囲の環境で、嗜好思考を方向づけられます。

「俺は電気や物理や、とにかく自然科学系が好きなんだ!」

なんの疑いもなく、私はそう信じていました。

事実、本当に好きでしたし、露ほどの疑問もありませんでした。

でも、それは、今思い返せば、本当にそう思えたのは中学生まででした。

人によって、その時期は少しずつ違うのでしょうが・・

それを思春期と言うのなら、思春期なのでしょうが・・

魂を揺さぶられるような何か に出会う時があります。

その対象は、身近な人間であったり、TVに出てくるような人であったり、本であったり、音楽であったり、何か大きな出来事であったりします。

私の場合は、アンデス音楽で最も有名な楽器、「ケーナ」という笛でした。

「コンドルは飛んでゆく」という曲に使われている、哀愁を帯びた音色の笛です。

この笛の音色は、正しく、私の魂を揺さぶっちゃってくれました。

どうして・・、何がどうなって・・、という理論ではありません

その音色の背景には、

「人間の、自然に逆らわない、本来の生き方」

そんなものが、ぼんやりと見えていました。

それ故、そのケーナという笛が伝承されてきた、「インカ帝国」という、アンデスを舞台にした歴史に、「本当の生き方」があるんじゃないか? そう考え始めていました。


後に、「グレートジャーニー」で有名になった関野吉晴さんですが、

私が高校生の時、関野さんが執筆した、「文明なき幸福」という本を読みました。

アマゾン奥地の現地人と一緒に生活して感じた、関野さんの思いが綴られていました。

この、「文明なき幸福」という響きと、「物理化学による文明の発展」とが、

高校時代の私の心の中では、共存していたことになります。

どちらが好きか嫌いか・・、一刀両断は難しいのですが、

当時の私にとっては

「物理」は、将来、食って行くための必需品。

「文明亡き幸福」は、心の中に大切にしまっておくもの。

そんな判断をしていたように思います。

少し横道にそれた気もしますが、

当時の私には、「覚悟」が足りなかったと思っています。

それは、「食えるのか、食えないのか」ということを考えた時に、

真剣に、「食えなくてもコレをやろう!」

という「覚悟」がなかったと思っています。

私は「物理」を選んだことを後悔している訳ではありません。

その時、真剣に、本当に真剣に、考えなかったことを後悔しています。

恐らく、真剣に考えた結果であっても、「物理」を選んだと思っています。

ここまで育ててくれた親への申し訳なさもあったでしょうし、身についた理系的思考回路を捨てる勇気もなかったと思うからです。

では何故、後悔するのか?

「後悔」という気持ちは、「その時の選択の間違い」で起こるものではなく、

「何故、もっとしっかり、トコトン、真剣に考えて選択しなかったのか!」

ということから生まれる感情だと思うからです。

幼少の頃に環境によって育まれたもの・・・、嗜好と思考ですが、

それを、90°、180°、方向を切り替えることをチラッとでも思った場合は、

真剣に、トコトン考えた上で、判断すると良いと思います。

多分、多くの場合、幼少から育まれた方向へと結論づけられると思いますが、

それが真剣に考えた結果、選択された道であったならば、

将来、過去を振り返ったときに、後悔を緩和してくれるはずです。


それから、もう一つ

例えば・・・

「どうしても医者になりたいんだけど、ウチにはお金がないしな・・」

という様な自問自答により、その道をさっさと諦める年頃でもあります。

私もそんな高校生でしたから、わかります。

でも、サラッと親に聞いてみることをお薦めします

今、3人の子供をもつ親になったからわかりますが・・・

子供が本当に望んでいるもの、頑張りたいもの、が見えた時、

親という生き物は、ホント、何でもしますよ!

それは、決して親に苦労をかけたり、苦しませることにはなりません

子供の為に自分が苦労をすること

それは親の幸せでもあるのです


反省ポイント②

自分の性格と本音、しっかりと自覚しておこう!

自分の過去を振り返ってみますと、そんな反省が出てきます。

特に、自分では決して認めたくない、自分の嫌~な性格と本音です。

これが、いつか社会に出て、大きく進路変更せざるを得ない結果を、

導くかもしれないと思うからです。

まぁ、あまり自分の欠陥は書きたくないのですが、私の自覚を表明します

①かなり負けず嫌いである

 人と比較された場合、自分の評価が低いことに苛立つ。

 誰しも多かれ少なかれ、そんな感情はあると思いますが、程度の問題です。

②お金持ちになりたいと思っている

 これも、多くの人がそう思っているかも知れませんが、程度の問題です。

 決して、貧乏でもいいや・・、とは絶対に思っていないレベルでした。

③真に分かり合える人間などいないと思っている

 これも程度の問題ですが、周囲とうまくやっていけないかも・・のレベル

 表面的にはどうあれ、精神的に、ひきこもりのレベル


私の場合は、こんなところですが、いかがでしょうか? 

人それぞれ、絶対に人には知られたくない、嫌~な自分の性格や本音があるのではないでしょうか?

例えば、私の様に①~③が強い人は、こんな事を想像してみると良いと思います。

※私も、若い頃に、これを自覚して進路を決めれば良かったと後悔しています。

学生時代は、その年齢その年齢で、周囲に存在するメンバーが変わります。

1学年経過するとクラス替えがあるのなら、1年毎に周囲のメンバーが変わります。

また、中学から高校、高校から大学へ進学する時も、周囲のメンバーが変わります。

先生や先輩の顔ぶれも変わります。

そこで、会社勤めになった時のことを想像します。

零細企業、中小企業、大企業・・、会社の大きさによっても異なりますが、

転職しなければ、30年以上、周囲のメンバーは変わりません。

そんな環境に身を置いた時に、自分が果たしてうまく周囲と仲良くやって行ける人間かどうか、それを想像してみるのも良いと思います。

「今は嫌な奴ばかりのクラスだけど、来年のクラス替えに期待するか!」

「あ~、もうこの高校の連中とは肌が合わない、早く大学生になりたい!」

いったん会社に入りますと、そんな訳には行かないのです。

「あ~、そう言われると、俺は結構ヤバイかもな・・」

なんて思うようであれば、もう少し、今後の進路を考えるべきかも知れません。

また、会社には、どうしたって派閥のようなものが存在するのが一般的です。

学閥や人脈派閥みたいなものもありまして、

「何故この人が昇進するのか?」

なんて思いをすることが、多々あると思っておくべきでしょう。

とっても嫌な人間が存在していたとしても、自分ではどうにもなりません。

そこは割り切って、仕事をしなければなりません。

こんな風に、具体的に想像してみたとき、

「あ~、俺はたぶん我慢できんな~」

という感情が出てきてしまった場合、どうするか・・・ですが、

もう少し先の、長い人生の戦略を考えておくと良いと思います。

私の場合は、本当に行き当たりばったりで、結果として独立しましたが、

いずれ独立して一人で仕事をすることになりそう・・

あるいは、

自分で会社を立ち上げて、TOPとして従業員を雇う・・・

そんな将来構想を、心に秘めておくと良いと思います

しっかりとした仕事を覚えること

組織とはどういうものか、を知っておくこと

広い人脈を形成しておくこと

これらは、いずれ独立するにあたり、とても大切なものですが、会社勤めをすることで、身に付けられます。

何年間かは、嫌な物を見たり、聞いたり、経験するとは思いますが、

それはすべて、自分の心に大切に保管してある、将来構想への修行として

有り難く勉強させて戴いている、そう思う事で気持ちが救われます。

ここに将来の構想が存在しませんと、

日々、トンネルの先が見えない、暗い仕事生活になってしまうかもしれません

また、早々にして、集団行動ができないと思っているのであれば、

早い段階で、独立できる道を考えておくことです。

開業医、弁護士、税理士、公認会計士、建築・設計士など、色々とあります。

ただ、注意しておきたいところですが、

何ら資格のいらない仕事というものは、参入障壁が低いため、誰でも着手できる仕事内容になりますから、非常に飛び抜けた才能や実力がありませんと、恐らく食べていけません。

それは、傍から見た場合、本当の実力など、すぐには分かってもらえないからです。

国家資格や、免許がありますと、それが水戸黄門の印篭になるので簡単です。

ああ、医師免許あるんですね

ああ、税理士免許あるんですね

これで人は、最低限の安心を懐き、仕事を任せてくれるのです。

ただ、昨今は、そんな資格だけでは、なかなか仕事が回って来ないと言われています

弁護士になれたら安泰、資格を取ったら安泰・・・

そんな簡単なものではない社会に、残念ながらなってしまっています。

以上、私の反省記述はこの辺でご勘弁戴き、

学生時代、やっておいて良かった事 を書いて締めくくろうと思います


学生時代にやっておいて良かったと思うこと

①幅広い科目を勉強していたこと

実は、私の年代の大学受験は、共通一次試験 がスタートした年です。

今で言う、センター試験 の初期段階のものです。

当時は国公立だけでしたが、国公立へ進学するためには、共通一次試験を受けなければ

ならないようになりました。

当時、受けなければならない教科は、文系も理系も一律で決まっていまして、

英語・数学・国語(現国・古文)・理科2教科(選択)・社会2教科(選択)

要するに、文系・理系を問わず、5教科7科目を勉強しなければなりません。

私は、理科は物理と化学、社会は世界史と地理を選択しました。

いずれにしても、5教科は手を抜かずに勉強するしかありませんでした。

国語が苦手だったり、英語もイマイチだったり、歴史なんかは「本に書いてある事を覚

えて何になるんだ!」なんて思いでやっていました。

ところが、人生は何が起きるかわかりません。

あれほど理系一本槍だった私でも、何かしら国家資格を得て独立を・・なんて考えたり

する事態になったからです。

不動産鑑定士という国家試験を目指した訳ですが、これは

民法・行政法規・会計学・経済学・不動産鑑定理論の5つの試験からなります。

1日2教科、試験は3日間かけて、猛暑まっただ中の時期に行われます。

行政法規以外は、2問~4問しかない、完全な長文記述式の試験です。

一般的には理系が挑戦するような試験ではないかもしれません。

でも、当時の私には

高校の時、あれだけ広い教科を一生懸命勉強したのだから、

まぁ、何とかなるやろ・・、そんな思いでした。

「こんなクソ教科、絶対に何の役にも立つはずないぜっ!」

いやいや、そうでもなかったです。

若い頃の勉強は、将来に対する大きな大きな保険となります。

これは、良い点数をとっていた・・ということなんかではなく、

「どんだけ勉強したと思っているんだチクショー」 という

思い込み の方が大事だと思います。

②大学時代に本を読んだこと

かなり理系一本槍だった私は、小説とか、歴史とか、そんな類の「本」というものを

あまり読んでいませんでした。

「真なるものは、自然科学の中にあり!」

なんてマジに思っていた偏狭者でしたので・・

ですが、ひょんな事から遠藤周作さんの本に出会い、そしてハマりました。

「ぐうたら~」シリーズ、「狐狸庵~」シリーズも面白かったのですが、

「海と毒薬」とか、何となくキリスト教的な思考がチラチラする感じの、

色々と人生を考えさせられる作品が好きでした。

それまで読書という習慣がなかった私は、それがきっかけとなり、歴史本も読むように

なりました。

特に、戦国時代から明治維新までの歴史本、あと三国志あたりです。


社会人になってからも継続して読むようになりましたが、

これらの本は、社会に出て、人と人との関係を調整するのに、とても役立ちました。

こんなこと、私が論じてしまってはいけないのでしょうが、

恐らく、遠藤周作さんが主張されたかったことの一つに、

「スポットライトが当たらない、そんな人々にも素晴らしい生きざまがある」

という温かい着眼点があります。

凄い人、素晴らしい人、尊敬される人・・・

私達は、どうしてもスポットライトを浴びた人でなければ、

そう言われる資格がない・・

そんな考え方を懐きがちですが

社会に出て見ればわかるように

身近にだって、本当に素晴らしい生き方をしている人が沢山います

そんなスポットライトから外れてしまっている多くの人達によって

会社や組織はうまく機能しています

そこをしっかり見て行かなければいけない

そんなことを遠藤周作さんから教わったように思います

また、お客様を相手にする営業の前線や、何かを改善しようとする職場内において

利害関係が相反しているような状況を、何とかして打開しなければならない時、

戦国時代から明治維新に至る、その数百年に登場してくる

歴史的人物の思考が役に立ちます

特に戦国時代や三国志の時代は、食うか食われるか

昨日の友は今日の敵、昨日の敵は今日の友

そんな、とんでもない厳しい世の中において

どのように自分を守り、自分の城と民を守るのか

武将同志の心理作戦など、本当に社会に出て役に立つと思います

また、明治維新で登場する、様々な立場の人達

幕府としての立場、倒幕側の理論、皇室の位置づけ、外国勢の狙い、

戦国時代より、もう少し視野広く考える人物が出てくるわけですが、

人は、どの位置に立っているかで、正論が全く異なります

自分の立ち位置における正論は、どれもその場では正論です

会社の中であっても同じです

お互いに全く違う主張でありながら、どちらもその組織においては正論です

これを、いかに同じ価値観として纏め上げるのか・・・

そんなことをしなければならない時

明治維新の頃の人達の、それぞれの考え方がとても参考になります

長々と書いてきましたが、もうおしまいにします。

行き当たりばったりで生きて来た私ですから、

何ら偉そうなことを申し上げる資格などございません

もし、そう受取れる文面があったとしたならば、お詫びを申し上げます

最後に、若い方々へ申し上げたいこと

これは、私自身の、3人の子供達に対しても思っていることです


貴方はお父さんとお母さんから、間違いなく愛されています

だから、安心して、好きな事を、思いっきりやってください

こんな生き方は恥ずかしい・・・とか

親には申し訳ない・・・とか

そんなことを心配する必要など、一切ないのです

思ったように、好きなように、毎日をしっかり生きて下さい

それが、お父さんとお母さんの、一番の願いなのですから

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