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13/10/7

ネトゲ廃人生活をしていた頃のボク その2

Image by Olia Gozha

「クイズクイズ」というネットゲームの中で出会った友人から、面白そうなゲームがあるから一緒にやってみないか?と誘われ、友人に言われるがままプレイヤー登録を行ったのが「ポトリス」というコミカルな戦車ゲームであった。


そこそこ有名なゲームとなったため、知っている人もいるだろう。まだβ版であったが、元々が韓国産のゲームで、既に韓国では大々的にサービスが開始されていたこともあり、かなりの賑わいを見せていた。(当時は知らなかった2ちゃんねるのゲーム板で、すでに韓国版をプレイしていた人や、本場韓国でプレイしていた韓国人など)


このゲーム、単純なターン制の的当てゲームかと思いきや、かなり奥の深いものであった。

やり始めた当初は、仲間内でチャットをメインに的当てを楽しんでいたのだが、いつしか、ネットゲームの世界にはギルドやクランと呼ばれるチームのようなものがあることを知る。

すでに先のネットゲームの中で仲間をたくさん作り、小規模ながらも一つのコミュニティの中心にいた自分は、このゲームにおいても仲間作りを始めようと思った。

だが、先のクイズゲームとは違い、チャットがメインとなるゲームではないため、ただ話をするだけでは中々に親密にならない。


まだ正式にギルドとして成立もしていなかった当時、とある男に出会った。


名は「カツ丼KID」。


彼との出会いにより、自分はネットゲーム、ネット世界における様々な知識を得る事となる。

彼は「Teamポト丼」というギルドのマスターであり、また自分と同学年の大学生でもあった。

彼の勧めで、初めてIRCをいうチャットツールと知り、これを使用することで仲間とのコミュニケーションが飛躍的にアップした。

また、ホームページの立ち上げ方も教えてもらい、無料のレンタル掲示板を設置したホームページを作成。

初めて、自分のギルドを立ち上げた。


ギルド名は「逝く逝く団」


元々、自分も含め、先のクイズゲームから一緒にやっていた友人などは、チャットがメインでゲームの上達なんかには興味がなかった。

そのため、仲間内以外での野良戦闘になると、こっぴどくやられた。

そういう下手っぴ集まりであるというコンセプトから命名した。


しかし、ギルドとして看板を背負う以上、やはりゲームも上手くなりたい。と、そう思うようになり、この「ポトリス」というゲームについて、自分なりに研究を行っていくようになった。

その研究成果は我ら「逝く逝く団」のホームページに公開していたのだが、これが思ったより反響があり、今までは自分と誰か個人の付き合いばかりだったところに、「逝く逝く団」として他のギルドと交流を持つということに成功した。


とにかく、毎日起こる様々な出来事、出会いの一つ一つが、本当に新鮮だった。寝る時間も惜しんで、ゲームの上達、研究、ギルドの運営、交流に夢中になっていた。

当然、実生活はひどいありさまとなる。


晩ご飯だけは、家族とそろって食べていたものも、自分だけは後から一人で食べるようになった。(しかも、夜中の2時とかに・・・。)

当然、両親からは「何をしているんだ。」と再三に渡って小言を言われていたが、全く気に止めなかった。

PCの前が自分の居場所であると、真剣にそう思っていた。

なので、離籍して食事とした後や、外出から帰った時など、PCの前に戻ると、まずは仲間に「ただいま」と挨拶をしていた。

自分の家族にはほとんど口を開かなかったのに・・・。


そうやって自分の生活時間のほとんどを「ポトリス」に捧げてきたかいもあり、仲間も自分も上達していき、中堅以上のギルドとして成長していった。


そのうち、β版が正式版へと以降され、ますます「ポトリス」は活気づいていった。


気づいたらギルドのメンバーも20人と超えていたと思う。

しかし、残念なことに、その頃には「クイズクイズ」で出会った友人は一人二人しか残っておらず、ほかの友人はメッセンジャーで時々会話するくらいになっていった。

元々会話をメインに仲良くなった友人ばかりであったため、ゲームに夢中になるがあまり、彼らとの交流をないがしろにしてしまった自分の責任である。


それでもやはり、初めて作った自分のギルドというものが何より大事だと思っていた。まるで会社の社長にでもなった気分で、メンバーにはあれよこれよと指示を飛ばしていたような気がする。


しかし、ゲームとは言え、ネットを介して人とつながっていると、やはりトラブルも起きる。

今までは自分個人だけの問題であったため、気に入らない人には関わらないようにするとか、適当に流してしまうようなこともできていた。

それがギルドマスターとなると、自分以外の厄介事に巻き込まれることが多くなってきていた。


ある時は、メンバーの一人が、チャットで対戦相手に暴言を吐き、自分のところへクレームが来た。

またある時は、メンバーの一人が、しつこくセクハラな発言をするというクレームも来た。


その都度、自分はギルドマスターとしてメンバーに厳重注意を行っていった。たしか、度がすぎる者や何回注意しても変わらないものなどにはギルドから除名するという措置も取っていたと思う。


ここまで来ると、さすがに自分も何をやっているのかわからなくなってきた。楽しくゲームをしたいだけなのに、ゲーム以外の部分で時間を取られることが多い。

けど、ここでギルド放り出してしまうと、それはそれで楽しめそうにはない。そんな葛藤に悩まされていた頃、ふと、自分の師匠とも言える彼から誘いが。


「オフ会しようぜ」


オフ会。オフ会ってなんだろう。詳しく聞いてみると、ネットで知り合ったもの同士が実際に出会う会。飲み会でも食事会でもカラオケでもボーリングでも。

とくにかく、普段はネットでオンラインでつながってるもの同士が、オンラインではない、オフラインである場で介すことからオフ会と呼ばれるらしい。

これは実に楽しそうだ。


こうして、自分率いる「逝く逝く団」と、カツ丼KID率いる「Teamポト丼」とのオフ会が企画された。

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