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13/9/29

今の自分はやりたい事に向かって邁進する自分史上最高の私。高校時代はコンプレックスの固まりだった。

Image by Olia Gozha

オーストラリアで過ごした高校時代

高校時代の私は、取り柄がありというわけでもない、どちらかと言えば部屋でゲームしてひきこもっている事の多いパッとしない高校生でした。

私はオーストラリアの田舎、アドレードという小さな町で高校時代を過ごしました。こう書くと、高校の時から海外志向であったかのように思われますが、実際は親の仕事の関係で文句を言う事も許されず、半ば強引に連れていかれた感じです。

私が通っていた学校は、ちょっとした丘の上に佇む古城のような学校でした。ホームルームは学年が縦割りのグループに別れた形で行われ、ハリーポッター程豪勢でもありませんが、学校自体がイギリス式だったので、ちょっと通じるところはあるかと思います。

素敵に聞こえるかもしれませんが、当時の私は新しい環境になじむ事は苦手で、新しい学校に通う事は苦痛以外の何者でもありませんでした。

オーストラリア独特の言葉の訛りや欧米文化にうまくなじむ事ができないとも感じていました。

肌の色も国籍も違うし、英語が彼ら程流暢に話せる訳でもないし、かといって他の人より秀でているという訳でもない。

それでもなんとか毎日をやり過ごせたのは、なんとかなるというよりも環境に抗う事などできないと諦めてしまったからです。どこにも行けない、この場所で、じっと耐えていました。

将来何になろうとか考えた事もありませんでした。親の希望する大学を受け、受かればいいなと、完全に親が敷いたレールの上を乗ってる学生だったのです。

おかげで、自分に一切の自信の無い無気力な高校生の私ができあがっていました。

自分で決断した事がないという事は、自分の意思を認めてもらった経験も無く、これから自分が決めていかなくてはいけない全ての決断全てに自信が無い事を意味しているのだと、後になって気付くのです。

人生を変える転機

高校二年生の時転機は訪れました。

両親が日本に帰ると言い出したのです。

私も当然ながら、日本に帰り、残りの高校生活を日本で過ごすよう薦められました。

けれど私はオーストラリアに残りたいと強く思ったのです。

新たに日本の高校、それも3年生から転校するのは、勉強面や友人作りとか学校生活を送るのに、無理があると感じたからです。

非常にネガティブで、どうしてもオーストラリアに残りたいという前向きな意見では無かったのですが、反抗期の無かった私にとって、親の指示に従わなかったのは、これが初めてでした。

私の意見は、何時間にも及ぶ家族会議の末、通される事となりました。

この効用は大きかったです。

なんせ、自分自身で初めて自分の人生について決断した瞬間だったからです。自分に対する自信とは、自分が決めた!という経験を積んで始めてついてくるものであり、また自分の意思は突き通せるものだと初めて知ったのです。

そして、私はその瞬間から「後悔」する事を辞めました。

自分が選んだ道なのだから、頑張ろうと思えるようになったのです。

この転機によって、私の人生は大きく変わったと思います。

「後悔」しないよう、全力で好きな事に取り組む事を心に決めました。


そして、もう一つオーストラリアで学んだ事は、

後悔しない人生を送る為に私は、「周りの価値観」をそれほど気にしないようにする事。

オーストラリアで味わった、言葉の違い、文化の違い、価値観の違い。それは当たり前の事なのだと思えるようになったのです。日本国内にいたって同様です。

皆それぞれ違う意見を持っているのは当然なのです。

他人の価値観をないがしろにはできないけど、自分の意見を言う事は悪い事ではないし、夢を語ってもいいし、自分の人生、満足のいく生き方をしたいと思う事で、すごく気が楽になりました。

大学時代から現在に至るまで

大学時代、それこそ好きな事をして生きる事にした私は、大学で興味のあった心理学を学びながら、夜は好きで仕方の無いファッションを学ぶ為、服飾の専門学校に通いました。

その後、新卒で就職したものの、やりたい仕事ではないと思ったため、二年未満で辞め、身につけた英語で翻訳の仕事を請け負いました。そして、今は縁あって毎日楽しくスタートアップで働かせて頂いている傍ら、日曜日には、また新たに好きでやりたい事を実現する為に資格の学校に通っています。


全てが順風満帆で後悔が全く無いとは言えませんが、周りの価値観に流されることなく、自分が決断して行動を起こした事の積み重ねで自分の人生を作っている感覚は楽しいし、わくわくの連続です。


自分の意思で行動して得られた結果は全て私の糧になっています。

高校時代の私は、自分の分が悪くなると親や周りの環境のせいにしていました。後悔するのも全部周りの責任だと思っていたのです。

また、周りの目も怖かったのです。自分が意思を通したら嫌われるのではないか、夢を語ったらバカにされるのではないかと。

でも周りの言う事は一旦おいておいて、最終的に自分が感じた事を考慮に入れて、決断し行動する事で、後悔の量も減る分、人生楽しめるものだと思います。

あの瞬間、決断する事を選ばなければ、今の私は無かったと思います。あまりに平凡な出来事ですが、自分の意思で行動する意味を知った私の人生の転機です。

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Image by Jukka Aalho

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