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13/9/24

従姉妹の結婚式に出席できなかった話

Image by Olia Gozha


高校二年の秋。

21歳の従姉妹の結婚式があった。


わたしの家庭は複雑で

家庭の事情から、わたしは従姉妹の結婚式に参加できなかった。

行きたかった、と思うのはもちろんである。

せっかくの従姉妹の晴れ姿なのだ。

写真からしか見えないのは非常に残念だ。

だがわたしよりももっと参加できなかったことを悔しがっている人がいる。

わたしの母だ。

結婚した従姉妹も含め、従姉妹たち(といっても2人だが)は

小さい頃よくわたしの両親に世話をしてもらっていたようで、

そのせいか自分の両親よりもわたしの両親のほうになついている。

だからといって何かあるわけでもない。

わたしも従姉妹たちとは仲がいいのだから。

わたしは小さい頃からよく母の実家に帰っていた。

家出というわけではなく、単純におばあちゃんや従姉妹たちに会いに行っていたのだ。

年もそんなに離れていない従姉妹たちとは、おままごとや駐車場で鬼ごっこをしてよく遊んだものだ。

実家の近所に住んでいる同年代の子供たちとも、仲が良かった。

従姉妹がその子達と一緒に遊んでいるのに混ざって、よく遊んでいた記憶がある。


話の流れからお分かりいただけると思うが、その従姉妹たちというのは母方の従姉妹で、わたしよりも年上である。

父方の従兄弟達は多すぎて、関係こそあるものの母方の従姉妹たちほど仲良くはない。

やはり小さい頃を一緒に過ごした、ということが大きいのだろう。

そしてその仲の良さは今でも続いている。

休日は一緒に買い物に行ったりご飯を食べに行ったりする仲だ。

そんなに仲が良いのに、なぜ結婚式に出席できなかったか?

これを1からキチンと話そうとすると日が暮れてしまう。

なので簡潔にまとめよう。


わたしの両親は離婚している。

わたしが小2の頃のことだ。

一旦は母に引き取られたが、あまりに経済状態が悪く、光熱費も払えないような状況だったので、すぐ父に引き取られた。

そして今も父のもとで生活している。

普通ならここで母親とは疎遠になるのだろう。

わたしも一時期そうなりかけた。

母とは一切連絡がつかず、音信不通のときがあった。

生きているかどうかもわからないような状態だったのだ。

が、あるときをきっかけに母と連絡がとれるようになった。

それからは、月1程度のペースで会うようにしていた。

今はもう、いつでも会えるような状態だ。

母とも疎遠にならなかったため、必然的に従姉妹達との関係も変わることがなく、結果的にわたしからすれば両親が離婚したこと以外は何も変わらなかった。

が、実家のほうに問題があった。

嫁姑の仲が悪すぎたのだ。

これがまた普通とは違って、嫁に姑がいじめられているような状態だった。

おじいちゃんはわたしの両親が離婚する前に亡くなっていたし、従姉妹達も嫁に言いくるめられていた。

夫、つまり姑の息子も、自分には関係ないといった感じで、見て見ぬフリであった。

だから、その頃の実家にはおばあちゃんの味方は誰1人としていなかった。

その時のことを思い出すと今でもつらくなる。

わたしも父に引き取られたばかりで、まだ小3くらいだったし、今まで暮らしていた家なのにお母さんがいないというだけでとても居心地が悪く、お父さんと暮らしたほうが絶対に幸せになれるのに、お母さんと暮らしたいと思っていた。

だから自分の家に居場所を見つけられなくて、お母さんと音信不通の時期があったため逃げ場がなく、おばあちゃんのところに逃げるしかなかった。

わたしに兄弟がいたら少しは違ったのかもしれないが、あいにくわたしはひとりっ子だった。

おばあちゃんはずっと和室にいて、和室から出るのはトイレのときくらい。

食事も嫁が作ったものを従姉妹がお盆に乗せて運んでくるのでそれを食べていた。

おばあちゃんと2人だけで、わたしの誕生日を祝ったこともあった。

おばあちゃんが小さなケーキとジュースを買ってきてくれて、それを2人で食べたのだ。

小学校の低学年の頃は、そんな状態がずっと続いていたと思う。

そのときが今までで1番どん底だった時期だ。

わたしが小4になったとき、ついにおばあちゃんが耐え切れなくなり家を出てしまった。

駅前にアパートを借りて、1人で暮らし始めたのだ。

わたしも週末はいつも泊まりがけでおばあちゃんのところに行っていたが、正直実家も居心地が悪かった。

だがもうこれで心おきなくおばあちゃんに会いにいける、と嬉しかった記憶がある。

そのあとしばらく経ってから、今までどこに行っていたのかわからない母が突然そのアパートに帰ってきた。

そしてそのままおばあちゃんと同居を始めたのだ。

わたしは週末がさらに楽しみになった。

おばあちゃんとお母さんに会いにいけるからだ。

アパートから家に帰る帰り道は、離れ離れになる寂しさから、泣きながら帰っていた記憶がある。

お父さん達が寝静まったあと、トイレに引きこもって泣いたこともあった。

そんなことも経験しながら、わたしは5年生になった。

その頃からだろうか、従姉妹達もいよいよ嫁に嫌気がさしたようで

今までひどい態度をとってごめんなさいとおばあちゃんに謝ってきたようだった。

嫁にはわたしたちが会っていることは今でも内緒だ。

バレたら嫁の怒りがどうなることかわからない。

夫もわたしたちが会っていることは知っているので、何も知らないのは嫁だけである。

事態は一気に好転し、それが今でも続いているというわけだ。


簡潔にまとめるつもりが、長くなってしまった。


そういうわけで、わたしと母は結婚式に参加できなかったのだ。

部外者、と言われればそうなのだが。

母は、結婚式の日、わたしにLINEを送ってきた。


今日はあの子の結婚式だね。あの子がこんな早く結婚するなんて、お母さん、想像してなかったわぁ。まいちゃん(私)の結婚式も、お母さんは出席できないんだろうなぁ。全部お母さんが悪いから、仕方ないか。まいちゃんには今まで辛い思いをたくさんさせたね。ごめんね。大事な一人娘に辛い思いさせて、お母さん、母親失格だね。本当にごめんなさい。それでもちゃんと勉強して、ちゃんとした高校に入ってくれてお母さんは嬉しいです。まいちゃんはお母さんの誇りです。こんなお母さんだけど、これからもよろしくね。


こんな内容だった。

読んで泣いてしまった。


わたしも、自分が結婚式を挙げるときは

お母さんはどうなるのかな、と考えていた。

わたしとしてはもちろん、出席してもらいたい。

というか、出席してもらわなければ困る。

わたしの晴れ姿は、ちゃんと両親に見せないとダメだろう。

写真じゃなくて、直接見てもらいたい。

そこに意味があるとわたしは思う。

お父さんだって、許してくれるだろう。


自分の過去、そして将来のことを

深く考えた一日だった。

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