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13/9/26

ゲーマー野郎が一人アカペラでYouTubeの再生回数100万回、そして本気でグラミー賞をめざすまでの話 PART 7

Image by Olia Gozha

ビルボードライブでのバイト

ビザ等の関係もあり、少し時間をおいてですが、2012年5月末頃にビルボードライブ大阪で働き始めました。

2013年の2月末まで働いていたので、9ヶ月程度になるわけですが、ここは本当に素晴らしかったです。
社員さんがみんな素敵で、仕事的にも、働く環境的にも素晴らしかったですが、この9ヶ月で、

160もの、素晴らしいプロの公演に出会いました。

"ライブ"とは。"ショー"とは。"コンサート"とは。

"ステージ"とは。"パフォーマンス"とは。"音楽"とは。

開場してから開演までの雰囲気。お客さんの反応。

本当にいろんなことを学びました。

「自分があのステージに今の状態で立ったらどんなことになるのか」というイメージをしてみたり、「あのステージに立つようになったときの自分は、どんなことをしているんだろうか」というイメージもしてみたり。


ピアノを習う

ジャズピアノを習うことにしました。
音楽界では遅めのこの年齢(25歳)で、ジャズピアノが弾けるようになるための指の練習とかがメインになってしまうと、僕が目指す「根底にジャズの理論がうすーくあるポップス」とズレて来るので、ジャズだけじゃなく、ポップス音楽にも作曲にも精通している素晴らしい方を紹介していただきました。

この方、「倉木麻衣」のバックでキーボードをしている方だったのですが、PART 6で書いたマービン・レノアーさんと知り合いでした。

この瞬間「いろんな人に会うことが大事」ということを、心から思えるようになりました。

どこで誰と繋がるかわからない。

なんというところなんだろうか。世界というのは。

とにかく、この方に師事していただき、1年でなんとかコードはすべて分かるように、なんとか打ち込みはできるようになりました。


カントリーギターは、あんまり続きませんでした

難しかったというのもありますが、自分がギターを持ってステージ上で歌っているイメージが作れなかったからです。ものすごく似合っていなかった。

なんとなくですが、ピアノを弾いているイメージの方がまだありました。

練習が身に入らなかった言い訳かもしれないけど。

カントリーは聴くだけになりました。


ダンス

マイケル・ジャクソンの「This is it」の影響もあり、見た目もそうですが、リズム感を鍛えたいという目的もありましたので、振り付けとかよりも、"体幹"を意識的に使うダンスがしたい、と知り合いに相談しました。

そしたら、京都でレッスンされているのか不思議なくらい世界で大活躍中の、「GUCCHON」さんという素晴らしい方を紹介してくれました。まさに習いたいものにぴったりだった。

 

素晴らしくためになった1年でした。


デモテープ、一人アカペラ多重録音

僕が軍隊に行っているとき、所属していたアカペラサークルに興味を持ち始めている音楽エンジニアがいることを、サークル員のネットのやり取りで知りました。

兵役のあと、その人のところにすぐに行き、

「○○というプランでやろうと思っているのですが…、目標はグラミー賞で…

みたいな話をしました。

学生でお金が無かったので、どうにか学生価格で一緒に作品を作っていただけないか、とお願いをして、オッケーをもらいました。

本当に、太っ腹で。ここから僕の一人アカペラ動画は始まっていますので、すごく感謝しています。

 

一人アカペラ多重録音の最初の3曲ができたのは、2012年の9月頃でした。

まずは「SoundCloud」というところにアップし、ツイッターやフェイスブックで宣伝。

CDでも焼いて、連絡先を手書きで書いて配り歩き。

友人・知人にたくさん宣伝しましたが、大きな反響はありませんでした。いや、今と比べるとほぼ0だった。

もちろん、元々アカペラが好きな人や知り合いは褒めてくれたり、シェア、リツイートしてくれたりしたのですが、それでも1年で2,000回再生くらいでしょうか(今は削除しています)。

おそらくですが、音だけだと、"声だけ"で"一人で多重録音"しているということが伝わらなかったのではないかと。

 

その後動画を作り、2013年の1月中旬に一作目をYouTubeにアップしました。

マイケルジャクソンのスリラーを。

これ、

凄まじい反響でした。

今でも信じられないような、不思議な体験。

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