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13/9/20

ゲーマー野郎が一人アカペラでYouTubeの再生回数100万回、そして本気でグラミー賞をめざすまでの話 PART 6

Image by Olia Gozha

まず、相談

目標を設定したら、やるべきことが具体的にどんどん浮かんできました。でも、ちゃんと取捨選択しなきゃいけない。

グラミー賞が獲りたいということをいろんな人たちに相談していたら、

「実力はある程度あるんだから、あとはいろんな人に会うことが大事」という言葉を頂きました。そして、

「いろんな人に会ったときに渡せる、"デモテープ"みたいなのもあるほうがいい」という言葉も。

デモテープじゃなくてもいいけど、そういった、"名刺代わりの何か"を持って、いろんな人と会うことが大事であると。

もちろん自分の"オプション"は増やし続けながら。

歌を歌うだけよりも、ピアノが弾けたほうがいいし、作曲できたほうがいいですからね。


「人と会うことに重点は置きつつ、自分の"オプション"は増やしていく必要がある」という言葉は「倉木麻衣」の元ドラムの黒人の方にもらいました。

名前はマービン・レノアーさん。

この出会いは、音楽繋がりではないんです。

小学校の頃日本にいたとき、母親は日本語学校に行っていたのですが、

そのときのクラスメイトなんです。
びっくり過ぎる。
もっと早く紹介してくれ。

マービンさんは授業中、手でドラムの練習をするばかりで、また授業もあまり来てなかったらしく、日本語は全然上手くならなかったらしいです(笑)


なんにせよ、業界では有名な方みたいだったので、その方に是非相談したくて、母親が知り合いだということを知ったとき、すぐに紹介してくれと頼みました。

本当に良い助言をもらいました。

今考えるとこれがすでに"いろんな人に会う"ことのスタートであったように思います。

兵役に行く直前の話です。


さて、どうしようか。

「まあ、デモテープ作るわなぁ。」

「でもデモテープでいきなりオリジナル曲作っても無名の人の曲なんて誰も聴いてくれないだろうし。そんな天才じゃないんだから、無名でも話題になるような、急に素晴らしい名曲がかけるわけもないだろうし。」

「やっぱり、せっかくアカペラをやってきたんだから、なんか、アカペラを使ったほうがいいよなぁ。」

という感じ。

かつ、自分のアピール用なので、そうなるとアカペラグループではなく、

アカペラのすべてのパートを自分でやろう!と思いました。

自分一人の多重録音のアカペラだ!と。

ネットでは少しずつやられ始めていたもので(日本だと「全部俺」という表現でした)、そこからアイデアはいただきました。画面を分割した方法もYouTubeにいくつがあったので、そのアイデアも。

そのときはまだそれほど動画は無く、そのときの動画たちをみて、

「あ、これなら僕の方がうまくできそうだ」と思ったのです。

まだイキっていました。


選曲、分析、決断

まず一番重要な、"曲はなににしよう"というところ。考えに考え抜き、3曲作ることにしました。

1曲は誰でも知っている曲、もう1曲はミュージシャンが好きな曲。

で、3曲目は、本当はオリジナルがよかったのですが、まだまだ未熟な音楽的知識で書いた曲では3曲の中でクオリティーに差が出てしまうと思い、ほぼオリジナルとして聴いてもらえるような、マニアックなアカペラ曲をコピーすることにしました。

次に、目標がグラミー賞なので、グラミー賞を分析しなきゃいけないと思いました。

分析したところ、主要4部門と言われる部門で受賞してる曲たちの特徴として、
「カントリーミュージック」と、「根底にジャズの理論がうすーくあるポップス」がたくさん受賞していると思いました。

だから、編曲のことも含め、やっぱりジャズ理論を勉強しないといけないなと。楽器も何かやらなきゃいけないなーと。なので、兵役が終わったら、ジャズピアノとカントリーギターを始めることを"やることリスト"に入れました。 

作曲もできる方がいいので、作曲、打ち込みの勉強も"やることリスト"に入れました。

また、ボーカルはステージで一番前に立つ、いわば"バンドの顔"なので、動きもかっこよくないといけないなと思い、ダンスも始めることにしました。

そして何よりも、"ホンモノの音楽"を聴かないといけない、耳を成長させないといけない、良い音楽を判断できるようにならないといけない、と思ったので、学生最後の一年はそういう場所でアルバイトをしよう、と思いました。


このプランたちを、兵役中の暇な時間に手帳に書き、2年かけて、温めに温め続けました。


曲は、あれです

1曲目の、"誰でも知っている曲"で選んだのが「Michael Jackson」の「Thriller」でした。

そのときちょうど「マイケル・ジャクソン」が亡くなって、「This is it」という映画が公開され、「マイケル・ジャクソン」のアンチたちが手のひらを返すかのように、全員"マイケルごめんモード"になっていた時期でした。「マイケル、お前はやっぱりすごいやつだったんだな」みたいな。

これはチャンスだと思っていたときに、いろんなアカペラのプロたちも、やっぱり「マイケル・ジャクソン」をカヴァーし始めていました。

その中の一つ、カナダのアカペラグループ「Duwende」というグループのThrillerのアカペラバージョンがYouTubeにアップされました。これも画面が分割されている動画です。「Rock With You」とか、「Man in the Mirror」とか、マイケルのいろんな曲をカヴァーしているグループでした。

まだイキっていた僕は、これを観たとき、「これ、僕の方がもっと上手くできる気がする」と思いました。

ここまでくると、勘違いや思い込みは大事なんじゃないかと思えてきますね。

ま、編曲しなくてもいいし、これを耳コピ(音楽を聴いて楽譜に書くこと)してやろうと思いました。で、原曲よりキーを下げた編曲だったので、原曲キーに上げ、リズムもホンモノのThrillerのものにして、やることにしました。


2曲目の、"ミュージシャンが好きな曲"で選んだのは、「Stevie Wonder」の「I Wish」でした。

この曲は本当にたくさんのミュージシャンがカヴァーする曲で、案の定アカペラ界隈でも、本当にたくさんのグループがカヴァーしていました。そのカヴァーたちの中で一番好きなアカペラ編曲バージョンを選び、またリズムだけもっとよくして、やろうと。


そして3曲目は、「Take 6」の「More Than Ever」という曲にしました。Take 6ファンの方は知っておられるかなーという感じでしょうか。
この曲を選んだのは、僕のボーカルを一番活かせると思ったからです。


そして、忘れもしない、2012年3月15日。


念願の除隊日。

長かった…。

なんという満面の笑顔。

そらあそうだわ!!

(心なしかちょっと太っているように見えますが、防寒着を着ているだけです)


なにせ僕の兵役は運が悪くてですね。

潜水艦沈没で50人もの戦死者が出てる緊張状況で入隊するわ、

1年目の11月に、ヨンピョン島に北朝鮮からミサイルを山ほど打ち込まれるわ、

その対応が遅かったと、政府から訓練が甘いんじゃないかと叩かれて、急にむっちゃ厳しくなるわ、

2年目の12月にはキム・ジョンイルが死ぬわで、

バッタバタのバッタバタでした。

こんなことには一切遭遇しない年もあるというのに。

ま、でも、いいんですもう。

もう終わったのです。どうでもいい。超ハッピー。


温めに温め続けたアイデアが爆発しそうになっていたので、

翌日の3月16日に日本に飛びました。


すぐにジャズピアノと作曲の先生を紹介して欲しいと知り合いに頼みにいき、

ダンスをやっていた人に良いところを紹介してくれと頼み、

ホンモノの音楽を聴くために「ビルボードライブ大阪」にすぐに履歴書を送りました。 


兵役で感じたのは、「人生は短い」「早く動け」ってよく言われていることとはちょっと違う考え方。

こんなにもたくさん時間があるのに、なにも出来ない。

あれもこれもやりたいことがあるのに、なにも出来ない。

外に出たら、自分の時間を使ってあれもこれもできる。

ということ。


この反動は凄まじいものでした。

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