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19歳はインドへ飛び込んだ

Image by Olia Gozha

私は、物心ついた時から手先を使って何かを作り出すことが好きな子どもでした。


絵を描いたり、工作をしたり。


幼稚園の頃には、自分流のレシピブックなんかも作ってみたりして。


今になって思い返すと、絵もモノ作りも飛び抜けて人より上手いわけではなかったのだけど、私が作り出したモノや描いた絵を褒めてくれる周りの人たちの心が温かくて上手に褒めてくれるものだから、単純な思考回路をしている私は『私はモノづくりが大好きで、得意なんだ』と思い込んだまま、自然と成長してこれたように思うのです。


とにかく。18歳で静岡県浜松市にあるモノ作りの大学へ通う為に地元山口県下関市を出るまで、私は『モノ作りのえなっちゃん』として生きていたので、『私は将来デザインやアートの分野のプロになるんだ』と信じて疑っていませんでした。


その過程で、大学に通いながら、自分の信じる『人を笑顔にするモノづくり道』の地盤を固めるべく、アルバイトで稼いだお金を材料代に注ぎ込み、Tシャツでも絵本でも文房具でも、オリジナルの作品を発表する場を見つけては『雑貨屋なつ』という小さなオリジナルのブランドとして展示販売をしてみる、ということをやっていました。


2005年6月、19歳の時。


いつものように、東京で開催されたアートなイベントで渾身のオリジナルTシャツや雑貨を展示販売していた日。


この日は、私の作品のファンになったと言ってくださる何名かのお客様に出会えたり、オリジナルTシャツが売り切れたり、更に追加注文を受けたりで、今までの挑戦で1番成果が出たのを実感して、朝からずっと動き続けた身体の疲労もなんのその、ニッコニコのほっくほくで帰宅したんです。


『ファンって言ってくれるひとが増えたなぁ〜♪こうやって、どんどんファンを増やして、自分だけで注文分の製作が追いつかないくらい人気のアーティストになっちゃったら、どこかの工場に大量生産をお願いしちゃったりして、ゆくゆくは私の作品が他のアーティストさん達の作品と並んで、色んな国のお店に並んじゃったりして、今はまだ出会っていない世界中の人たちまでを笑顔にするんだ!!これが私の生きる道!!!』って、本当に体中からわくわくエネルギーが溢れ出てくるような感じで。


何て単純。何て世間知らず。


だけどその時は本当に、自分の進むべき道が目の前に大きく開かれた気がして、広い世界の人たち、待っててね!っていう気持ちになったんです。


その高揚しまくったテンションで、ふとテレビを付けたら偶然やっていた番組が『世界がもし100人の村だったら』というベストセラーになった絵本を題材にしたドキュメント番組。


この本は、名前の通り、地球全体を100人の人が住む村と捉えて、地球にあるあらゆる現状を100人の単位に縮めて分かりやすく比較、把握できるようにしたもの。例えば『100人のうちに女性が52人、男性が48人です。そのうち30人が子どもで70人が大人、大人のうち7人がお年寄りです』みたいな。


国とか人種で分けるんじゃなく、地球に住む人間全体の『今』を理解できる素晴らしい絵本なのだけど、それを題材にしたドキュメント番組のなかで伝えといたある言葉で、私の輝かしい未来予想図は一気に崩れてしまったんです。


番組が終わる頃には、テレビの前の私の顔はゾンビのように生気も希望も抜けて、溶け出していた....に違いない。


身動きも出来ない程の脱力感に襲われるきっかけになった番組レポーターの言葉は、


『もし、世界が人口100人の村だったら。

私たちが住む日本のように、当たり前に学校に通って教育を受け、毎日安全な水と食事を口にし、医療というものが身近にある環境で過ごせるような経済的に豊かな人たちは、地球全体のほんの2割程度に過ぎない』


ということ。


その言葉に、びっっっくりしたんです。私が『豊か』だったということに、びっくり、びっくり。


それまで思っていた『経済的に豊か』っていうのは、何というか、大変勝手なイメージなんだけど、『寿司屋では時価ネタしか食べませんが、お会計時にも全くドキドキしないくらいのひと』とか『歩いて通える距離の学校でも、優しそうな「じいや」がピカピカした車でお迎えに来る」とか(完全にちびまる子ちゃんの花輪くんのイメージだと書いている今気が付きました)、そんな感じの人たちのことを言うんだと思っていたんです。


まさか自分の暮らしが『豊か』だなんて想像したこともなかったんです。


自分の作った作品を通して世界中の人を笑顔にするんだ!って思い描いていた『広い広い世界』が、地球村のたった2割の部分だったなんて。


たった2割の世界の中に、私の作品でハッピーになる人たちは一体全体どのくらいいるんだろう。


世界に向かって大きく前進していくイメージはあっという間にしゅるしゅると縮んで、自分が、まるで針の穴のような小さなゴールに向かっていたという事実に、思いっきり打ちのめされてしまいました。


本当に、立ち上がれないくらい。頭の中ではひたすらぐるぐる、沼のような思考ループから抜け出せない。


『...私のモノづくりは完全な自己満足で、そもそも世界の人たちの大半には全く必要が無いんじゃないのかな。


いや、私の絵を喜んでくれた人たちがいるのも事実だしな、幸せそうだったしな、それはそれで必要なのかなぁ。


必要じゃないって言ったら今までの人生を丸ごと否定することになっちゃうしなぁ。でも。実際にはアートやデザインにお金をかけるよりもまずは安全な水や食べ物、医療や教育を必要ちしている人たちが圧倒的に多いらしくて、そんないわゆる『ケイザイテキニ メグマレナイ ヒト』(←まだ出会ったことが無かったから、頭の中ではこんな表記になるくらい想像がつかなかった)たちのところに私が作ったモノを持って行ったら、『そんなのいらん、食べものをくれ!』って言うかなぁ。そんな人たちに私は、何を作れば喜んでもらえるのかな』


そんな、答えの出ない思考の沼の中でぐるぐる回るだけ。


だけど3日くらいぐるぐる考えて、ついに気が付いたんです。


どれだけ考えても答えが出る訳ない、だって自分は本っっっ当に飢えたことが無かったんだから。


『もう分からん!だって経験したこと無いんだもん!!』


開き直ってしまえばそこからは速い。


『分からないなら経験すれば良いんだ、よし、日本を出よう!』


その1か月半後にインドに行くことになるとは、まだ予想だにしていませんでした。









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