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13/9/2

第2回 日本の会社を辞めて中国上海で働くまでの経緯。

Image by Olia Gozha

2011年2月。

上海で働く。これを実現するために、今出来ることは。。

資金確保のためにも家いらないな。

バカだけど、真剣にそう思った。

すぐに実行した。


大学時代の仲間に連絡。

「上海マジで行くから、3ヶ月ぐらい一緒に住んでもよいっすか?」

仲間は、快諾してくれた。

結果、6畳部屋に男2人という奇妙な生活が始まった。

僕はもちろんゲイではない。もちろん相手も。

それでも大学時代に一緒にインド旅行をともにした仲間は、僕の理解者であり、いつも応援してくれる、そして高め合う大切な仲間。

今回も彼は「カメさんがそういうなら良いよ」と即決してくれた。

本当に感謝の気持ちだった。

6畳の部屋に男二人。

川の字に布団敷いて、間には無印のクリアケースで作った“壁”

プライベートも何もない。

そのへんの夫婦よりも信頼関係あって、阿吽の呼吸ってものがなりたっていた。


いざ引越しをするとなると非常に大変だった。

しかも引越しだけでも大変なのに、荷物を処分までしなければいけなかった。

半年前に買ったテレビ、大好きなマウンテンバイク、実家から運んできた原付バイク、

コレクションしていたフィギュア、お気に入りのテーブルとソファー。。。

全部人にあげたり処分したり。

引越しを手伝ってくれた人にも感謝しきれないほどの思いだった。

東京で家がなくなった。

なんかすっきりした気分。

それと同時に覚悟はさらに強くなっていった。



2011年あっという間に3月。

宣言してから4ヵ月が経っていた。


当時働いていた会社の体制変更があった。

大阪事務所が開設されることになったのだ。

会社に迷惑をかけないためにも、このタイミングで中国を行くことを相談する。


僕は言った。

「会社辞めようと思ってます。中国で働きます。」

上司の反応は、

「??」

こんな感じだった。

上司「それって決定なの?」

上司「そもそも中国語話せるのか」

僕「なんとかします。」

上司「働く場所は?」

僕「なんとかします。」


そう、その時点で出来ている事といえば中国で働く覚悟をするということだけ。

その他に出来ている事といえば自分の退路を断つという事だけ。

そして今会社に言うことで完全に退路を断つということは完了した。


その後、福島出張中に被災した。地震が起こった。

不謹慎かもしれないけど、生きる方と死ぬほうに仕分けられたような気持ちになった。

1週間ほど帰れず、その間情報収集はテレビ。

と言っても正確には、もう東京に家さえない。帰る場所なんてそもそもなかった。


今でも地震関連のテレビを見ると自然と涙が出てくる。

本当に人生は1回。好きに生きよう。

そう改めて覚悟をして、ゴールデンウィークに合わせて4月下旬からの航空券を予約した。

そして上海にある日系の人材会社にも電話してみた。

人材会社の人には、

「日本の応募だと結局中国まで来てくれない人多いんですよね」

と言われる。


僕は答える。

「もう航空券予約しました。

この期間できる限り僕の語学レベルで受けれる面接を入れてください。お願いします。」

普通は次の内定取ってから、会社にも言うのかもしれない。

仲間にも言うのかもしれない。

引越しもするのかもしれない。

順番が逆になったけど、当時の自分を行動させるには、このぐらい追い込んで退路を断たなければいけなかった。

そのことを自分自身が一番わかっていた。

4月下旬、上海に向かった。もう後はなかった。


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