●病院に着いて3時間後にはベッドの上
うとうとしたかと思うと、もう朝だった。普段出勤するより早い時刻に、入院生活に必要なものを詰めたバッグを持って飯田橋にある厚生年金病院に向かう。阿佐ヶ谷駅から総武線に乗るところまでは一緒だが、降りるのはいつもの水道橋駅でなく、飯田橋駅。病院には、私の受け付け時刻に間に合うように、叔母がわざわざ三島から荷物を持って駆けつけてくれた。その中身は、タオルなど当座の入院生活に必要なものと、そして叔父が書いてくれた、ここの眼科で一番腕が良いと言う佐藤先生宛への紹介状。普段、私は年賀状すらきちんと送っていないのに……。親戚というのは、ありがたいものである。普段、両親が親戚付き合いを大切にしてくれている、そのお陰というのもあるだろう。その紹介状が効いたのか、3人の医師がいる中で、私の担当は佐藤先生になった。
しばらく待った後、9時半頃初診の受付。叔母が来てくれたこともあり、私は言われた通りに動くだけで、物事はテキパキと進む。外来用の診察室で佐藤先生にもお目にかかった。物静かな方で、叔父と佐山医師からの手紙に目を通した後、診察してくれた。僕の目の中をのぞき込みながら、カルテに眼球の絵を描いていく。
「診察してみたら、実は大したことなくて、手術をしなくても治る」というような診断が出るかもしれない、と一縷の希望を持っていたが、「これは手術が必須です」とのこと。診察は数分で終わり、3時間後には入院、ベッドの上だった。
●入院生活のオリエンテーションを受ける
この厚生年金病院は眼科だけで6階一フロア全部使っている。後で聞いたところによると、眼科では日本でも指折りの病院とのこと。
診察の後は6階の病棟に移動し、入院の手続き。「オリエンテーションを担当させて頂きます」と、ファイルと持って出てきたのは、勝山さんという20歳そこそことおぼしき若い看護婦さん。ふくよかな色白美人だ。トイレやお風呂といった院内設備の使い方や、1日のスケジュールなど入院生活に必要な知識を、院内を回りながら、つきっきりで説明してくれた。
「起床は6時です」
「それは早いですねえ!」
「でも消灯も9時なんで早いんですよ」
「そんな早い時刻には寝たことがないですよ。9時と言えば、まだ会社で仕事をしている時間帯ですから」
9時に消灯した後も、眠れなくて手持ちぶさたになってしまうんじゃないかと、ちょっと心配になる。もっとも退院した後振り返ってみると、これは完全に杞憂だった。
●目が見えない患者のための配慮が随所に
中央にナースステーション、トイレ、風呂などがあり、その回りに廊下、さらにその外側に病室が並ぶというのが、基本的な作りだ。廊下は1周87メートルだという。これを毎日歩くことを日課にしている人もいるそうだ。風呂は1つしかないので、月・水・金が男性の入浴日、火・木・土が女性の入浴日。入浴時間は12:30〜16:00。ただし、これ以外の時間でも、誰も入っていなかったら、曜日にも関係なく、自由に風呂を使うことができるそうだ。だから、「運が良ければ毎日でも風呂に入ることはできますよ」とのこと。
全体的に、あまり病院臭くないのが良い。それでいて、目の見えない患者に対する配慮が行き届いていることが感じられる。例えば、廊下の中央に貼ってある赤いビニールテープ。これは目の悪い人が廊下を歩くときの目印だそうだ。もちろん、院内に段差はまったくないので、足下が見えなくてつまずくこともない。
トイレは、小便用も大便用も、用を足した後は自動的に水が流れて洗浄するし、蛇口もセンサーがあって自動的に水が出てくる。洗った後は温風で殺菌乾燥。普段の生活ではこんな設備は見たことがない。まるで近未来の世界に来たみたいに感じる。
●入院患者のために様々な音源が用意されている
眼科の入院病棟らしいのは、長期入院患者用に、カセットライブラリがあること。やはり目が使えないということで、多くの人がウオークマンやラジカセを持ち込んで時間つぶしをするらしい。そういうわけで、病院側も、このようにロッカーを1本、丸々貸し出し用カセットのために備えておいてくれているのだろう。ジャンルはクラシック、ポピュラー、浪曲から落語、カセットブックまで幅広い。カセットブックは単に本を朗読しただけのものから、ドラマ仕立てになっているものまであった。後者は入院中に、片端から虱潰しに楽しく聞かせてもらった。
カセットライブラリの横には、「古い電池入れ」と書かれた箱がある。カセットテーププレーヤーへの依存度が高いので、電池も相当消費するのだろう。
ちなみに、ベッドにはイヤフォンジャックがあって、そこにイヤフォンを差し込むとラジオが聴けるようになっているのには感心した。もちろん、イヤフォンもナースステーションで貸してもらえる。
外部との連絡手段は、緑色の公衆電話。ホテルではないので、外から電話をもらって取り次いでもらう、というのは難しそう。ただ、ここの公衆電話はプッシュ式なので、自宅の留守番電話に入ったメッセージを、外から聞いたり、メッセージを消したり保存したり、という操作ができる。不便ではあるが困ることはないだろう。
●4日後に手術をすることが決定
さて私の部屋だが、大部屋には空きベッドがなかったので、とりあえず613号室という2人部屋に入る。これが差額ベッドというもので、差額料金は1日8000円也。と言っても、この部屋に入院しているのは私1人なので、個室状態である。
すぐに手術をするのかと思っていたら、そうではないそうだ。手術をする曜日と言うのがある程度決まっているらしく、4日後にあたる来週の火曜日11日と言うことになった。交通事故で骨折したなどと言うのとは違い、それほど緊急性を要さないからなのだろう。また手術前に、改めて目の状態を診察したりする必要があるらしい。
午後、大阪から母がやって来た。しばらく、東京に滞在して「面倒をみてあげる」と言う。しかし、ここは24時間完全看護の病院。入院着まで病院が支給してくれるので、1人で入院していても何の不自由もないのだけれど。
●上司2人が見舞いに来てくれた
夜には、仕事帰りの綿貫さんと竹形部長が見舞いに来てくれた。2人とも忙しいのに「仕事のことは心配しなくて良いから」と言ってくれる心遣いが嬉しい。私が担当していた仕事は、エディタースクールからインターンに来ている森美紀子さんが引き継ぐという。「プロ野球ニュース」のキャスターをしている中井美穂さんに似た容姿の彼女は、20歳を少し越えたばかり。若いのに仕事に関するセンスがよい。私とも気が合ってちょくちょくお昼ご飯も一緒に出る仲だった。仕事のできない私が言うのも変だが、彼女が担当してくれるなら安心だ。
面会時間は8時までなのだが、2人とも看護婦さんが消灯に回ってくる9時まで部屋にいてくれた。1人になると、急に病室が静かになる。「夜9時になんか眠れるかなあ」と思ったが、昨日は2時間ほどしか寝ていないし、その前、連休のツーリングの疲れもあってか、すぐに眠りについた。


