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第2話:目がよく見えない状態で入院準備【入院前夜】

Image by Olia Gozha

●会社に戻って仕事の引き継ぎ書類を作成

 「入院」「1ヶ月は仕事に戻れない」などと言う言葉の意味を、咀嚼しようとしている私に向かって、佐山医師はてきぱきと指示を出し始めた。今日は時刻も遅いことだし、長期間に渡る入院の準備もあるだろうから、病院に行くのは明日でよい。ただし必ず明日、しかも朝一番で病院に行くこと。病院は飯田橋の厚生年金病院に行くこと。ここの眼科のレベルは高いから。病院に行ったら、私がこれから用意する封筒を先方の医師に出すこと。そこにはここでの検査の結果が書いてある。今晩は、横になって寝ないこと。網膜の剥離は視神経の直前まで及んでいて、これ以上剥がれると、目がまったく見えなくなってしまうかもしれないこと。背中を壁か何かにもたせかけ、なるべく直立した状態で一晩過ごすこと。などなどなど。


 診療所を出る頃には、すっかり陽は落ちて暗くなっていた。


 会社に戻って、まずは『パルテンツァ』編集部の同僚であり上司にあたる綿貫さんに事情の説明をする。


 綿貫さんは「中安君が体の不調を訴えるなんて珍しいから、悪い予感がしていたのよねえ」と言いながら、「後のことは何も心配しないで。病気を治すことに専念してね」と言ってくれた。幸い、担当していた仕事は、いずれもキリの良い状態になっていた。これが1ヶ月前、単行本の校了前だったら、手術室の入り口で校正紙を持った同僚が待ち受けていたに違いない。不幸中の幸いとはこういうことを言うのだろう。


 そうは言っても、『パルテンツァ』で私が担当している企画は、小さいものまで入れると10本近くあり、その引き継ぎをするには、それぞれの進行状況をすべて書き出す必要がある。佐山医師は「今日は目を使わないように。ワープロの画面を見るなんてもってのほか」と言っていたが、そういうわけにもいかない。同僚たちも気遣ってくれたが、こればかりは他の人に代わってもらうことはできない。


●自分の企画を他人に引き継ぐのは辛い

 編集の仕事は、車などの物作りと違って、作る人間の個性が色濃く反映される。例え同じ企画書をもとに記事を作っても、担当者が違うと、全然と言ってよいほど違うものになってしまうのだ。それだけに、引き継ぎの文書を書くのは難しい。やるべき仕事をリストアップするだけなら極端に簡単になってしまうし、そのテーマに対する自分の考え方や予備知識まで書き出すと非常に長くなってしまう。


 また、自分の担当しているページは自分の子供のようなもので、例え信頼している人ではあっても、他人に任せるのは身を切られるような思いがする。ちょうど、取材が始まったばかりだった『パルテンツァ』の巻頭特集は、自分が出した企画書が採用されたもので、思い入れが強い。企業が導入を始めていた「リフレッシュ休暇」などの新しい休暇システムを取り上げたもので、仮タイトルは「私の人生を変えた有給休暇」。休暇を使って、途上国でのボランティア活動に従事をしたり、短期集中のスクールに通って資格を取得したりなど、ユニークな休暇の過ごし方をした働く女性に登場してもらうという構成だ。


 既に取材が済んでいるものもあり、その中から特集扉に使う写真も決めていた。それは「海星」という帆船と、その訓練航海の参加者の写真だ。海星は日本セイルトレーニング協会という団体が、一般人向けに行っている訓練航海に使われている帆船。ある会社の女性社員が、有給休暇を使って、海星の一週間程度のクルーズに参加して、仕事観・人生観が変わるくらいのとても貴重な経験だったという話を語ってくれた。彼女の経験談が面白かったのと、写真が映えるので扉にしたのである。私自身も、海星の半日体験クルーズに参加して帆の上げ下ろしなどを体験させてもらった。


 それ以外にも、素敵な休暇の過ごし方をした女性の実例がいくつも取材候補に挙がっており、いい記事になりそうな手応えは十分。それを途中で他人に任せてしまわなければならないのは、非常に辛かった。


●同僚への申し訳ない気持ち

 そんなことを考えていると、どんどん時間は経ってしまう。しかし、今回ばかりは「今日できなかったら明日に回す」というわけにはいかないのだ。何がなんでも引き継ぎ書類を今晩中に用意しなければいけない。始末のわるいことに、剥がれた網膜と、病院でさされた瞳孔を開く目薬がきいているのか、文字がかすんでよく見えない。書類一つをまとめるにも、普段以上に時間がかかってしまう。結局、8時頃には同僚がすべて退社した後も、一人オフィスに残り、終電の時刻までかかって書類を作成・整理することになってしまった。

 それにしても、明日から編集部はどうなってしまうのだろう。私がいた編集部は5人態勢で回していたのだが、リストラの影響もあって、3人に減員されている。デスクである綿貫さんと私、それから異動してきて間がない古田さんという女の子の3人だ。つまり私の不在の影響は、実質的には、すべて綿貫さんがかぶることになる。綿貫さんとて、現状でもオーバーワークだと言うのに、どうやって2人分の仕事をこなしていくのだろう。


 仕事ができなくて足を引っ張っていただけのような私だが、さらに迷惑をかけることになり、申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、会社を後にした。


●入院することを友人たちに連絡

 引き継ぎも大事だが、それと同時にしないといけないのが、知人たちへの連絡である。会社近くの公衆電話から何本か電話をかけることにした。電話をかけながら、「失明したら、このボタンを押すのも、今のように簡単にはいかないな」などと考えるが、いまだに実感はない。


 まず、大学時代の友人である中山君へ連絡。奥三河へのツーリングに一緒に行ったのが彼で、京都から近々遊びに来ることになっていたのだ。数日前まで一緒に元気よくキャンプツーリングをしていた人間が「入院する」というものだから、当然、驚いていた。


 次に私が世話役をしているクラシック音楽サークルのメンバーの片野さん。私はクラシック音楽が好きで、大学時代から同好の士とサークルを作って活動していた。片野さんは、前の職場の同僚で、私より少し年上の落ち着いた男性だ。ひょんなことから、彼もクラシック音楽が好きだと知って、サークルに誘ったのである。


 元々、この音楽サークルは大阪のみで活動していた。しかし東京で就職した私は、周囲にクラシック音楽好きを見つけるとサークルに勧誘。東京支部のようなものが出来上がっていた。さらに会員を増やそうと、会員の募集広告をクラシック音楽雑誌である『音楽の友』に出したばかり。連絡先として掲載した私のところには、頻繁に電話や手紙で問い合わせが来ている。私の入院中に代役をお願いするとしたら、東京支部の中ではいちばん活動歴が長い片野さんが妥当だろう。電話をしてしばらく入院することを伝え、代役をお願いした。物静かな人で、落ち着いた応対ではあったが、驚いている様子が感じられた。


 あまり騒ぎを大きくしたくないので、友人関係への連絡は、この2人だけに限ったが、ここから他の人にも情報が伝わってしまうことだろう。


●離れて住む両親に連絡するべきか、否か

 迷ったのが、大阪に住む両親だ。入院することを知らせたら、もちろん心配するに違いない。それだけならともかく、専業主婦である母親が「東京まで看病に行く」などと言い出されては、かえってこちらの負担が増してしまう。かと言って、1ヶ月も家を空けるのに、まったく連絡しないと、捜索願いが出されてしまうかもしれない。結局、失明云々の話には触れず、「目の検査のために、しばらく入院することになったから」と連絡をした。


 ところが、親の直感というのは、馬鹿にできないもので、母親は「何かおかしい」と感じたらしい。母から、静岡の三島で眼科を開業している叔父のところに電話が行き、結局、私の病名が網膜剥離らしいこと、その病気の危険性も、家族の知るところとなってしまった。下宿に戻ると、母からのメッセージが留守番電話に入っていた。仕方あるまい。


 下宿に帰ったら帰ったで、長期間の不在に備えて片付けや、入院の準備がある。結局、一段落したのは午前4時頃だった。眠りにつくと言っても、医者の話によると、横になるわけにはいかない。どうすればいいか迷ったが、壁に背中をもたせかけて床に座り、体が倒れることのないよう、左右に段ボール箱を置いて服を着たまま、眠りについた。


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