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●どうやら自分は大変な病気にかかっているらしい「思った通りだ。これはひどいなあ」 真っ暗な診療室の中で、ライトを当てながら僕の目をのぞき込んでいた佐山という中年の医師が、こう言って大きくため息をついた。ここは東京都内・千代田区水道橋にある小さな眼科。ちょうどゴールデンウィーク明けの初日で、町中はまだ連休ムードが残っている夕方だった。専大通りを通る車の音が遠くに聞こえる。「キミは網膜剥離って聞いたこと、あるか」 モウマクハクリ? 漢字はおぼろげに思い浮かぶ。画数が多くてとても書けないが。「いえ、ありません」「これがキミの目のかかっている病気だ。文字通り、網膜が剥がれる病気で、放って置いたら100%失明する」「はあ」 いきなり「失明」とか言われても実感がわかない。ボーっとしている私の顔を見て、ショックを受けているものと思ったのか、医師は少し表情を和らげて言葉を続けた。「とは言え、手術をしたら、ほぼ確実に治るから心配はせんでもよろしい。ただし、キミの病状はかなり進行しているから、早急に手術が必要だ。キミ、これからすぐに病院に行けるか」 手術とか、病院とか言う言葉が、自分のことを語られているとは思えない、何か別世界のことのように響く。元々、健康にだけは自信を持っていた。例えば1〜2日、徹夜で仕事をしても、周りの同僚がそれと気がつかないくらい元気だったりするのである。「今日は仕事を途中で抜け出して来たので、ちょっと……。でも明日の午前中なら何とかなると思います。午後には仕事に戻れますか」 頭の中でスケジュール表を思い起こしながら、こう答える。仕事は少し落ち着いている状態なので、半日くらいなら席を空けても大丈夫だろう。「キミは自分の状況が分かっているのか」 ここで佐山医師の語気が少し荒くなった。「手術するんだぞ。その後はしばらく入院だ。そうだなあ、術後1ヶ月は仕事はできないだろうなあ。午後から仕事に戻るなんて論外だ」 私の目を正面から直視して話す医師の視線を受け止めながら、私はじわじわと事態の深刻さに気がつき始めていた。 ●網膜剥離の前兆はゼロ 私はコロンブス社という編集プロダクションで働く編集者である。職業柄、1ヶ月、2ヶ月休みを取らずに働くことは珍しくなくても、1週間以上職場を離れると言うのは、考えられない。ところが1ヶ月も仕事ができないと言う。「かなり前、そうだなあ1ヶ月くらい前から、目が見えにくくなったり、痛みを感じたりしていただろう。なんでその時、すぐに病院に来なかった?」 と苛立ったような口調で医師が聞く。そう言われても、困ってしまう。1ヶ月前と言うと、担当していた単行本の締め切り直前で、曜日の感覚を失うくらい、不眠不休で仕事をしていた頃だ。 年末から進行していた単行本を校了したのは4月10日のこと。しかしその仕事のために、本来自分の所属である『パルテンツァ』という週刊誌の仕事が遅れ気味になっていたので、一息つく間もなくそちらの仕事に没入。そういうわけで年が明けてからゴールデンウィークまでは、ほとんど休みがなかった。医師の説明によると、4月頃、目の前を蚊が飛ぶようなチラチラした感じがあったり、痛みがあったりしても不思議ではないはず、とのこと。そんなものがあっても、多分、気がつかなかっただろう。 目の異常に気がついたのは、数カ月ぶりの休みとなったゴールデンウィークの後半。5月1日から友人2人と、奥三河へ林道キャンプツーリングに出かけたときのことだ。今年は気候に恵まれず、連日雨の中でのツーリングだった。その3日目のこと。ゴーグルについた水滴を払っても払っても曇りが取れず、前がかすんで見えない。私の使っていたゴーグルはかなり古く、「今度のツーリングが終わったら、買い換えないとアカンなあ」などと考えながら走っていた。 あまりにも前が見えないので、途中からはゴーグルを外して走ることにしたが、視界は開けない。ここで「変だな」と感じても良かったのだろうが、脳天気な私のこと、「雨が激しいからだろう」程度にしか考えていなかった。思えば、その時、網膜は既にはがれていたのだろう。 しかし、そんな私が、いよいよ「これは?」と思ったのは、ツーリング最終日のことである。この日はようやく晴れ、快適なツーリング日和だった。にも関わらず、視界がかすんでいるのだ。より細かく言うと、視界の上半分が、度の合わない眼鏡をかけているかのように、焦点が合わないのである。 これは不便そして危険この上ない。ご存じの通り、道路標識は道の上に出ている。これがまったく読めないのだ。どうやら目がおかしいのは、上半分だけらしいと気がついてからは、首をのけぞらせるようにして、道路標識を読みとるようにしていた。諏訪から東京まで戻る中央高速を、この格好で走るのは非常に辛かった。 ●上司の付き合いのつもりで目医者に行ったら それでも「単に疲れ目だろう。一晩ぐっすり眠れば、明日の朝にはすべてが元通りになっている」と信じて疑いもしなかった。ところが、たっぷり眠って仕事に出たはずなのに、やはり視界はかすんだまま。文字を見るのが辛い。ちょうど、校正紙が出ていたので、もっぱらそれのチェックをしていたのだが、読んでいるうちに気分が悪くなってしまう始末。 私が「なんか今日は目が疲れて……」と話をしていると、同じ『パルテンツァ』編集部のデスクである綿貫さんが、「私も、目にできものができているので、目医者に行きたいのよ」 と言う。綿貫さんは年齢は私より少し上なだけだが、仕事に関しては、私より格段にできる姉御肌の女性編集者だ。平の編集部員である私にとっては上司にあたる。2人で総務の諏訪さんに相談をすると、彼女はテキパキと調べて、すぐに近くの目医者を紹介してくれた。 今から考えると綿貫さんの目にできものができてしまったのは、私にとっては幸いなことだった。その時点でも私は、「単なる疲れ目だから、放っておいたら治る」 と主張し、病院に行くのをためらっていたのだから。諏訪さんの「それでも念のために見てもらっておいたほうがいいわよ。何もないと分かったら安心でしょ」という強引な勧めと、綿貫さんの「私の付き添いとして、一緒に行って」という頼みがなかったら、この後もしばらくは目医者に行こうなどとは思わなかったに違いない。 紹介された目医者は会社から徒歩5分くらいのところで、数人の医者が交代で勤務している小さな診療所だ。私と綿貫さんが行った時には、診療時間も終わりに近く、他に患者は誰もいなかった。 まずは本物の病人である綿貫さんの診察。次いで私の診察となった。ところが、綿貫さんは、薬を処方されすぐに帰ることが許されたのに、私はしばらく残って欲しいと言われてしまった。さらに不気味なことに看護婦さんが出てきて「今日はこれから、どうしても仕事に戻らなくてはなりませんか」と聞かれる。目薬を差して、もう一度、目の検査をするのだと言う。この目薬は特殊なもので、しばらくは瞳孔が開いたままになるので、文字を読むなど細かい仕事はできなくなるとのこと。 私がためらっていると、どうしてもやむを得ない事情がない限り、今日、検査を受けて欲しいと言う。その口調は真剣で「いやです」とは言えない雰囲気だ。仕方なく、戻りが遅くなることを、先に帰る綿貫さんに告げ、私一人、診療所に居残った。そして15分ほどだっただろうか、瞳孔が開くのを待って行われた検査で、冒頭に書いたように「網膜剥離」との宣告を受けたのである。
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