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人生の醍醐味 285 反共

Image by Olia Gozha

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1929年、株の大暴落による恐慌で、アメリカで1,300万人もの大量失業者を排出してしまった。


無料で配られる食べ物を貰うために、 各州で長い行列が出来る始末だった。


ヨーロッパなどでは、極右翼の国家主義である上、全体主義の政治形態であるファシズムが台頭していた。


米国では飛行機乗りとして世界に名を轟かせた

チャールズ リンドバーグ(Charles Lindbergh)

は、真珠湾攻撃の約三ヶ月前である、1941年9月に「多くの資本家、イギリス贔屓の人々、知識階級は好戦的傾向が顕著であり、国内外の共産主義者達も、反アメリカ主義を意識的に煽っている。」と、演説をぶった。  


アイゼンハワー(Eisenhower)大統領は、票数を減らしたくなかったばかりに、ジョー マカーシー上院議員(Joe McCarthy)に譲歩する形で、民衆を扇動する傾向が強く、病的に疑い深いマカーシーの

口車に、まんまと引っ掛かってしまった。


ウイスコンシン州選出のマカーシー上院議員は1950年の初期に、「国務省職員の中で、誰が共産主義者であるかのリストを作成していた」と嘯いた。


共和党員の多くが、彼の理不尽な意見を鵜呑みしてしまったのだ。


マッカーシー氏は、真実と嘘をごちゃ混ぜにしたような不埒な選挙運動を展開した。 本音は投票数をできるだけ多く手に入れるため、汚い手段も厭わなかったのだ。


第二次世界大戦後、 米国内ではマッカーシー旋風が横行した。 


過去に反カトリック主義、反移民主義が蔓延した経緯もあったが、それにかわり、米国民の扇動手段として、「共産主義憎し。」と言った、極右翼に偏った運動に置き換えられてしまった。


1951年、上院議員会館でのマッカーシー上院議員の演説は、「共産主義打倒すべし」に、ますます火を注ぐ形になった。


それが、米国内の大きなうねりに進展、中西部の企業家達や低所得者層と新移民達が、マッカーシーの扇動に惹きつけられてしまった。


まるで、マッカーシー上院議員が一人芝居を演じているように、現代風セイラムの魔女狩り的運動である、赤狩りに進展したのだ。


特に、ヨーロッパ救済のため始めた「マーシャル計画」の、発起人であるマーシャル(George C. Marshall)に対して、ありもしない事実無根の非難をマカーシーは浴びせかけた。 


「ソビエト連邦共和国の罠にかかり、米国が弱体化してしまう。」と、脅し続けた。


国民の恐怖心を煽り、嘘八百をまるで事実のように声高に叫び立てたのだ。


アイゼンハワイ大統領も、ミルワーキー州での演説で、「共産主義に強烈に反対である。」と、大声を上げた。 これも、票獲得を狙った演説だったのだ。


よりにも寄って、マッカーシー上院議員は、「共産主義が米国政府内に浸透してしまった。」と雄叫びを上げ、共産主義者を探し出す調査を開始した。



陰でソ連が手を引く輩が、「米国内のあらゆる分野に潜んでいる。」との考えで、行動に打ってでたのだ。


1950年から1951年にかけて、米国内の共産主義の会員数は、現実には43,000人から32,000人に減少した。


反共産主義運動では、大袈裟に、「すべての米国市民の、家庭内にあるベッドの下に、共産主義者が隠れている。」と、市民を脅し続けた。


疑いの輪は広がり、国務省、ボーイス オブ アメリカ(米国政府の海外向け放送局) まで疑われた。 


その上、その他多くの機関が、「共産主義の温床に成り下がってしまった。」と、濡れ衣を着せた。 


その結果、多くの人々が自殺に追いやられ、無実の罪で投獄された人も多かった。


やっとマッカーシーの赤狩り旋風はおさまった。

けれども、 米国の政党は、マッカーサシーの主な考え方を継承してしまった。   


共和党のニクソン大統領は、共産主義に対する恐怖を、 上手く自分と党の得票率増加のために利用した。


若年の48歳で1957年に、マッカーシー上院議員は暴飲が原因で亡くなった。


けれども、共産主義を忌み嫌う現象が、アメリカから消えた訳ではなく、 形を変えて根強くアメリカに根付いてしまっているのが現状だ。


参考文献 「American Psychosis 」

      David  Corn 著

      2022年出版

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