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第二回目のホスピス施設訪問でも、学ぶ事が多かった。 本を読んだり、ユーチューブで講演を聴く以上に、現場に飛び込む事で勉強になることが多い。 「行動を起こせ。」と言う天からの忠告のようだ。
87歳の患者Xさんは先週と比べ、 話す声が小さく聞き取りにくかった。 「全体的に先週より元気がないなあ。」と、心の中で感じたが口には出さなかった。
御主人のYさんは先週と同様、息抜きをも兼ねて、ちょっと外出するようだ。
家族の介護者は、ストレスが溜まってしまいかねない。 私は、ほんの数時間の息抜き時間を提供しているようだ。
「昨夜、妻は良く寝れなかったので、昼寝をするだろう。」と、言い部屋を出た。
便利な携帯電話で、子守歌を小さな音量でかけて、私も静かにしていた。 数分Xさんは目を閉じていた。 「お昼寝か」と、みていると、数分後Xさんが割と小さな声で話し出した。
子守歌の曲を止め、私はXさんの顔を見ながら、話に耳を傾けた。
今回も、Xさんは主に父親の話が多かった。 もし今も生きていたら、110歳になる、お父様。名前は喜三郎さんだそうだ。
韓国併合が行われた2年後の1912年頃、Xさんの父親は生まれたようだ。 1912年の7月30日に明治天皇崩御、大正元年、山口県で産声を上げた。
「尺八を良く吹いていた。」と、Xさんは続けた。
これは新しい情報だった。 急いで、尺八の音楽をユーチューブで見つけ、音量を上げてみた。
尺八奏者は寄田真見方、「鶴の巣ごもり」をしばらく二人で聴いた。
「心をなだめ、うっとりするような気分になれる。」と、しばらくして聴いてから、Xさんは私に言った。
「父は三味線も弾いていました。」と、Xさん。もちろん、Xさんの会話は全て英語だったが、 昔取った杵柄が役に立ちにけり。
今度は、ユーチューブで三味線の音楽を探し出した。 三味線と歌唱、藤本華の将「黒田武士」をしばらく一緒に聴いた。
患者さんは、とても音楽好きであることがわかった。 父親っ子であっただけあって、英語が完璧でありながら、日本の楽器、日本の音楽に強く惹かれるようであった。
琴と尺八の演奏をユーチューブで見つけた。 私も日本時代、お正月に良く聞いた曲だった。
宮城道雄作曲の「春の海」が部屋中に広がった。
Xさんのお父さんは、竹で尺八を自分でも作っていたそうだ。 自宅でいつでも、仕事の合間に、尺八を吹いていた。
その側で育ったXさんの身体の隅々まで、日本の音楽が染み込んでいるようであった。
先週のXさんは、「盆踊りの時、櫓の上で、 民謡も歌っていた。」と、父親の話をしたのを思い出して、「炭坑節」と、「東京音頭」を、ユーチューブで探し出して、音量を調整した。
合いの手を口ずさみ、Xさんの顔が笑顔になり始めた。 子供の頃、偶然お寺の近くに住んでいたので、「欠かさず近所の盆踊りに参加したのよ。」と、Xさん。
午後4時近く、御主人のY さんが帰って来た。 ちょうど、「東京音頭」を、聴いている時だった。
「子供の頃、 良く盆踊りでこの曲も聞いたよ。」と、英語でYさんもニコニコ。
いつの間にか、患者さんの声も、先週並みの大きさに戻っていた。
小さなホスピス施設の施設長さんは、「ホスピス」と、「緩和ケアー」両方の免許保持者であることが分かった。 廊下に両方の免許証が掲げてあったのだ。
その施設の患者さん達の中には、緩和ケアで入所している人もいる事が分かった。


