280
小さなホスピス施設で、週一度だけバランティアーをする事にした。
3週間前に施設長との面接があった。 私に関する個人調査が終わり、今日が初めてのバランティアーの日だった。
午後1時から5時までが、私に与えられた時間帯だ。 ホノルルの市バスを利用して、割と遠くまでゆき、バスを降りてから10分弱で少し大きめの普通の家に到着した。
バスの回数が少ないので、大事をとって早めに出発したので、予定より早く到着した。
施設長さんや、数人の職員さんは昼食中であった。 入院中の患者さんも、昼食を済ませたばかりだった。
丘の上にある、その家の海側の戸が、すっかり開けられていて風通しが良かった。 冷房に弱いわたしには、丁度良い環境であった。
その日は、87歳のXさんの話し相手をするよう指示を受けた。 85歳の旦那さんYが同室にいたが、 「処方箋を薬局に取りに行ったり、自宅に戻り郵便物を調べる。」との事で、わたしが入室するとまもなく、出掛けて行った。
どうも、そのYさんの留守中の話し相手が、今日の私の仕事らしい。
Xさんの母親は、日系二世アメリカ人で、日本語も英語も完璧であったそうだ。 実際、公立学校で教師の経験もあったようだ。
Xさんの父親は山口県出身で、 日本語が完璧で、英語はほとんど出来なかったそうだ。
そのご夫婦には、子供さんが7人いて、今日わたしがお会いした患者さんのXさんは、下から2番目であったが、ことのほか父親に可愛がられたそうだ。
自宅には、刀を持った着物姿の若い頃の父親の写真が飾ってあるとの事。
そのご夫婦の子供たちは米国育ちで、日本生まれで日本育ちの父親と、価値観や文化が違ったため、子供達との関係があまり上手く行かなかったそうだ。
Xさんだけは、不思議と父親に気に入られ、他の子供達より一際可愛がられたそうだ。
Xさんの両親が年老いた時、初めは、Xさんより20歳も年上の長女の家族が引き取ったが、人間関係がうまく行かず、 最終的にXさんとご主人の公認会計士であるYさんが、世話をする事になった。
Xさんが看護師として働き、彼女の旦那さんが公認会計士であったので、 親戚中で経済的に一番余裕があったのも事実だ。
現に、X さんとYさんの一人息子は、ホノルルで有名な進学校であるフナホ高校に入学した。 学費が高いことでも有名な学校だ。
その息子さんZは、内科医として、今オレゴン州で活躍中だそうだ。
3時間近くお喋りをし続けたが、話した事を直ぐ忘れるようで、何度も同じ話を繰り返した。
私の事も質問したが、わたしが答えても、直ぐ忘れてしまうので、数分ごとに、同じ質問を繰り返す傾向があった。
でも、我が夫がホスピス施設の世話になった頃は、会話能力はゼロであったので、 それと比較すると、Xさんの頭は冴えていて、英語力も抜群であった。 時々、日本語の語彙まで飛び出したくらいだ。
折角7人もの子宝に恵まれたXさんの父親であったが、 子供たちはアメリカ生まれであったため、また歴史的時期の関係もあり、子供達との意思の疎通も思うようにいかなかったようだ。
ふと思い立って、 携帯電話を利用して、演歌を二曲ほど披露してみた。 びっくりするほど真剣な表情で、私が歌う様子を見ていた。目には涙。
父親も、たまには演歌でも歌ったのかもしれない。 ホノルルでは7月に盆踊りがあちらこちらで開かれるが、Xさんの父親は櫓の上で、炭坑節等を大声で歌ったそうだ。