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考えてみれば、歩き歴は長い。 自分が、1、2歳の頃の事は全然覚えていない。 親戚の話だと、 私は他の子供に比べ、歩くのが遅かったそうだ。 本当かどうか本人は分からないが、3歳頃まで、歩かなかったそうだ。
それを挽回するかの様に、今では歩く事が趣味にまで進展した。 世界中、行ったところで、時間が許す限り歩き回った。 私のDNAには、放浪癖が特に強く埋め込まれているのかもしれない。
最近、ふと思うのだが、 「歩きは、ある意味で、聴診器の役割を果たしているかもしれない。」と。 ホノルルの町も、暇に任せて随分歩き回った。
お医者さんは、 聴診器を患者に当てて、 健康の度合いを調べる。 私は歩き回って、 その町の様子を観察するのだ。
引っ越して来て一年と数ヶ月は、 観光気分も楽しみながら、早く土地勘を掴みたくて、 やたらと歩き回った。
COVID-19 のため、その後の一年以上、観光客のいないホノルルの街を歩き回った。 一部屋に篭りっきりの生活は、独房生活的で、私のDNAが反逆を起こす。
公園のベンチにさえ座れない時期もあったし、公園そのものが、立ち入り禁止になった時期も長い。 運動のための散歩やジョギングは許されていたので、散歩は続けた。
観光客のいない閑散としたホノルルの町。 それでも、一日のノルマである1万歩を何とか熟すため、滅多やたらに歩き続けた。
ホノルルの住民の大方の人々は怖がって、家の中で過ごす人の方が断然に多かった。
となると、運動のため散歩をする人と、ホームレスが町を徘徊しているだけだ。 私の目に映ったホームレスの人々の多さにびっくりしたぐらいだ。
華やかな衣装に着飾った観光客が、道路を埋め尽くすと、ホームレスは目立たない。 地元の人々も自宅に隠れ、観光客が来ない状況だと、私はホームレスの人々を、そこかしこでみる羽目になってしまった。
ちょっと、意識的にきちんとした服装を心がけて出かけた。 知らない人は、私もホームレスと見なす、可能性が甚大だったからだ。
1970年に、ちょっとホノルルを訪問したのが、私とホノルルの初めての出会いだった。 2019年に正式にホノルルに引っ越して来た。
何も知らず、ホノルルの胸に飛び込んだのだ。 亜熱帯地方の太陽の光の強さを、身体中で感じた。
海風吹く町を歩き回る楽しさは、お金では買えない至福の時だ。 砂浜に出ると。広大な空と海が広がっている。 心の中まですっきりしてしまう不思議な力を感じる。
でも、ホノルルとて例外ではない。町全体に多種多様な問題も抱えながら、ホノルルの住民は日々の生活を送っていると言う事実を嫌が上にも悟った。
まだまだ知らない事が多い新しい場所で、「自分を教育してゆくぞ」と心に誓った。


