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人生の醍醐味 265 ラナイ牧場

Image by Olia Gozha

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ラナイ島にあったモルモン教の集団居住地が解散した、1865年頃 ギブソン氏(Gibson) がラナイ牧場をはじめた。


ギブソン氏がラナイ島に到着する以前は、元々のハワイ人達が野放しで、山羊を飼育していた。


でも、ギブソン氏がラナイ島に住み始めて、土地を一括統合して、羊と山羊の牧場にした。 


より厚い皮が収穫できる、アンゴラ山羊を輸入、また、より優れた羊毛が取れるフランスのメリノ(merino) 羊も輸入した。 


大自然の豊富な植生のお陰で、山羊や羊の食べ物が潤沢にあり、 群数は見る見る増えていった。


1867年、羊の頭数は10,000頭で、山羊の頭数は18,000頭だった。


ギブソン氏は、牧場経営よりも、政治的野心が強くなり、他の家族の者に任せきりになり、 牧場管理を怠った結果、多くの山羊は野性化してゆく。


1902年頃に、牧場は昔の面影もなくすっかり廃れていた。 管理の粗雑さと大自然の旱魃が牧場を崩壊してしまった。


何度かその牧場は人手に渡り、再生しそうになった時期もあったが、 やはり失敗に終わった。


ニュージーランド出身の、牧場経営に精通していたムンロ氏に、最終的に白羽の矢が当った。


丁度、大英帝国のジョージ五世の戴冠式の時期と重なる頃、 たっての願いを了承、ニュージーランドから船で、ラナイ島の牧場に向かった。


1911年頃のラナイ牧場は、すっかり落ちぶれていたが、ムンロ氏が着任後、 囲い込み用のフェンスを急遽作り直し、作業場として使う小屋を幾つか建てた。 


他の島より、当時、ラナイ島の労働賃金が高かったので、 事情を説明労働者達を説得して、労働賃金も下げた。


色々それからもあったが、 1917年、ボールドイン氏(Baldwins) が600,000ドルでラナイ島を買収した。


牧場は羊から牛に変更、徐々に利益が上がり始めた。  辺りを荒らす傾向の強い山羊の数を、削減する事にも成功した。 


でも、5、6年後、ボールドイン氏は急遽牧場を手放す事にした。 ハワイのパイナップル会社が、ラナイ島を1,500,000ドルで買い取った。


サトウキビ生産者やパイナップル生産者からは、色々の理由で、牧場経営を白い目で見る傾向があった。 


なんとか牧場経営は細々と続いていたが、1950年に閉鎖に追い込まれた。


ドール氏がパイナップル会社の社長に就任、当然、彼はパイナップル生産に力を注いだからだ。

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