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人生の醍醐味 264 私有島

Image by Olia Gozha

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アメリカのコンピューター技術会社、オラクルの共同創始者でもあるラリーエリソン氏(Larry Ellison) は78歳で、ラナイ島の98パーセントを所有している。残りの2パーセントだけが国有地である。


フォーシーズンホテルのあるラナイ島は、私有島であるのだ。 今後、この島を大々的に開発して、有機農場を開く計画を練っている。


その有機農業でできた野菜、果物類を、日本に輸出する構想を練っている。


島の98パーセントを買収した時の値段は極秘らしい。 エリソン氏は、世界有数の富豪であるから、小さなラナイ島購入は簡単であったろう。


ホノルルの我がコンドの直ぐ近くにあった「ノブ」と言う、日系レストランは、コビッド19蔓延が長引いた結果、撤退してしまった。


2年近く空家であったが、最近、「陣屋」と言う、レストランがそこで開店した。


ラナイ島にきて、ホテル内にあるノブレストランを毎日利用している。


レストラン名である「ノブ」の由来は、松久信幸氏の名前の略だ。彼は1949年生まれで73歳だ。 


彼が8歳の時、交通事故で父親が死亡、兄弟3人とも母親が一人で育て上げたようだ。 


15歳の時、日本の寿司屋さんで、皿洗いの仕事から始めたが、熱心さが認められ、 寿司板前に昇進した。



偶然、ペルー出身の日系人と知り合い、その伝で彼が24歳の時、ペルーの大都市リマに移り住み、共同出資者と共に、日本レストランを始めた。



ペルーでは思うように日本料理の食材を十分手に入れられなかったが、 松久氏はペルーにある食材を上手く活かした、新しい彼独特の料理法を編み出した。


数年後、その店は閉店。1977年に米国カリフォルニア州のロスにある寿司屋で働いた。


1987年には、自分のレストランを開店、常連客の一人である、米国の映画俳優兼映画監督であるロバート デ ネロ(Robert De Nero) 氏と知り合いになり、デ ネロ氏の勧めで、ニューヨーク市でレストランを開いた。 


デ ネロ氏を含めた数人の出資者と協力して、開店に漕ぎ着いたのだ。


これがきっかけになり、松久氏は全世界にレストラン チェインを展開する事になったのだ。


太平洋のど真ん中にある、小さな島であるラナイ島にも、ノブレストランが幅を利かせていて、私は嬉しい悲鳴をあげて、毎日通っている。


参考 グーグル

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