261
エモリー博士(Dr. Kenneth P. Emory) の、古代ラナイ島のハワイ人生活形態研究によると、ラナイ島生成に関する伝統的言い伝えがいく種類かある。
歴史的口述吟誦で、タヒチ島の酋長がラナイ島を発見、彼の妻の一人に与えた。
また、他の吟誦では、有名な漁師が海底から珊瑚の一部を釣り上げた。 その珊瑚の一片にお祈りを捧げ、生贄を供えた上で、再度海に投げ入れたところ、「それが大きくなり、ラナイ島になった。」と言う、言い伝えもある。
他の島の昔のハワイ人達は、ラナイ島には霊性が宿っていて、「ラナイ島に近づく人間を食べ尽くしてしまう。」と、言い伝えていた。
その言い伝えによると、腕白で悪戯坊主の若者がいて、他のハワイ人達の食用植物等を、全て引っこ抜いてしまう悪さをしたので、ラナイ島の霊にこの若者を飲み込んで貰おうと、島流しにした。
ところが、その若者は頭脳明晰で、霊を上手く騙して、最終的に、その若者は島の霊を残らず全て殺してしまった。
その結果、1,400年頃から、人間がラナイ島で生活を営むことができるようになったとさ。
ハワイ人はラナイ島で繁栄し、300年、400年の間、島全体に生活の場を広げていった。 島の人口は約3,000人で安定した。
島の北西部に人口は偏る傾向があった。 その頃はマウイ島の酋長の管轄下におさまっていた。
1776年頃、ハワイ島の王様がマウイ島の王様に戦いを挑み、 負け戦になってしまった。
1778年、マウイ島の王様に再度痛い目に遭ったハワイ島の王様は、平和に生活をしていたラナイ島襲撃に矛先を向けた。
ラナイ島住民は屈服せざるをえなかった。 侵入者達は住民の多くを殺害、生き残ったラナイ島の住民は、島の亜熱帯雨林に逃げ込んだ。
翌年、西洋からやってきた、クック船長の船がラナイ島近辺に近づいた。 これが歴史的に西洋がラナイ島を見つけた瞬間である。
(参加文献. 「The Story of Lanai 」著者 George C. Munro )