top of page

人生の醍醐味 258 パイナップル

Image by Olia Gozha

258


ラナイ島の1番高い山は1,000メートルほどで、なだらかな丘が、人間の歴史を静かに見続けている。


1911年から1930年まで、牧場の母家に住み(現在のフオーシーズンホテル)、牧場経営の責任者であったのは、ジョージ ムンロ (George Munro)氏だった。 その方の著作に目を通している。


ハワイ諸島の中でもラナイ島が、一番最初に砂糖キビ工場が作られたと言う。  サトウキビが沢山植えられていたのだ。 長い間、砂糖はラナイ島の主な収入源であった。


ただ、ラナイ島は土壌の侵食が激しく、 農業に必要な表土が、大雨等の自然の威力や人間の愚かな表土管理等で、海にどんどん流れてしまった。


野生の羊や山羊がもともと多く、野生の木や植物を食べ、ゴム製造に必要なゴムの木も食べ尽くしたようだ。


今でも、 散歩中、野生の七面鳥を良くみかける。  5、6羽が集団で行動していて、 私の足音が聞こえると、野草の影に散らばって隠れてしまう。


牧場の囲いの中ではあるが、 多種類の毛色の山羊が私に近づいてきた。 柵の側に立つと、山羊達も立ち止まり、私を見た。餌係りと勘違いしたのかもしれない。


ラナイ島は地下水が十分ない上、小川もあまりない上、 年間雨量も限られている。 しかも、ラナイ島の歴史は、旱魃に何度も長い間苦しんだ。


ラナイ島の牧場は何度も所有主が変わったが、

ボールドウイン (Baldwin) 兄弟が経営するようになり、牧畜業に収益をもたらし始めた。


ドール パイナップル会社が全島を買いしめた後の1950代頃まで、牧場も継続的に維持されていたが、耕作可能な農地を全て、パイナップルを植える事に方針が変更され、牧畜業は消滅した。 


 今では、ホテル客の娯楽のため、乗馬の機会を提供している程度だ。


経済効率的には、 パイナップルの栽培がより収益率が高かったからだ。


ラナイ島を空から見ると、洋梨のような形をしている。 飛行機が着陸態勢に入った時、窓の外を見ると、岩の多い断崖絶壁に、白波が押し寄せていた。

←前の物語
つづきの物語→

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」

情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般...

大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。

今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ...

受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1

僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で...

あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。

「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と...

あのとき、伝えられなかったけど。

受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分...

ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話

爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと...

bottom of page