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人生の醍醐味 243 祖父母

Image by Olia Gozha

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父方の祖母は、医者嫌いだった。 西洋風薬も全く飲まなかったが、 私の知る限り、一度も入院した事がなかった。  93歳の長寿を全うした。


運の良いことに、小学低学年から、高校を卒業するまで、仙台市にあった同じ茅葺の家に住み、食事も一緒であったので、子供の目、学生の目で祖母を身近に見ている事ができた。


自分の庭に植えてある毒だみ草などを、時々煎じて飲んでいた。 特に、現代人のように、ヨガをするわけでもなく、 ましてやジムで汗を流すなどということは皆無だった。


ただ、祖母は常に身体を動かしていた。 築100年以上の古い割と大きな家であったが、家中の掃除、2歳上の兄と私を含めた家族全員の洗濯もした。


勿論、洗濯機、乾燥機など、当時、今の現代機器は無かったので、 たらいと洗濯板を使った手洗いであり、竹竿に干して、日光の光で自然乾燥、縁側に取り入れ、畳んで、 それぞれの引き出しに入れた。


祖父母は、私と兄がお世話になり始めた頃は既に、70歳に近かった。 庭の掃除、家族が食べる野菜を育て、前庭には多種類の花も植えていたし、無花果、柿、胡桃、梨の木も庭にあった。


その上、祖母は、家庭用味噌、お漬物、梅干しも自分で作った。 夫である祖父のため、濁酒さえ自分で作っていた。


冷蔵庫もないので、毎食、火を通すような料理を、四人分作り、どうしても食べ残してしまった場合は、入れ物にまとめて、近所の豚の餌に早変わり。 全く、無駄のない生活であった。  地球に優しい生き方を実行していたのだ。


それは遠い昔の事ではなく、私が子供の頃、即ち、約70年そこそこ前の、とある一家族の日常生活の話だ。


断捨離を決断、米国の東海岸からホノルルに越してきて、毎日、太平洋を見て過ごせる幸せを噛み締めながら、ふと祖母の面影が脳裏に浮かんだ。



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