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ホノルルは亜熱帯地帯だけに、 本土東海岸とは全く違う樹木に囲まれているのは、とても新鮮だ。
何時ものように、よく行くマジック島の東側にあるベンチに腰掛け、右手遥かに見える白い波とサーファーを見ていた。
遠方を眺めると、読書狂的傾向のある私の目の休憩になる。
何時もより少し強めの海風が吹いていた。 ふと目の前に、一枚の手のひら位の大きさの、黄色い葉っぱが風に乗って飛んできた。
そう、木の葉も命を終えれば、自然と木の枝から外れ、 海風に飛ばされてしまう。
海を見ながら、瞑想もどきをしていた私に、話しかけてきたような錯覚を覚えた。
「死は何でもない事よ。」と、その枯葉は呟いた。
「我ら植物は、死も自然の変化の一段階に過ぎない」と、考えているので、 「大袈裟に人間界のようなお葬式もしないし、 誰も涙を流さない。」 と、枯葉は微笑んだ。
本人でさえ、風が吹いて枝から外れて地面にひらりと着地しても、ごく自然の事としかとらえない。
79歳まで無事生きた、運の良い人間である私は、 一葉から深淵な真実を学んだような気持ちになった。
75歳まで、 曲がりなりにも、本職の仕事を細々ではあったが、継続してきて良かったと思う。
認知症になるのを防いでくれるような気持ちになり、仕事に専念し続けた。
3年半は、ホノルルでの生活。 完全に退職者生活に突入し、しかも新地での退職生活なので、一から人間関係構築という宿題を抱えていた。これは私自身の選択結果である。
その上、全世界を網羅したコビッド19の為、2年ほど、 割と社会と隔離された生活を余儀なくされ、 一人で過ごす時間が多かった。
でも、これを良い機会と捉え、英語で書かれた書物を読んだり、 ご無沙汰していた、日本の小説なども、古本屋で手に入れて、読書三昧を楽しんだ。
そう、疫病中も、「日々充実した生活を続ける努力をした」と、自負できる事は嬉しい。
やっと、疫病も一段落の気配、これからは、社会との接点をできるだけ増やし、人間関係をなんとか新しく作る努力を続けてみたい。
そしてある日、海風の力で枯葉が地面に落ちたように 私も長患いをせず、ごく自然に命が終わる事を、毎週ホノルルの別格東大寺で祈り続けたい。


