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人生の醍醐味 224 ジェト機

Image by Olia Gozha

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通訳の仕事は、大企業訪問も多い。  ある時、25年近く前の事であるが、アーカンサス州に本社がある、タイソン フード会社を訪問する仕事が飛び込んだ。


日本の食品関係の重役さん達が、 米国内に100以上ある工場の幾つかと、本社での会合の通訳との事。 


米国は大陸で広い。 大企業は、必要に応じて上級管理職の人々や、大口顧客案内のため、会社専用ジェット機も所持していた。


1935年に設立された、家族経営の小さな鶏肉製造業で始まったが、 3世代経営が継続し、今では13万人以上社員を抱える、全米に展開する大企業に発展したのだ。


南部に位置するアーカンサス州へ飛び、本社での会合から始まった。 無事通訳業務が終わり、近くの私設飛行場から、タイソン社のジェット機で、 南部から北部へ向かった。


運良く、お客様達は長い会合の後だけに、お疲れなのか、目を閉じて静かだった。 通訳にとって、 お客様が沈黙している間は、休憩ができるのだ。 


ジェット機から空の雲を眺めて、広大な大陸を眼下に見ていた。 同乗していたタイソン社の職員が、急に慌ただしく私の席に移動。


「あなたの義理のお父様がお昼少し前、永眠された。  国務省から連絡が今入った。  次の工場到着時までに、代わりの通訳を探してくれるそうだ。  親近者の死亡は特別の事情であるから、国務省契約通訳業務規約により、急いでお父様の御葬式に出席するように。」とのこと。


国務省の係員が、航空券の手配もしてくださり、 私はジェット機が着陸するや、民間空港に車で移動、夫の父母が住んでいたマサチューセッツ州に向かった。


夫の父親は、第二次大戦中、海軍に入隊していた。 1941年12月に真珠湾攻撃で、戦艦アリゾナも沈没、友人が日曜日の任務を代わってくれたという偶然で、その戦艦に乗船していた夫の父親は、命拾いをした。  


戦後は、民間人に戻り、高校教師を長年務めて、 退職後も、スペイン語を強化するため、メキシコに飛んだ。  五ヵ国を話す語学の専門家だった。  後年は、飲酒量が増え、癌に侵されて、一年以上の療養後、 亡くなったのだ。


スコットランドからの移民の子供で、彼の両親、すなわち、夫の父方祖父母は、子沢山で貧しかったという。  


学校の教師が、彼の才能を認めて、 大学教育を受けられるよう、精魂込めて努力をしてくれたそうだ。  6人兄妹で、彼だけが大学卒で、中産階級になれた。


夫の母方は、フランス系アメリカ人だ。 カナダのフランス語地域から南下、米国のニューイングランドであるマサチューセッツ州に移住、夫の母方の祖父が小さな印刷屋を初めて、だいぶ成功したようだ。  


その家の長女が、夫の母親で、私の夫は長男であと弟さんと妹さん二人で、 4人兄妹であった。


1970年7月に私達の娘が生まれたが、 結果的に帝王切開となり、日本から渡米してまだ数ヶ月、米国病院の全ての菌が私を襲ったのか、手術からの回復が、異常に遅く、入退院を繰り返した。  しかも、米国の医療制度では珍しく、 1ヶ月以上の入院だった。


その間、我が赤ちゃんを、夫の母親がしっかりと見てくれていた。  運良く、娘は7月生まれで、夏休み中の母君が、マサチューセッツ州からサンディエゴに飛んできてくれていたのだ。 

 

やっと身体が回復、自宅に戻り、娘の世話を始めたが、母君曰く、「なぜ、日本語であやしたり、話しかけたりしないの。」 そうなんです。 覚束ない英語で、懸命に赤ちゃんの世話をしていた私に、素晴らしい忠告をしてくださった。


夫の母親は、もともとフランス系で、自宅内ではフランス語が使われていたようだ。 彼女が我が夫を育てた時も、フランス語で常に話しかけていた。 はい、夫はフランス語を話しました。 すぐ下の妹さんは、フランス人と結婚、フランスのパリ郊外に住んでいます。


そのお陰もあり、我が娘は日本語が話せて、書けて、文庫本も読めます。




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養豚家の家に泊まる仕事も入った事がある。インディアナ州にある農家で、豚を80頭ほど飼育していた。 インディアナ州養豚家組合の事務所で会合を開き、その役員の一人の家に、一泊お世話になる事に決まったのだ。  


私的自宅宿泊となると、家族の方々とも会話をする事になる。 昼間の仕事で疲れていても、日本からきた重役さんのため、 通訳の仕事は続く。 時間的制限なしで働くことになる。 


でも、 私にとっても、米国の養豚家の家に泊まらせていただくのは、始めての経験で、興味深々だった。


割と若いご夫婦で、 子供さんが二人いた。 中学2年生で14歳の長女と、8歳の男の子。


日本の重役さんも、 社交力をふんだんに発揮し、良い機会であると、子供達に質問した。学校のこと、今学んでいること、課外活動等に関すること、米国内で他州へ旅行した事はあるかと問うた。 


奥様は学校の先生だった。  小学校教育に従事して、既に10年になると言う。  日本の文化、経済等に関して沢山質問が、夕食中も飛び交った。  


小規模養豚家の苦労話も話題になった。  最近の傾向として、大規模化する傾向にあり、「我らのような家族経営の小規模養豚業は、四苦八苦の状態だ」との事。


夜遅くまで、ブリキで作られた豚用餌入れの蓋が開いたり、閉じたりする音が聞こえたが、 いつの間にか眠りに落ちた。



ある時はコメ農家に滞在した。農家の御主人は、まず、プロペラ小型飛行機を見せてくださった。この庭からあの地平線まで、我が米作用田んぼだ。小型飛行機で低空飛行しながら除草剤を撒くと言う。  


子供の頃, 米どころと言われていた宮城県に住んでいたが、小規模農家が多かった。


米国での米作りは、日本とは規模が違うという事に気づいた。 子供の頃、近所の農家のおばさん達が、 腰を屈めて、草取りなどをしていたのを、学校の帰りなどに見かけたものだった。 


一家が、見渡す限り地平線まで、田園を全部所有しているので有れば、 小型飛行機を利用するのも無理からぬ事だ。 


風の吹く方向により、 除草剤である化学物質が、空気に混ざり飛び交う可能性があり、自動車で走る時は、しっかり窓を閉める事が大切なのだそうだ。





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