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人間は器のようだ。 器も、用途は千差万別。水を入れれば水瓶。 味噌を入れても良し。 醤油も入れられる。
人間の場合は、読書を通して、多種多様な知識を入れる事もできるし、自分の足で世界中を旅して、実際に、世界の現実を、自分の目で観察する事も、自分を豊かにする。
また、積極的に、大勢の人々と出会う努力をして、対人関係から学ぶことだって、山ほどある。
長い人生、自分という器に、どんなものを入れるかは、あくまで、自分の責任だ。
勿論、どの時代に、どの家族に、どの両親のもとに生まれるかは、誰も制御できないのは事実だ。
でも、ちょうど新品の器の使用目的は、その器の持ち主が決めるように、大きさ、厚さなどの違いはあれど、人間も一人一人、与えられた自分と言う器に、何を入れるかを決めてゆくのは、あくまで本人のような気がする。
器であれば、薄すぎるだの、小さすぎるだの、分厚すぎるだの、長細過ぎるなどと、永遠に文句を言い続けるのも、一生だ。
薄いなら、大きいなら、細長いなら、 それぞれの特性を良く掴み、その特性に合ったものを入れる事こそ、大切なような気がする。
私は、人生の滑り出しでは、文句の多い人間であったと、今ごろになって、反省している。
私に与えられた宿命は、母と兄の死。 父の再婚。 全てを、ありのままに受け入れられるような人間に成長するまで、随分長い年月を要した。
陰になり日向になり、私を支え続けてくれた人々も多かった。
そのありがたさを、今になってひしひしと感じるようになった。 随分反応の遅い人間だと、遅まきながら反省中。
2歳の私は4歳の兄を、頼りにしていた。 8歳の私は、10歳の兄を頼りに甘えていた。
本当は、10歳の男の子は、たったの10歳の子供に過ぎない。 彼だって、まだ誰かに頼りたい年頃に過ぎない。
父親が、私が「大学に行きたい」などと、無理難題をぶつけた時、 当時の父の本心は、金銭的に余裕がない為、早く私が一人前の社会人になり、経済負担を軽減する事を、望んでいたのだろう。
誇り高き父親は、自分の弱点を、子供の前で見せたくない為、「女は大学など行く必要なし。」と、ふんぞり返ったのだろう。 見栄を張ったのだ。
私は、結局周りの人に甘えていた。 父の金銭的窮状を察しなかった。
2歳上の兄だって、まだ子供に過ぎない。 彼だって誰かに守って貰いたかったのに、 兄である手前、妹を守ろうと、彼なりに必死の努力をしていたのだ。
アメリカ人と結婚後は、 白人で知識層である夫を盾に、アメリカ社会で、長年生きしてきた。
どんなに、アメリカ社会が人種差別、性差別の温床であろうと、夫がいる限り、私は守られていると、安心しきっていた。
振り返って、私は誰かの心の支えになっていただろうか。 残念ながら、 答えは多分ノーだ。
生きる事に必死だった。 親の加護がなかった分余計に、自己保存のため、盲滅法、無我夢中で、もがき続けた。
夫も天国に召され、 独り身で、ハワイに住み、早くも2年以上過ぎた。 ゆっくりと、自分の人生を反省する時間を、たっぷりといただいた。
太平洋も空も海風も、我が人生を全て丸ごと、抱擁してくれるように感じる。
大自然に囲まれて、あくせくと、もう働かなくて良い状況を、この時期に与えられた事に、本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。
誰でも、人生の第四幕目位は、 のんびりと自然を見、落ち着いて自分の過去を、客観的に振り返ることができれば幸いだ。
自由時間が一杯あるからといって、昔の恨み辛みを、何度も何度も反芻するようでは、自分を自分で傷つけてしまう。 自分の人生の最後を、自傷するなど愚の骨頂だ。
それよりも、自分が見過ごしていた、自分を陰に日向に支えて下さった方々を思い出して、現在のこの自分は、下支えしてくださった方々のお陰であると、心底から考えられるような人間に成長したい。
海風が吹き抜ける。 「そうだよー、そうだよー。」と、私の肌にそっと触れて、吹き過ぎた。