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人生の醍醐味  215

Image by Olia Gozha

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三幕目の後半は、夫が60歳の時、認知症と診断され、それから約15年、徐々に悪化する認知症の夫と二人三脚。


始めの7年ほどは、 独力で夫の世話をした。 世話をしたと書けば、簡単なようであるが、 家族の介護経験者なら分かると思うが、 死に物狂いの苦しさもなかったと言えば、嘘になる。


認知症は、本当にゆっくりと進行する病気で、後何年続くか全然先が見えない。 


今考え直してみると、60歳で専門の医師に診断される以前から、 と言うことは、彼が50代後半頃から、ほんの少しづつ、認知症の傾向が出ていたように思う。


私よりIQの高い彼は、 私より知識量も何倍も多く、彼が少し認知能力が下がったとしても、まだまだ、普通のアメリカ人より、ずうっと知識量が多く、「認知症の兆しが出始めた。」とは、考え難かった。


2000年頃から、 認知症に関する国際会議が、矢継ぎ早に開かれるようになり、 基調講演者の書籍類を購入して、読んでいた時期であった。  


それは、あくまで、仕事の下準備用と言う感覚で、学んでいたのであって、自分の夫が実際に、認知症になってしまうなど、夢にも思わなかった。


でも、講演やその手の書物を読んでいるうちに、夫の言動の変わりようが、少し意識されるようになった。


でも、私は最初のうちは、自分の直感を否定し続けた。 「物忘れなんて誰にでも起こる。 そんな程度なら、私が補ってあげれば済むことだ。」と、自分に言い聞かせていた。 


認知症は知識階級をも襲う病気だ。  世界大会で、弁護士、大学教授、医者等の事例も取り上げられた。


でも、車で35分位かけて、会社に毎日通っているから、 きっと「私の思い違いだ。」と思おうとした。 


もし、認知症なら、 当然、会社側は彼を解任すると思ったが、 会社側からの苦情もなし。


後で知った事であるが、 新聞社の編集部員全員と上役が協力して、彼の間違いを、そっと訂正してくれていたようだ。


65歳から、国のメディケア(医療保険)が使用できるので、同僚と上役は、その日まで必死に彼を首にしないでくれていたのだ。


認知症は、 徐々に、自分の認知能力が衰えてゆく。 本人も軽度の頃、 その事実に気づき始める。


本人も、家族も専門医も、治療法がないので、手の出しようがない。


最後の8年間は、社会福祉士、弁護士、専門医などのアドバイスに従い、 認知症専門の施設に入所した。 


と一言で言うが、毎月の支払いは、目が1メートルも飛び出すほど高い。 


自由業の通訳を続けて、何とか、その費用を捻出し続けた。 自宅を売れば、しばらく費用は捻出できる。 


だが、私が住むためのアパート代を、生きている限り払い続けないと、ホームレスにならないとは限らない。 


もし、人生の最後がホームレスなら、少なくとも暖かい地域に、今のうちに移住しておくのが肝心と思うようになり、 ハワイの可能性を探り始めた。


2017の春、 長い闘病の末、 彼は永眠した。

私は不動産屋さんを雇い、 自宅を売る準備に奔走、自宅を手放した。 


2018年の中頃、 ホノルルに移住、私の人生の4幕目の幕が上がった。


海風が暖かく私を迎えてくれた。   椰子の木もゆさゆさと揺れながら、私を歓迎してくれた。



真っ青な青空、広大な太平洋。  人生の最後を、このように、アロハ精神のある場所でのんびり過ごせるとは、なんと言う幸運。


ゆっくり自分の人生を、振り返る余裕がある現在の自分は、本当に幸せ者だと思う。

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