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多分誰だって、人生の最後が近づくと、色々な思い出が、脳裏に浮かぶのではないだろうか。私も然り。
断捨離を決行、ミニマリズムを選択、長年住んでいた自宅を売り払い、 どんな人生が待っているかも分からない、私にとっては新地である、ホノルルに移住した。
身の回りを極力単純化、ホノルルに充満している良い気を体内に吸収、日々の生活を、平穏な時間にする努力中。
でも、気がつけば、 自分の努力等関係なく、不思議と平和で幸せな生活が、太平洋のど真ん中にある、オアフ島で続いている。
そのため、頭に浮かんでくる思い出に、じっくりと浸る時間もある。
心に悩みや心配事が充満していると、それらに気を取られ、過去の思い出まで、薄暗い物になってしまう、 可能性があるような気がする。
現在の心が乱れていないと、過去の思い出さえ、すっきりと浮かんでくるようだ。
「人生って、何だったのだろう。」と、哲学者気取りになる事もある。
自分の人生は、結構、自分で統制できると思いたい。
でも、実際、客観的に、私と言う人間の過去を振り返っても、自分の力で自分の人生の方向を、自主的にしっかりと、決めてきた部分は、割と少なかった気がしてきた。
ある意味で、与えられた生命を、無我夢中で、我武者羅に、崖から転げ落ちないように、自分も少し参画したような気持ちだ。
高校生になって、一年ぐらい過ぎた頃、 私が全然要求もしないのに、父は新品の女性用軟式テニスのラケットを、突然買ってくれた。
その結果、高校時代テニス部にも属していた。中学時代も高校一年生の時も、テニス部員ではなかった。
高2の時、 初歩からの練習を始めた。 でも、二学期頃にはダブルスで、後方を守った。
偶々、 私は左利きで、私が打つ球は、右利きの人には、受け止めて難い球であったようだ。
多分、本の虫過ぎる私に、父は、「スポーツにも目を向けてみろ。新しい発見があるぞ。」とでも、言いたかったのかも知れぬ。
父は私に対して、寡黙であった。 私が長年、反抗し過ぎたためだと思う。
人間の脳裏は不思議だ。 脳の中を解剖しても、 過去の思い出と言う場所が、指定されているわけではない。
脳細胞は、休みなく活動してくれているが、死と共に、水の泡の如く消え去ってしまう。
教育、書物、口伝え、伝統保持などで、次世代に、滝の水の如く伝承してゆく事で、 一人の人生も、人類史の中に組み込まれてゆくのだろう。